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  • みんなの評価 5つ星のうち 3.8 5件
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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2000/04/01
  • 出版社: 亜紀書房
  • サイズ:20cm/231p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-7505-9903-4

紙の本

なぜ公立高校はダメになったのか 教育崩壊の真実

著者 小川 洋 (著)

高校の「公私逆転」はなぜ起こったのか。教育の荒れ、偏差値追放、あらゆる問題の根は、戦後復興から高度成長にかけて、都市に人間が流れ込み、そして郊外へと移り住むという「人口大...

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なぜ公立高校はダメになったのか 教育崩壊の真実

税込 2,420 22pt

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商品説明

高校の「公私逆転」はなぜ起こったのか。教育の荒れ、偏差値追放、あらゆる問題の根は、戦後復興から高度成長にかけて、都市に人間が流れ込み、そして郊外へと移り住むという「人口大移動」にあることを明らかにする。【「TRC MARC」の商品解説】

週刊誌の『一流大学合格者ランキング』上位に公立高校の名前が見かけられなくなって久しい。その理由はいったい何なのか? 教育の荒廃、公立高校の凋落、さらには偏差値追放、いま教育が抱えるあらゆる問題の根は、戦後復興から高度成長期にかけて3大都市圏に2500万人が流れ込んだ“人口大移動”にあった。
鮮やかな切り口で高校教育迷走の正体を探る。【商品解説】

目次

  • 序章 公立高校の凋落
  • 第1章 “二つの階層”の出現
  •  1 若年人口の移動
  •  2 都市出身者
  •  3 郊外都市
  •  4 共通性と差異
  • 第2章 学校の“荒れ”と大学進学率の停滞
  •  1 校内暴力の激発
  •  2 大学進学率はなぜとまったのか
  • 第3章 公立高校、急増設の波紋

著者紹介

小川 洋

略歴
1948年東京生まれ。72年、早稲田大学第一文学部卒業。同年より埼玉県立高校教諭。87年から94年まで、国立教育研究所研究協力者として、「学校と地域社会との連携に関する国際比較研究」「高等学校における学科編成・履修システムの改善に関する総合的研究」などに参加。現在、聖学院大学助教授。

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みんなのレビュー5件

みんなの評価3.8

評価内訳

  • 星 5 (2件)
  • 星 4 (1件)
  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (1件)

紙の本

まあ、面白かったのが、第二次ベビーブーマーという最後の人口津波が到来する中で。大学はビジネス拡大のため大増員に踏み切り(その結果、「分数が出来ない大学生」が続出するのだが)、本書を読む限り私立中学校高等学校は増員はほとんどせず、その穴埋めを、もっぱら公立の新設校が引き受けさせられたとあるところだ。それだけ。

2010/03/05 14:01

11人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

手元に昭和52年9月に発行された文芸春秋デラックス「東京大学」という冊子がある。これを見ると昭和42年まで東大合格者高校別ベスト10の上位はほとんどが公立高校によって占められていたことがわかる。中でもダントツの実績を誇ったのが旧制東京府立一中の東京都立日比谷高校である。昭和39年までは日比谷(一中)、西(十中)、戸山(四中)、新宿(六中)、小石川(五中)等が上位を占め続けていた。その外延を固めていたのが神奈川県立湘南高校、千葉県立千葉高校、埼玉県立浦和高校、東京教育大附属高校で私立高校は麻布を唯一の例外として、ほとんど上位校に顔を出していない。当時、番町-麹町-日比谷という言葉があった。本当のエリートになるには東京都千代田区立番町小学校、麹町中学校を経て東京都立日比谷高校に入学するのが東大へ入る最短コースという意味だが、千代田区の小学校中学校に子どもを通わせるには千代田区に住んでいなければならない。このために千代田区の学校に何とか入ろうと越境入学する家庭が続出したのである。

これに劇的な変化が生じるのが、かの悪名高きオビトラらが進めたとされる東京都立高校の学校群制度導入で、これを契機に受験生及び受験生の親たちは、それまで「金持ちのバカが行く学校」と蔭で蔑まれてきた私立学校に雪崩を打って逃げ込んでいったのだ。この「逃げ」の受け皿になったのが、かつて兵庫県立神戸高校を落ちた落ちこぼれたちの受け皿だった灘。アソブ中学と揶揄され蔑まれていた麻布らである。

どうして都立が崩壊し、私立が隆盛したかについては『むかし〈都立高校〉があった』に詳しいが、一言で言えば受験競争を緩和すると称して学区を設け、これを細分化することで、それぞれの公立高校へ入学できる生徒の母集団を細切れにしたことが大きかった。それまで自由競争原理の下、膨大な受験生の母集団をかかえ、その上澄みをすくい取っていた公立進学高校を受験できる生徒をそれぞれ大幅に絞れば、当然、生徒全体のレベルも大幅に低下する。それを恐れた多くの親や子が「日比谷に追いつけ、追い越せ」と生徒の受験指導に力を入れていた私立の門戸を叩くようになったのである。

都立高校が崩壊したあとも、湘南、千葉、浦和といった東京周辺の公立校はその地位を保っていた。その栄光は昭和60年前後まで続く。この頃までは、これら三校は50名前後をコンスタントに東大に送り続けていたのである。しかし、その後、これら三校も急速に没落する。都立高校並みの学区の細分が神奈川、千葉、埼玉でも実行され命運は尽きたのである。

上記のようなことは本書には一切書いていない。「公立高校はなぜダメになったのか」とタイトルにあるのだから、当然、かつては名門進学校の名を欲しいままにした公立進学高校の没落の話が中心かと思って本書を手に取ると、その期待は見事なまでに裏切られる。本書には往年の名門進学高校の話は、ほとんど全く出てこない。出てくるのは第二次ベビーブーム世代の受け皿として大量増設された公立の新設校の話ばかりである。なんのことはない。初めから「どこの馬の骨か解らない学校」が「やっぱり馬の骨だった」と解って、「市民」から見捨てられ、定員割れを起こして、「教育困難校」になったという、ただそれだけの話だ。

しかもだ。著者は後半に入ると、あらぬ暴走を始める。その兆しは冒頭からあって、著者もご他聞に漏れずマルクス主義者にありがちな単純な二項対立図式と階級論を振り回して論を進めるのである。曰く「公立の底辺校に参集したのは、戦後農村から首都圏に移住してきた中卒労働者の子弟」であり「公立の進学校を経て有名大学に入り社会の支配層になったのは、もともと首都圏に住んでいた都市の住民の子弟」なんだそうだ。この決め付けからして、かなり怪しいが、更に論を進め「受験競争を過熱させているのは階級利得の維持を学歴の獲得を通じて子弟に伝承させようとする都市住民既得権層のエゴで、これを放置しておくと教育が荒廃し、社会階層は固定化し、日本は崩壊に向かう」ので「高校受験を廃止し、すべての生徒が全ての高校に無試験で入学できるようにしろ。そうすれば公立高校は復権する」などと言い出すのである。ここで「こいつ、何を狂ったことを言い出すのだ。こいつはバカか」と思ったあなた。あなたは正しい。

この著者の「公立高校の復権」は復権に意味が違う。著者は公立の進学校が嫌いだし、そこへ生徒を送り込む「都市の恵まれた家庭」も嫌いだし、進学校に通う「出来る生徒」も嫌いである。彼の目にあるのは、じしんが渡り歩いた埼玉県の底辺校「だけ」である。もともと高校進学にも大学進学にも適さない「低学歴」生徒を集めたから公立の新設校が予想通り底辺校になって、そのうち生徒からも生徒の親からも見捨てられ定員割れを起こすまでに零落したわけだが、それなら入学試験のハードルをあげ受験指導に力を入れて出来る生徒のみを集めればよいように思うのが公立復権の道だと。私は思うのだが著者は思わない。貧乏人、底辺層の味方を任じる著者にとって、公立エリート校の復活は「あってはならないこと」であるらしい。出来る生徒から忌避され、バカが大量入学したから公立がダメになったはずなのに、無試験にして更にバカを集めることで、どうして公立が復活するのか。著者の意図は、地域の公立高校に無試験で半強制的にすべての生徒を入れることで公立高校の定員割れを防ぎ、自分たち公立高校の教員の職場を確保しよう。ただそれだけが狙いなのである。

著者は「教育に市場原理を持ち込むな」と叫ぶ。かつて私は国立地方大学のプーな教員と教育について論争したことがあったが、そいつも市場原理が大嫌いだった。どうしてこうなるのか。理由は簡単である。第二次ベビーブーマーという人口津波が去って急速に少子化が進む日本では増え過ぎた大学の淘汰廃校と増え過ぎた公立新設校の閉鎖廃校は待ったなしで進む。進まざるをえない。それが解っているから彼らは叫ぶのである。教育に市場原理を持ち込むなと。生徒が集まらない大学にも予算をつけて維持しろと。定員割れした新設校を整理統合するなと。なんのことはない。彼らは教育の名を借りて、自分の地位の保全を訴えていた。ただそれだけのことだったのである。こういう志の低い連中を教育に関する議論から排除しないと、「教育論争は不毛」であり続けるだろう。

日本の教育論で特徴的なのは市場原理の忌避と階級論との抱き合わせである。金持ちがカネにモノを言わせて子どもに高い教育を施し高い学歴を得させて社会階層の伝承を行っていることを「悪いこと」「あってはならないこと」とする視点である。しかし所得の多寡に関わらず親が子を思う気持ちに変わりが無いとすれば、教育熱心な金持ちはどんなに制度が変わろうとも優位であり続けることを我々は認めねばならない。ただカネさえかければ子どもの成績が伸びるわけではないことは『なぜ「教育が主戦場」となったのか』に書いてある通りだ。

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2008/07/19 02:24

投稿元:ブクログ

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2011/02/15 10:07

投稿元:ブクログ

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2021/06/22 08:48

投稿元:ブクログ

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2019/01/05 10:06

投稿元:ブクログ

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