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経験論と主体性 ヒュームにおける人間的自然についての試論
  • みんなの評価 5つ星のうち 3.8 2件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2000.1
  • 出版社: 河出書房新社
  • サイズ:20cm/257p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-309-24223-5
  • 国内送料無料

紙の本

経験論と主体性 ヒュームにおける人間的自然についての試論

著者 ジル・ドゥルーズ (著),木田 元 (訳),財津 理 (訳)

想像と妄想、虚構と自然が渾然一体となり、「主体」へと生成する未曾有の世界。ドゥルーズの処女作として翻訳された「ヒュームあるいは人間的自然」(朝日出版社1980年刊)を全面...

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経験論と主体性 ヒュームにおける人間的自然についての試論

3,024(税込)

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商品説明

想像と妄想、虚構と自然が渾然一体となり、「主体」へと生成する未曾有の世界。ドゥルーズの処女作として翻訳された「ヒュームあるいは人間的自然」(朝日出版社1980年刊)を全面的に改訳し、改題したもの。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

ジル・ドゥルーズ

略歴
〈ドゥルーズ〉1925〜95年。パリ大学に学ぶ。フランスの哲学者。著書に「襞」「マゾッホとサド」「〈場所的〉ということ」など多数。

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みんなのレビュー2件

みんなの評価3.8

評価内訳

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紙の本

快感のスピード

2002/06/30 08:19

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あおい - この投稿者のレビュー一覧を見る

ひさしぶりにぶるぶる震えるほど快感が走った哲学論文だった。やはり哲学書は文体が重要である。初期ドゥルーズの硬質の文体は、原文を見たことはないがスタンダールを思わせる。それ自体「物理学的」でひとつの「運動」である。
「哲学においては、問と問の批判とはただひとつのことにすぎない。あるいは、こう言ってよければ、解答に対する批判というものはなく、ただ問題に対する批判があるだけだ。(中略)もし反論を唱えたいのであれば、裁かれるのはその問であって、それ以外のものではない。事実、その問のほかには何もありはしないからである」
とドゥルーズは語るのだが、この「問」はしかし文学の問題でもある。何故なら、文学とはそれ自体ひとつの学問であり、批評(批判)とは切っても切れない、というよりもむしろ批評こそ文学のもっとも重要な要素のひとつであるからだ。
カフカはフローベールを批評したわけだし、『枯木灘』は『岬』の批判である。
このヒューム論、ドゥルーズが22才にして書いた論文は極めてシャープに《主体性》の概念をいかにしてヒュームの哲学的理論が生産したか、あるいは生産しているかを語る。ドゥルーズの《内在》はすでにここにおいて現れているが、だがしかし、この自然と精神の二元論的な弁証法は、極めて危険なにおいを漂わせている(「ああバコン!」という彼の言葉を思い出そう)。
それはともかく、ここで読まれるヒュームにおける《共感》や《習慣》の概念は新鮮である。まさに問題は、ひとが(ルソー的な意味での)エゴイストではなく、ある親和的な共同体内の存在であるところにある。人間は、ある意味で自分のことなどどうでもいいのだ。ただ、自分が受け入れられている世界のイメージが大切なのであって、それが人間の欲望が構造に依存することから理解できるのだが批判はどうか? かつてフーコーはドゥルーズは欲望を言うが私にとって問題なのは快楽であると語った。さしあたってフーコーの個人的事情はどうでも良い。快楽について考えねばならない。

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2010/09/19 12:48

投稿元:ブクログ

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