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商品説明
「時間」、「存在」、「他者」という問題は、いかなる途筋をたどり「超越論的なるもの」への接近として結実したか。フッサールの超越論的現象学の企てを徹底的かつ厳密に展開し、新たな問題領域を開拓する。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
斎藤 慶典
- 略歴
- 〈斎藤慶典〉1957年神奈川県生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。慶応義塾大学文学部助教授。共著に「理性と暴力」など。
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紙の本
最初から語りなおすこと
2002/07/14 20:42
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
フッサール現象学の最大の思考的達成は超越論的な事象領野の発見であった。そこではさまざまな出来事や事象が絶えざる流動のうちに生成消滅しているのであって、時間性こそが現象の根本的性格である。だからフッサールは終生時間について考え抜いたのだが、しかしフッサールによって時間性の究極の根拠とされた「生き生きした現在」は「存在的な仮面(masque ontique)をつけることのない純粋な超越」(メルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』「研究ノート」)としての「見えないもの」であった。
《そしてこの「生き生きした現在」の自己超越の運動こそが、あらゆる存在者を、みずからの内に生じた「差異」によって生み出しているのだとすれば、この「生き生きした現在」こそ、存在者を存在者たらしめているもの、すなわち「存在」の運動を指し示すものにほかならないことになろう。》(99頁)
こうして時間をめぐる問題系は存在の問題系と交わり重なっていく。しかしそれは「意識の哲学から存在の哲学へ」といった単線的な移行ではない(というのも、超越論的領野こそあらゆる哲学がその上を動いている最終的な基盤なのだから)。フッサールに淵源する時間問題とハイデガーに由来する存在問題は最後に「他なるもの」すなわち他者問題と交差し、ここで著者が召還するのがレヴィナスである…。
以上が時間・存在・他者の三つの問題系の根本性を明示することを目論んだ本書のほとんど内容のない駆け足の「要約」で、これはまったく不毛で無意味な作業だ。
──思考に限界を引くためには限界の両側を、したがって思考しえないことを思考しうるのでなければならない。この本書冒頭に掲げられたウィトゲンシュタインの言葉をもじるならば、思考しえないもの、つまり神学的思考が身を置く場所(無)を自らの臨界(根源=起源)として指し示す超越論的現象学(ただし斎藤慶典によって語りなおされ徹底化されたそれ)の思考は、経験的・事実的領野での意識に対する無意識、社会や文化に対する構造に比肩しうる超越論的領野での問題系をはじめから語り直すこと、それも徹底的かつ厳密に語りつづけることでしかアクチュアリティを獲得できないのである。
哲学とはつねに「語りなおすこと」(最初から始めること)なのであって、短すぎる終章での著者の問いかけ──《「時間」の内に孕まれた「他なるもの」とはいったい何なのか。「他なるもの」の名のもとにいったい何を私たちは問おうとしているのか。》──に「問題」を感じるかぎり、著者とともに読者もまた最初から語りなおすしかない。