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小森陽一ニホン語に出会う
  • みんなの評価 5つ星のうち 3.8 5件
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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2000/04/01
  • 出版社: 大修館書店
  • サイズ:20cm/218p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-469-22151-1
  • 国内送料無料
専門書

紙の本

小森陽一ニホン語に出会う

著者 小森 陽一 (著)

ミナサン、ミナサンハ、僕ノニホン語ノ何ガオカシイノデショウカ? 帰国子女、コモリ君は文章語で話すおかしな小学生。ニホン社会の異分子として日本語に出会い、格闘し、教える側に...

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小森陽一ニホン語に出会う

1,728(税込)

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商品説明

ミナサン、ミナサンハ、僕ノニホン語ノ何ガオカシイノデショウカ? 帰国子女、コモリ君は文章語で話すおかしな小学生。ニホン社会の異分子として日本語に出会い、格闘し、教える側にまわるまでの、日本語とのタタカイの記録。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

小森 陽一

略歴
〈小森陽一〉1953年東京都生まれ。北海道大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、東京大学教養学部教授。日本近代文学専攻。著書に「世紀末の予言者・夏目漱石」など。

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みんなのレビュー5件

みんなの評価3.8

評価内訳

  • 星 5 (1件)
  • 星 4 (2件)
  • 星 3 (2件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

外部の力

2012/01/28 10:47

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ががんぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 一度だけ、著者の小森氏の話を直接聞いたことがあって、内容、話し振り、発声に至るまで、非のうちどころのない日本語に感心しながら、ただその完璧さゆえにかえって違和感があったのを覚えている。本書を読んでその謎は氷解した。子供の頃ロシア語を学びながらプラハで暮らした帰国子女だったとは知らなかった。
 小森氏の著書はいずれも、わかりやすく書いてはあっても、いわゆる「柔らかい」ものではない学術書だから、こうして生い立ちがわかると、ミーハー的興味も湧こうというものである。が、それは単に著者の人間味を増すというだけではなく、その研究者としての姿勢や思想すらより明確にしてくれるものであろう。小森陽一と言えば、知る人ぞ知る、ジャンルを越えて国文学研究に最新の批評理論などを導入し、新しい風を吹き込んだ一群の研究者の一人である。「脱境界」を掲げる時代にあって、こうした人たちの活動が、どれほどダイナミックな文化潮流を生み出しているかは言うまでもあるまい。もちろんただ新しければよいというものではないだろうが、彼らの破壊をも恐れぬ真摯な追求が、反論を生み再反論を生みして活発な議論を呼び、総じて文化に活力をもたらすことを歓迎したいと思う。 
 たまたま本書と同じ時期に、かのジャック・デリダへのインタビュー(『言葉にのって』、ちくま学芸文庫)を読んだのだが、デリダが、アルジェリアという「外部」に生まれ育った後に、フランス哲学界はおろか、世界の思想文化を震撼させたことと、小森氏が東欧から帰国し、半ば外国語である日本語をまず日常会話のレベルから学び、やがて日本語を総体として対象化し、さらには文学を日本での研究文脈の外から捉え直したことには、明らかにある種の類縁があると思われる。そうして小森氏の「人と思想」がよくわかり、かつ時代の知性の一つのあり方が納得される好個の読み物である。

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紙の本

ニホン語の違和感

2004/03/05 19:30

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る

 日本語は、身近なものである、とさえわざわざ言わないほどに、日本で育った私には自明のものとして身体化されている。さらに、こうした言表自体も、ふだんはその必要性を全く自覚されることはない。
 本書は、数奇(?)といってもいい、日本語体験を通じ、今「日本近代文学」の研究者として活躍する小森陽一氏の「ニホン語」との出会いと葛藤の記録である。しかも、氏のライフステージに応じて、様々な場面での「ニホン語」との戦いが、斬新な切り口で次々と描き出されていく。
 氏の語り口が斬新に見えるのは他でもない、われわれがなかなか距離をもって対象化できない「ニホン語」を所与の前提とせず、徹底してその違和感を言語化し得ているからである。特に、学校教育科目としての「国語」をめぐる議論は、「ニホン語」への違和と文学作品解釈の問題に迫っており、スリリングである。そして、もう1つ気づくのは、「ニホン語」は、学校から政治から研究から、さらには私たちの日常生活という、非常に多くの領域に不可欠の要諦として関わっているということである。そのことは、私たちが、いかに多くの事柄を自明のものとして、思考してこなかったかを浮かび上がらせることにもなるだろう。
 自明とは恐ろしいものである。それ以外の可能性を、思考領域から奪ってしまうのだから。その意味でも、本書のもたらす刺激は、実に実践的である。

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紙の本

意識的に言葉を捉えたコドモの記録

2001/06/03 17:04

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:鈴木クニエ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「漱石」研究などで知られる東大教授の小森陽一氏は、子供時代、日本語が「敵」だった。日本近代文学専攻なのに何故と思うと、小森氏はまだ「帰国子女」という言葉がないころの「帰国子女」だったのだ。必然的に、文化や社会の貼り付いた日本語と闘わなければならない。
 その闘いの記録である本書は、土着の言語環境で育てば意識しないだろう言語習得の過程の意識化が綴られている。小学校低学年で旧チェコスロバキアのプラハへ。プラハで通った学校はソビエト大使館付属のロシア語学校。授業はすべてロシア語だ。家では日本語、街ではチェコ語、学校ではロシア語で暮らしながら、言葉にかなり神経を集中させて情報獲得する癖がついたという。
 小学校6年になって日本に戻れば、そこにも言葉の障壁があった。小森君が話す日本語は文章語だったからだ。友だちには笑われる。「日本語は言文一致じゃない」と身をもって感じた彼は、再び言葉に注意を傾ける。
 その後、中学・高校から大学教員になって小中高校の国語授業を引き受けるまで、時系列に続く。段々と「国語」という問題がメイントピックになっていく。
 無自覚に話すこと/聞くことを身につけてしまったために、自分の鈍感さが悲しい。コミュニケーションの道具として使われる言葉に、言葉以外も含めてどれほどの情報を持たせているのか気にし続けるのは不可能に近い作業だ。だから小森氏の辿ってきた言葉の歴史を読むことは、自分の言語環境を振り返るきっかけになる。
 後半はまさに国語教育の問題。「段落わけ」では私も同じように苦しんだ。30字以内で書く「主人公の気持ち」に唯一の正解がある不思議さ。国語への恨みは共通だ。気楽なタッチで一気に読んでしまうけれど、何気なく通り過ぎてしまった事柄に気づかされてドキッとすることも多かった。
【目次】
第1部 日本語に出会う
 第1章 ことばとの出会い(東京・プラハ/小学校時代)
 第2章 帰国してから(東京/中学校時代)
 第3章 ことばの実践としての政治参加(東京/高校時代)
 第4章 「国文科」進学(札幌/大学時代)
第2部 日本語と格闘する
 第5章 アルバイト教師時代(札幌/大学院生)
 第6章 日本文学を教える(東京/大学教師)
 第7章 アメリカで日本語と出会う(カリフォルニア/客員教授)
 第8章 声と身体で表現する日本語(東京・カリフォルニア)
第3部 日本語を教える
 第9章 道場破り−−小学校の巻
 第10章 道場破り−−中学校の巻
 第11章 授業というライヴ−−高校の巻
あとがき

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2009/10/22 23:06

投稿元:ブクログ

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2017/12/07 16:02

投稿元:ブクログ

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