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歩道橋の魔術師
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.4 28件
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この著者の新着情報

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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2015/04/27
  • 出版社: 白水社
  • サイズ:20cm/212p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-560-09039-8
  • 国内送料無料

紙の本

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)

著者 呉 明益 (著),天野 健太郎 (訳)

幼年時代の懐かしい匂い、よみがえる魔法の時間。1980年代初頭、台北。物売りが立つ歩道橋には、子供たちに不思議なマジックを披露する「魔術師」がいた―。台湾で今もっとも旬な...

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歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)

2,268(税込)

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商品説明

幼年時代の懐かしい匂い、よみがえる魔法の時間。1980年代初頭、台北。物売りが立つ歩道橋には、子供たちに不思議なマジックを披露する「魔術師」がいた―。台湾で今もっとも旬な若手による、ノスタルジックな連作短篇集。【「BOOK」データベースの商品解説】

1980年代初頭、台北。物売りが立つ歩道橋には、子供たちに不思議なマジックを披露する「魔術師」がいた−。今はなき「中華商場」とそこに生きた人々のささやかなエピソードを紡ぐ、ノスタルジックな連作短篇集。【「TRC MARC」の商品解説】

1979年、台北。物売りが立つ歩道橋には、子供たちに不思議なマジックを披露する「魔術師」がいた――。今はなき「中華商場」と人々のささやかなエピソードを紡ぐ、ノスタルジックな連作短篇集。【商品解説】

1979年、台北。物売りが立つ歩道橋には、子供たちに不思議なマジックを披露する「魔術師」がいた。ノスタルジックな連作短篇集。【本の内容】

収録作品一覧

歩道橋の魔術師 7−24
九十九階 25−46
石獅子は覚えている 47−69

著者紹介

呉 明益

略歴
〈呉明益〉1971年台湾生まれ。国立中央大学中国文学部で博士号取得。小説家、エッセイスト。国立東華大学中国文学部教授。

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みんなのレビュー28件

みんなの評価4.4

評価内訳

  • 星 5 (10件)
  • 星 4 (8件)
  • 星 3 (2件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

懐かしさが立ち上る短編集

2016/07/02 23:35

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る

台北に実在した中華商場で暮らす人々を題材にした連作短編集です。

中華商場では、貧しくも健気に生きる子供達・兵役で離別する恋人達・職人気質のぶっきらぼうで温かい大人達が商場で息づいています。著者の人々・文化の描き方が温かくて、そこに現実味のない歩道橋の魔術師の存在を絡めると、温かくて切ない二度と戻れない懐かしさ(マジックリアリズム?)が感じられます。

「Always 三丁目の夕日」を彷彿とさせる、不便で雑多でそれでも明るく楽しかった時代を思い起こさせるような描き方がグッときました。見たことも経験したこともない世代ですらそう感じる作品だと思います。ジャンルとしては小さいですが、恐るべし台湾文学という印象でした。

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2016/06/02 08:39

投稿元:ブクログ

『魔術師は少し考えてから、しゃがれた声で答えた。「ときに、死ぬまで覚えていることは、目で見えたことじゃないからだよ」』ー『歩道橋の魔術師』

記憶は事実とは異なっている。だからこそ美しいのだとも言える。事実と異なるからと言って嘘ではない。記憶の断片が勝手に結び付き合い再構築されてしまうだけのこと。それも、決して自分に都合のいいように再構築される訳ではない。その意味で記憶は必要以上に中立であると思う。

台湾を訪れたことはないが、台湾に昭和の面影を求める人々がいるとは聞いたことがある。英語で質問したら、統治下時代に教育を受けた人々から日本語で答えられて不思議な感覚を味わったと出張から戻った先輩に聞いたこともある。しかしそれも既に二十年以上前のこと。戦後は最早手の届かない程に遠退いた。今更、昭和を持ち出す必要はないのでは、と少し斜めの目線の自分は思ったりもする。とは言え、確かに自分も文字を追って行くうちに、文章の中に埋め込まれたタイムカプセルを開けるような感覚を覚えるのだ。この小説で描かれる記憶の中の少年たちが過ごす時間からは約十年先行する時代、然程田舎でもなく都会でもない新興住宅街が拡がりつつあった町の子であった筈の自分の記憶は、台湾の中華商場の風景と奇妙に共鳴するのである。自分の過ごした町に中華商場のような場所が在った訳ではない。それなのに、駅前通りから裏に延びる入り組んだ路地の喧騒や、映画館、物欲しそうな子供で溢れていた模型屋、甘栗を煎る匂いなどが一気に蘇るのを止められなくなる。

もちろん記憶の対象は異なるけれど、舗装もされていない道で膝を強かに打ち付けて覚えた自転車で細い道を走り回り、名前も知らない子供たちと同じ時間と場所を共有していたこと、それが、呉明益の描く中華商場の雰囲気の中にかげろうのように浮かんでくる。八坂神社の縁日は、さして明るくはない白熱電灯の連なりの下、信じられない程がらくたが輝いて見えた。もちろん、家に持ち帰ることはほとんど出来なかったし、そんな幸運があったとしてもその輝きは家のぽつんと灯る白熱電灯の下では失われてしまうのが常だったけれど。だがそんな魔法の力は確かに自分にも作用したのだ。学校の正門の直ぐ側で、何の変鉄もない鉄板に張り付けられた発泡スチロールの円柱が、時代劇の主人公のように活躍するのを確かに自分の目で見たのだ。

何かを失うことが、回り廻って大人になることなのだと気付いてからどのくらい経つのだろう。失ったものと得たもののバランスは決して合ってはいないのに、今になってしがみつくように思い出すのは何故なんだろう。呉明益の小説が語るのは、そんな失われてしまったと思っている記憶の中身は必ず身体の何処かに潜んでいて、匂いや湿度や気温の変化のような意味もない出来事でよみがえるということ。それを紙片の上に定着させようとすればするほど、記憶の輪郭はぼやけ連なりはほどける。それを無理矢理並べれば事実と異なる物語となる。そんな記憶の変質をかろうじて回避した文書を呉明益はものにしたように思えた。

しかし、そんな文章に触発されて甦った記憶を愛で過ぎてはいけない。記憶���しばしば時間の差を無視して呼応し、多重露出の絵となって蘇る。自分自身の子供の頃の記憶に十年前の越南の市場の喧騒が混ざっていないとは言い切れない。郷愁はただ単に憧憬に過ぎないのかも知れない。魔術師は、学校の正門脇にも、夜の盛り場にも、そして歩道橋の上にも、居たとも言えるし居なかったとも言える。そんな由無し事が頭の中をぐるぐると廻っている。

2016/04/29 23:18

投稿元:ブクログ

本屋大賞候補に挙がっていたので。

歩道橋の魔術師
九十九階
石獅子は覚えている
ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた
ギター弾きの恋
金魚
鳥を飼う
唐さんの仕立屋
光は流れる水のように
レインツリーの魔術師

台湾文学いいなー。邦訳は数少ないそうなので、他も触れてみよう。

2016/09/12 18:13

投稿元:ブクログ

台湾文学なんて初めて読んだ。夢と現実の境界をふわふわ歩いてるみたいな きれいでふしぎな短編。翻訳が良い。
歩道橋の魔術師/九十九階/石獅子は覚えている/ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた/ギター弾きの恋/金魚/鳥を飼う/唐さんの仕立屋/光は流れる水のように/レインツリーの魔術師

2015/08/30 22:17

投稿元:ブクログ

今から約3,40年前、台北の西門町にあった、今は無き中華商場で暮らしていた子供達が、「現在」からその当時を振り返る形で様々な思い出を語る、連作短編集。描写的にも実際現地を訪れた体感的にも、どう考えても話の舞台は熱気ムンムンだし臭いは色々濃いし、けたたましいわごちゃごちゃしてるわ何か色々ベタベタだわで絶対そんな筈はないのだが、読後感が妙に清潔感…というか、サラッとして淡々とした印象なのは、追憶と郷愁という紗とフィルターが幾重にもストーリーの上を覆っているせいか。繰り返し登場する魔術師という存在が、異国の過去話という虚実の境を更に曖昧にし、原著で示されたマジック・リアリズムという形容は確かに的を射ていると思う。

2015/10/10 09:18

投稿元:ブクログ

今から30年位前の台湾。
行ったこともない地域なのになぜかとてもノスタルジックな雰囲気に浸ることができた。

歩道橋に佇む不思議な魔術師が少年たちと繰り広げる世界が神秘的で、表紙のモノクロ写真のイメージそのものだった

2016/07/25 11:42

投稿元:ブクログ

連作短編10編
歩道橋の魔術師の記憶をベースに,今は存在しない中華商場の空気感,子供の頃の思い出を聞き書きするといったていで小説は進む.懐かしさ,後悔,憧憬あらゆる感情がそれぞれの語り手のなかで蘇り,時や空間という哲学的な観念が,魔術師の存在で摩訶不思議な世界として表れる.あれは手品だったのか,魔法だったのか,私のなかでも謎である.

2016/07/30 11:05

投稿元:ブクログ

今はもう取り壊された.台湾の一大繁華街商場に暮らす人々の子供の頃の思い出を描いた連作.商場のつをつなぐ歩道橋には物売りで溢れていて不思議なマジックを見せる魔術師もいる.全体的我々の子供の頃の昭和の懐かしい雰囲気と重なるところはあるが,日本とも欧米とも違う少し不思議で独特な台湾ノスタルジーに彩られている.

2015/08/27 07:55

投稿元:ブクログ

もう、消えてしまった世界。いまの時間には存在しないまるで違う空間で起こった、不思議な、そして日常の出来事。

台湾にかつて存在した「中華商場」それは、三階建の商業ビルが連なり、そして各建物は歩道橋でつながっている、空中の商店街。
その商店街で生活し育つ人々の連作短編集。
一つ一つの小品の主人公は、中華商場のなかで繋がり、そして外の時間とともに時間が過ぎていく。
ただし、時々、時間は進み、そして引き戻され、そして時には止まる。
ただ、いくつかのキーワード「魔術師」「歩道橋」「麺屋(元祖はここだけ 具なし麺)」を手掛かりに、その混沌を読み進めていけば、混乱を生じることは無い。
それら、いくつかのキーワードで、物語はつながる。

まるで、千と千尋が迷い込んだ世界のような、我々が生活しているのとは、少し異なる空間の物語。
しかし、それは虚構ではなく、現在の台湾、現在の我々に通じている時間であり、空間の物語。

2017/03/06 21:54

投稿元:ブクログ

日本で言うなら商店街と団地が合わさったような「中華商場」で子供時代を過ごした人々の、連作短編集。
怖いものも無造作にあちこちに散らばっているけれど、懐かしさ(これは私の幼年期ではないにも関わらず)が怖さを包み込んで余りある。
私の幼年期の記憶にまで、歩道橋の魔術師が潜り込みそう。
数年経ったら自分の思い出になっていてもおかしくない。
等身大のマジックリアリズム。

2016/09/29 17:35

投稿元:ブクログ

なかなか良い本でした。
読んでから何年もたつので忘れたが、ありえないような話もあって マジックリアリズムとも言えました。
また当時の空気をよく描けていると思いました。

2016/06/20 09:38

投稿元:ブクログ

異国情緒あふれる短編集
場末の古い「商店街」
黒い紙の小人を躍らせる魔術師
家業の手伝いをさせられる少年
いかにも、これから起きる摩訶不思議な物語の中に
引き込まれていきました

読みながら、なぜか西岸良平さんの漫画を
思い起こしていました

2015/05/30 15:47

投稿元:ブクログ

10年ぶりくらいに読んだ新作の台湾小説は、初めて行った台北で見た、街中に走る古めかしい中華商場を舞台に人間模様を綴った連作短編。戦後の台湾を象徴するようなあの建物を思い出し、そこで暮らした子供達の姿を脳内に描き出すように読んだ。ノスタルジーだけで済まない読み味は、人間描写の豊かさもあるのだろう。異文化であっても共感できる部分が多いし、どんな小説にも似てない味わいがいい。

2015/05/28 14:49

投稿元:ブクログ

表題作の題名どおり、歩道橋の上に店を出す魔術師を各篇のつなぎに使った連作短篇集。時は1980年代初頭。今はなき台北の一大商業施設「中華商場」を舞台として、そこに暮らしていた少年たちの出会いや別れ、初恋、死といった、いずれも少し胸の奥がいたくなるような挿話が、いかにもアジア的な喧騒と混沌に溢れた稠密な建築構造物をバックに、静謐でノスタルジックな光景として束の間よみがえり、やがて消えてゆく。あえかな過去をふりかえる回想譚、全十篇。

カメレオンのように二つの目が別の方向を見ているような目をした「魔術師」は、大人が見れば奇術の道具とその解説書を実演販売する隻眼義眼の大道芸人なのだろうが、商場から一歩も出たことのない少年たちにとっては、見も知らぬ世界の奇蹟を披瀝する、まさに字義通り魔術師であった。小さい頃、家業の靴屋を手伝い、歩道橋の上で靴の中敷や靴紐を売っていた少年の向かいで店を出していたのがその男だった。歳をとり、今は物書きとなったかつての少年は、歩道橋の魔術師について語ろうと思いつく。記憶をたどり、昔なじみにも話を聞いて書き綴ったのがこの連作短編集、という体裁を採っている。

巻頭に置かれた表題作を除けば、魔術師その人について触れた文章はわずかである。今は成人し、それぞれの世界へ巣立っていった幼友達との共通の思い出が、歩道橋の上にチョークで描かれた円の中で、黒い紙から鋏で切り抜いて作った小人を踊らせる魔術師だった。各篇の主人公は、同じ時代、同じ故郷を共有する作家に、昔の思い出を語るのだが、そのどこかに歩道橋の魔術師がほんのワンカットだけ顔をのぞかせる。それが趣向。屋上のネオン塔の下に寝泊りする魔術師は、寝袋とわずかな荷物の中に本を忍ばせており、少年にとっては謎のような言葉を呟いてみせる。魔術師は少年時代と以後の人生を板一枚で隔てる扉のようなものだったのかもしれない。

少年たちの人生は魔術師と出会い、話をしたり、魔術を目のあたりにしたりすることでほんの一時、それは瞬時であったり、長い場合は三ヶ月であったりするのだが、ここではない別の世界を垣間見ることになる。DVに我慢できなくなった少年が神隠しにあったように消えてしまった後、姿を現したとき、自分はずっとそこにいたが周りからは見えていなかったようだ、と語ったり、姉がいなくなって寂しがる少女がノートに鉛筆書きした金魚をビニル袋に入れてもらったり、束の間、辛い現実を忘れさせるような経験をするが、やがて魔術は消え、彼らは現実の世界にもどることになる。

訳者は本書を「三丁目のマジック・リアリズム」というコードネームで呼んでいたというが、魔術師の見せるマジックは南米の作家が見せる玄妙不可思議で永遠にも思えるほど長時間浸っていられるような魔法でなく、紙製の人形や金魚といった、ささやかで、ちまちました魔術しか使わない。大勢の人間が暮らしながらそれぞれが小部屋暮らしで便所は共同という日本なら昭和を感じさせる舞台には、壮大なマジックは似合わないということか。この身の丈にあった魔術がなんとも心に沁みる。

連作短編の一篇一篇はどれも甲乙つけがたい水準以上の出来��言い換えれば、これが最も素晴らしいというような飛びぬけた出来のものはない。連作を意識したことでそうなったのかもしれない。昔顔見知りだった人の数奇な人生を人づてに聞くというスタイルをとる以上、放火や自殺といった悲劇的色彩の強い話も、思い出話という枠組みで濾過され、時間の望遠鏡越しに覗き見る地獄図絵からは熱も臭いも阿鼻叫喚もすっかり拭い去られ、悲しさや憎さといった感情は、今は上澄みのような透明な思いとなって静かに語られる。

後に恋人を殺して自死する男が店の前で弾き語りで歌うのが、ジェイムズ・テイラーが自殺した友人のことを歌った Fire and Rain であったり、その男にもらったレコードがジョニー・リヴァースによる「秘密諜報員ジョン・ドレイク」のテーマだったり、少し前の昔話という立ち位置をとっているところに、ある世代の読者は懐かしさを覚えるだろう。呉明益は1971年台湾台北生まれ。台湾の新世代を代表する作家として評価が高い。邦訳としてこれが本邦初訳となる。ふとしたはずみで、人生に躓いてしまう人々のそれぞれの身の処し方をさらりとなぞる手つきが重すぎず、軽すぎず、しみじみと心に残る。個人的には長毛種の白猫と暮らす「唐さんの仕立屋」が身につまされた。

2015/06/27 13:25

投稿元:ブクログ

ノスタルジックなんだけれど、でもおセンチじゃない。

「紙の動物園」やブラッドベリを連想するようなライトな不思議と、今はもうない失われた時間を匂いや音や味で描いていくリアリズム。
読み干した後に、せつなさが僅かに残る。