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小林秀雄とその戦争の時 『ドストエフスキイの文学』の空白
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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2014/07/31
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/309p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-10-335991-3
  • 国内送料無料

紙の本

小林秀雄とその戦争の時 『ドストエフスキイの文学』の空白

著者 山城 むつみ (著)

自ら従軍記者を志願してまで、「戦争の時」に深く食い入り、ドストエフスキーが触知せざるを得なかった「時代」への苦悶に感応した小林秀雄。文学の徒として「書く」ことの切実な「実...

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小林秀雄とその戦争の時 『ドストエフスキイの文学』の空白

2,484(税込)

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商品説明

自ら従軍記者を志願してまで、「戦争の時」に深く食い入り、ドストエフスキーが触知せざるを得なかった「時代」への苦悶に感応した小林秀雄。文学の徒として「書く」ことの切実な「実存」を精緻に析出させてゆく長編論考。【「TRC MARC」の商品解説】

「何もかも正しかった事が、どうしてこんなに悩ましく苦しい事なのだろうか」自ら従軍記者を志願してまで、あの「戦争の時」に深く食い入り、『罪と罰』や『悪霊』の作家が触知せざるを得なかった「時代」への苦悶に、まざまざと感応した小林秀雄。―― 中原中也、保田與重郎、武田泰淳、等々の「補助線」を周到に引きつつ、文学の徒として「書く」ことの切実な「実存」を精緻に析出させてゆく長編論考。【商品解説】

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書店員レビュー

MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店

まさに「圧巻」の一語に尽きます。

MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店さん

  「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない」、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」─── 良くも悪くも世間的にはすっかり有名になってしまった、敗戦直後の座談会における小林秀雄の「放言」の一節である。ところでこの二つの挑発的な「放言」のあいだには、少しばかりニュアンスを異にする次のような発言がはさまれていたのだが、そちらの内容に関しては、果たしてこれまでどれだけの人が注意を向けたことがあっただろうか。

 「大事変が終わった時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。」 (『近代文学』1946年掲載「コメディ・リテレール」より)

  「歴史の必然」などという危なっかしい表現もあって気をつけなければならないが、ここで小林の口から語られているのが、当時の日本が追い込まれていた諸々の窮状や条件の一つ一つを振りかざしつつなされる、あのよくある──だから仕方なかったのだ、他にどうしようもなかったのだ──という類の免罪論・正戦論の論理とはまるで違った位相からの問題提起であり、けっして悔し紛れなどではない真率な疑義の表明であったことを見落としてはならないだろう。
 では、だとするなら、この一節において小林が頑なにこだわってみせている、「歴史」をめぐるある「恐ろしさ」の感覚とは、いったいいかなるものを指しているのか。
 本書全体を通じて、著者が様々な補助線を用いながら一貫して追究し、明らかにしようとしているのは、まさにその一点であるといえよう。
 従軍記者として、当初はあまり気乗りもせず「たたぶらりと」赴いた中国戦線の現場で小林が遭遇し、「自分でもはつきりしない」まま、深い部分での内的な変化を生じさせる契機となった、当地に流れる「時間」と「空気」にまつわるある不可解な「経験」の内実とはどのようなものか。戦後、その『罪と罰』論のなかで、シベリア流刑後のラスコーリニコフの心情の注釈として書き連ねられた言葉──「何もかも正しかったと彼は考える。何も彼も正しかった事が、どうしてこんなに悩ましく苦しい事なのだろうか」の真意とはどこにあるのか。
  生動する「歴史」の瞬間の内部に分け入り、「ここ」と「そこ」をめぐる「連続」と「断絶」の不可視の臨界点に驚くべき緻密さで肉迫する、前著『連続する問題』につづく圧巻の〈小林秀雄スタディーズ〉第二弾。

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評価内訳

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2014/12/06 18:59

投稿元:ブクログ

 著者の最新評論集。第1章の「一九三八年の戦後――「杭州」と「蘇州」」は、初出時に読んだものから大幅に改稿され、着実な議論となった。小林の日中戦争体験と戦時下のドストエフスキー論の執筆・中断・再出発から、小林が戦争とどう向き合ったのか、文学者としての戦争責任をいかなることとして自覚し、生き/書いたかを追いかける重厚なエッセイが続く。

 すぐれた批評は、対象と共にあり、対象によりそい、対象の思考を再演しながら、対象とは異なる独自の言語/思考の地平を切り開いてみせるものだ。たとえば本書は、小林秀雄論なのか、ドストエフスキー論なのか、小林秀雄のドストエフスキー論についての論なのか。いずれもそうだとも言えるし、そうではないとも言える。ポストモダニストなら、対象に×をつけて表現するような中間的な位相の言語がもたらす知的興奮は、そうざらに味わえるものではない。
 
 著者は、小林の体感した「時差」、ドストエフスキーのテクストをたどる小林の言葉の飛躍と捻れ、『ひかりごけ』における武田泰淳の場面転換など、ごくわずかな隙間に介入点を見出し、そこに思考(の挫折)の痕跡を発見、可能的な議論を取り出してみせる。一つ一つの言葉は平易だし、奇を衒った引用やレトリックがあるわけではない。しかし、ここにはまぎれもなく、文学/批評という語でしかあらわせない何かが定着されている。
 
 それこそが小林秀雄が日本語の文学に開いた地平なのだと言われると、たしかにそうであるような気がしてしまう。

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