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商品説明
都市が名もない人々の記憶で埋め尽くされているのだとすれば、都市論はその記憶を歴史的に構築する作業でなければならない…。現代都市の諸相をめぐる分析であり、べンヤミンへのオマージュでもある『10+1』連載。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
田中 純
- 略歴
- 〈田中純〉1960年生まれ。東京大学卒業、同大学院修士課程修了。東京大学大学院総合文化研究科助教授。表象文化論、ドイツ研究を専攻。著書に「残像のなかの建築」「ドイツ」など。
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紙の本
自著を語る
2000/07/23 16:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:田中純 - この投稿者のレビュー一覧を見る
跋文からの抜粋により、自著紹介に代えたい。著者HP
夏の終わり、ポルボウの断崖の上、乾いた大地にはサクラソウに似た薄紫色の小さな花が、枯れ草の狭間に咲いていた。地中海を望む白い共同墓地の片隅に、荒削りな岩と黒い石板からなる彼の記念碑を見つける。まだ幼いサボテンが寄り添うようにそのかたわらに育つ。人けのない墓地のなか、手にしていた小石を岩の上に重ねた。遠く列車の音。ダニ・カラヴァンの《パサージュ》、その階段を下り、亀裂の入ったガラスを透かして、砕け散る波を見つめた。
都市、都市的なるものをめぐって書き継がれてきた一連の論考に書物というかたちを与える前に、私は自分がこの土地——ヴァルター・ベンヤミンの生が唐突に断ち切られた町——にどうしても立たなければならないと思った。本書は彼に献じられたささやかなオマージュである。ベンヤミンが言うように、都市が名もない人々の記憶で埋め尽くされているのだとすれば、都市論はその記憶を歴史的に構築する作業でなければならない。私はこの書物が彼の意志に沿うものであることを願った。そのようなものに現になりえているかどうかはわからない。けれど、ポルボウで私はそうあってほしいと祈り、書物の代わりに石のかけらを記念の岩に捧げたのである。
都市論を語るとき、ベンヤミンの名を引くことはあまりに常套的な身ぶりになってしまった。にもかかわらず、ベンヤミンにおける「都市」という「方法」がその拡がりにおいて十全に捉えられたとは言いがたい。雑誌『10+1』で本書に収められた論考を連載し始めたとき、私はそんなもどかしい思いに駆られていた。それゆえにこの連載は、現代都市の諸相をめぐる分析であると同時に、ベンヤミンの方法をその分析において活用しながら方法論的に再考するための場となったのである。
本書のエピローグはそうした方法論的考察の中間的な結論である。私はそこで自分の方法に「都市表象分析」という名を与えた。それが扱おうとしているのは、夢と覚醒、表象と現実、古代と近代、遠さと近さが渦巻くような律動のなかで交錯した世界である。私はその二重化した像を通して都市という廃墟の誕生と死を透かし見ようとした。本書の諸章は、さまざまな両義的形象に導かれるまま、あちらこちらと坑道のように掘り進まれ分岐していったパサージュにほかならない。
これは何よりもまず都市に寄せる愛と欲望を主題とした書物である。もちろんそれぞれの論考は現代都市の理論的・歴史的分析を志している。しかし、そこでは同時に、この愛と欲望が結晶した奇妙な形象——都市のエンブレム——の蒐集が繰り返されていた。1499年にヴェネツィアで出版されたフランチェスコ・コロンナ作(アルベルティを本当の作者とする説もある)『ポリーフィロの狂恋夢』が、擬人化された都市である恋人ポリアをめぐる主人公ポリーフィロの夢に現われた謎めいた建築物などの叙述と図版によってルネサンスの都市嗜好症を記録していたように、本書はその500年後の世紀転換期における都市をめぐる「狂恋夢」の夢分析として、後期資本主義社会のさまざまな夢の形象を集めたエンブレム・ブックであることを秘かに切望しているのである。そこには私が十代の終わりに読み耽り、この奇書の存在をはじめて教えられた澁澤龍彦のエッセーからの、無意識的な影響があったのかもしれぬ。もとより、玩物喪志は意図するところではないが、都市という夢に酩酊する危険を冒さぬかぎり、形象との遭遇など望むべくもないのである。
追記:デザインの一部をなす帯を外した写真が使われているため、秋山伸氏による装幀が無残に裸にされてしまっている。鈍い銀色に輝くこの書物を是非手にとってみていただきたい。
紙の本
迷子になる才能
2002/07/08 02:23
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あおい - この投稿者のレビュー一覧を見る
人が自分たちの生活する場所を<都市>として発見したときに、記憶の迷宮の中で迷子になる才能が試される。ベンヤミンのパッサージュ論を起点とし、二十世紀の都市論を存在論的な位相として捉え、個々の文章をモザイクのように配列した本書は、充実した索引と、やや青臭い勢いのある目次を眼で辿りつつ、目に留まったところから雑然と読まれるべき本であると思う。多く含まれる写真図版や注釈も、そういった脇道にそれる読書のために役立つし、何より、新書サイズのコンパクトな装幀が、この本を書斎でではなく街へ出て、移動しながら不意の思考の谷間へ迷子になる瞬間を誘って止まないものだからだ。
この本から、何か役に立つ、あるいは<問題>的なモチーフを探すことはやめよう。ここに収録された文章は、きっと、花束のようなものだ。花は愛でるものであって、そして誰かにまた手渡すものだからである。