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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2000.4
- 出版社: 新潮社
- サイズ:20cm/213p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-10-590018-8
紙の本
朗読者 (Crest books)
15歳のミヒャエルが体験した初めての切ない恋。けれども21歳年上のハンナは、突然失踪してしまう。彼女が隠していた忌まわしい秘密とは…。出版後20言語に翻訳された世界的ベス...
朗読者 (Crest books)
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商品説明
15歳のミヒャエルが体験した初めての切ない恋。けれども21歳年上のハンナは、突然失踪してしまう。彼女が隠していた忌まわしい秘密とは…。出版後20言語に翻訳された世界的ベストセラーの日本版。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ベルンハルト・シュリンク
- 略歴
- 〈シュリンク〉1944年生まれ。社会派の弁護士として活躍しながら、小説を発表。現在、フンボルト大学教授。ドイツのミステリー大賞を受賞している。
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紙の本
ベストセラーっていうのは、ブームの後で読んでこそ、真価が見えてくる
2002/11/14 20:20
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
今では、ミステリの探偵のゼルプ・シリーズまで紹介されているシュリンクだけれど、ブームの火付け役となったのはこの本。今更なにを、と言われそうだが、やっと落ち着いて語ることができる時がきたような気がする。日本では高井有一『時の潮』が出て、昭和に区切りをつけたような言われ方をしているが、『朗読者』と比べると、その慟哭の深さの違いに、やはり日本人は第二次世界大戦にすら引導を渡していないと思ってしまう。
この本が出版された2000年には、「少年と年上の女性との純愛」を謳い文句に、映画化だ何だと騒がれ、ベストセラーとなった一冊。今こうしてブームが去った後で手にしても、カバーのスカルプチャー写真の優しげなところや、クレストブックシリーズに共通する清楚なブックデザインも文句なく、頁数も手頃で、紙質のせいか本が軽くて、と売れる条件は満たしている。しかし、読めば本の見た目の印象と全く異なり、ずっと奥が深いことに気付かされる。第一章は恋愛、第二章は一転してナチス関連の裁判が扱われ、この章のウェイトが重い。
舞台はドイツ。学校の帰り道、気分の悪くなったミヒャエル少年を介抱してくれたハンナは、二十歳以上歳の離れた女性だった。少年が知った若き日のハンナは、ドイツの企業ジーメンスに勤め、その後、軍に勤務し女看守として戦後を迎えたという。ミヒャエルが出会った時の姿からは想像も出来ない過去。濃密でいながら、少年の一方的に近い恋愛は、彼女が町から姿を消すことで終止符をうつ。
それから二十年、探し出したハンナとの再会を迎えるミヒャエル。何故、彼女は彼の前から姿を消したのか、彼女の沈黙の意味は。こういう部分は、ミステリで名をあげた作家らしい。第二次大戦とナチズム、戦争犯罪の意味など、あまりに重いが故に日本では語られない内容が、戦後のドイツを舞台に、静に描かれる。
この作品は、安易にベストセラーになり、簡単に忘れられていいものではない。内容こそ全く異なるが、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』のように長く静かに読み継がれるべきものだろう。ややもすると日本では、少年との官能的な愛があがかれる第一章ばかりが注目されたが、小説後半、戦時下で自分の思いとは異なる人生を送らざるを得なかった人々の、戦後の苦渋に満ちた生き方にこそ目を向けたい。
紙の本
出版されて1年後に読む。戦争が残す世代をこえた傷や、文盲を含む貧しい労働者を熱狂させたナチス、司法制度や宗教における「裁き」の意味などを考えさせられる。
2001/04/14 13:43
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
ミンゲラ監督による映画化の進捗具合と、文庫化のタイミングが気になる2000年のベストセラーを、遅ればせに読んでみた。
15歳の坊やが年上女性に性の手ほどきを受ける。彼女は忽然と姿を消すが、法律家の卵となった男は法廷で再会する。女には、ナチ親衛隊員として強制収容所の看守をしていた過去があった。
−−さんざん紹介された本なので、このぐらいは知っていた。
そういう話が米国でも日本でも、ものすごく売れたというのはなぜなのだろうということが気になっていた。
読み終わってみると、いろいろな人の書評から受けていたイメージと少し違っていた。やはり、自分で読んで自分で感じないと意味がない…と認識した次第である。
小説には「社会」が書かれていてほしい。小説は社会を写す鏡で、それゆえ読み手が様々な人生を体験できる。加えて、歴史観と少しのファンタジー味があることが私が求めるものだ。
官能的な青い性体験を入り口に、わかりやすい文体で前戯よろしく読み手をスムースに導いてくれる。
世代の差や知識階級とつましい労働者の対比を読み取り、それぞれの生涯を規定してしまうような「性」の歓びと破滅という二側面にとらわれる。必要以上に欲情させないよう抑えているのかなと疑うぐらい、さりげない表現だという感じもする。
興奮は、むしろ後半にあった。「小説の可能性」「小説の魅力」がぎっしりと詰め込まれていたからだ。前半の展開で明らかになった二人の男女の資質が、作家が描こうとした「世界」に、あるいは人間社会全体に帰納されていく。
男は、女を愛したことの苦しみ、彼女をめぐる裁判に関して行動を止めた自分の過去などをひきずり、それをドイツの運命の象徴ともとっている。結果的にそこから解放されないことが暖かい家庭を築くことを阻み、離婚する。幼い娘もおり、彼の運命は娘の世代にも影響を与えるという構図をとる。
戦争の後遺症という問題がリアルだったからこそ、ベトナム戦争や湾岸戦争を経た米国でよく読まれたのかもしれない。
男はいわゆるインテリの家庭に育った。父は、カントやヘーゲルの研究者である。従軍を避けた。避けることができる階級に属していたのである。
片や女は貧しい労働階級の出である。読み書きを学ばなかったような…。彼女が「文盲」であったことが、タイトルにもなったこの小説の大切な要素なのだが、それが二人が属する社会の違いの象徴になっている。言うまでもなく、ヒットラー率いるナチスは当初、労働者の絶大な支持を得た。
この身分の違いは、ともすれば法の裁きにも影響する。グローバルスタンダードの名のもと、米国に規制緩和を奨励される日本の労働問題の裁判が、労働者をないがしろにした判決を下すのと同じである。
ここに厳格なクリスチャン家庭に育った主人公の法律家としての苦悩がある。「人を裁くとはどういうことなのか」という問いは、法律家としての作家が直面した深い問題なのかと思われる。
人間と社会に対する深い洞察の上に成り立った見事な本だった。
紙の本
三つの物語
2004/06/29 00:09
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:TOYOKUMA - この投稿者のレビュー一覧を見る
この物語の中には三つの物語がある。
一つめの物語は「恋の物語」である。15歳の少年ミヒャエルはある日、21歳年上の女性ハンナと出会う。そして恋に落ちる。もちろん最初は好奇心から。そしてだんだんと、15歳の少年は36歳の女性から、大人の「ものの見方と考え方」を学んでいくことになる。
ハンナはミヒャエルに本を読んでほしいと云う。ミヒャエルはその日を境にハンナのための朗読者になる。ハンナは熱心な聴き手であり、ミヒャエルの朗読する本の中で語られる物語の世界にどっぷりと頭まで沈み込む。時には悠々と泳いでみたり、時には溺れたりする。物語はそういう意味では海に似ている。静かな浜辺で、足元に寄っては返す波に足の指を濡らせて、のんびりと歩いていたかと思うと、いきなり大きな波が来て足元からさらわれてしまうこともある。ハンナはミヒャエルの読む物語を耳の中の大切な場所にそっとしまいこむ。朗読者であるミヒャエルはなぜ彼女がそんな風に物語を聞きたがるのか、全くわからない。そして、その理由がわかるとき新たな物語が始まる。朗読者ミヒャエルと聴く人ハンナの物語が。
「学ぶ」ということには2つの種類があるようである。つまり学校での勉強のように、文献や教師が語る言葉を通して知らない事についての知識を吸収していく作業と、修行中の料理人のように、自分よりも上の立場の人間の、動きや仕事の中から技術や知識を吸収していく作業。15歳の少年は21歳年上の女性のことを恋することによって、周囲にいる友人たちが子どもっぽく見える。女の子と話をする時も、同学年の友人たちのように、変に気を使ったり格好を付けたりすることなく、自然に振る舞えるようになる。人が自分よりも年上の人を愛したときには、必ずこういう錯覚を覚えるものなのかもしれない。つまり自分の存在が自分が思っている以上に大きく感じられるのである。けれども15歳の少年はやっぱり15歳の少年なのである。彼女がある日、ふっといなくなってしまった時、彼の中から自分を大きく見せていた魔法の力が消えてなくなる。
二つめの物語は『ある罪についての物語』である。その罪は戦争という極限状態の中で行われた罪である。アウシュビッツ。ポーランド南部の工業都市。第2次世界大戦中、ドイツ軍が占領し強制収容所が設置された場所。そして4000000人以上の罪の無い人々が虐殺された場所だ。戦争さえ無ければ「普通の生活」を過ごすことができたかもしれない人々。「普通の生活」とは何かといえば、気持ちのいい朝の光りを感じたり、おいしい朝食を食べたり、夢を叶えるために一生懸命勉強したり、誰かの役に立つ仕事をしたり、夕日の美しさに一日の疲れを忘れたり、道で素敵な人を出会ったり、子どもの寝顔を見て小さな幸福を感じたり、喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだりすることができる生活のことである。そういう生活を蹂躙する権利は誰にもないはずなのだけれど、戦争という極限状態に置かれた場合、人間は何をやってしまうかわからないものである。それは歴史が教えてくれる。
三つめの物語は『朗読者と聴く人の物語』である。ハンナはその罪により牢獄に入ることになる。ミヒャエルは一度はハンナのことを忘れようとして結婚し、普通の生活をしようと試みるがうまくいかなくなってしまう。そして彼は行動する。本を朗読した声をテープに吹き込み、独房にいるハンナに送り続けるのだ。何年もの歳月が流れるが、朗読者は朗読し続け、聴く人は彼の声を聴き続ける。なぜ彼は朗読者として生き続けるのか、そして彼女はどうして聴く人として生き続けるのか?
その秘密を知るとき、何かが心の中でふくらんでいくのがわかるかもしれない。それはとても素敵な感情である。
紙の本
愛する事は罪か?
2000/09/17 15:08
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ロブコップ - この投稿者のレビュー一覧を見る
先輩の「涙がぽろぽろ出てとまらなかった」という感想を聞いていなかったら、絶対手にしなかった本だと思う。広告の文章を見て、てっきり「悲恋モノ」と私は誤解したのである。ロマンティックな先輩だが、悲恋モノを読んでも、泣くところまでは行かない人であるから。
ストーリーは3章からなる。36歳のハンナに恋をする、15歳のミヒャエルの話である。私がもし思春期であれば、第1章は、ポルノ小説として読んだだろう。そして2章3章はどう考えたか、それは今となってはもうわからない。
ハンナはある日姿を消す。そして失踪したハンナとミヒャエルは、被告人(女看守)と、裁判を研究する法学部の学生として、法廷で再会する。
愛する人を通じて、戦争犯罪の責任をどう考えるのかという重い問題に直面する、ミヒャエル。主題はここにある。それも、戦争に直接かかわった事のない世代の人間の責任とはなにかという主題。
ただ、ハンナにとっては、「アウシュビッツの罪」よりも人に隠したい事があった。人類史上最悪の犯罪よりもまだ隠したい事とは何か?自分が文盲であることである。そんなと思われるかもしれない。在日韓国人である私にはよく分かる。私のオモニがそうだったからであり、知り合いのハルモニが現に、そうであるからである。
日本では最近、戦後民主主義を「自虐史観」として非難する立場と、それに反対する立場との間に論争があったが、戦後のドイツでも戦争犯罪に対する責任をどうとるかという問題が過去に、歴史論争として存在したのである。その論争に続く、新たな問題提議といえる。ここでは、人類史上最悪の犯罪が相対化されている。この本がドイツで、大きな波紋を呼んだことが容易に想像される。
戦勝国アメリカでも200万部のミリオンセラーとなったという。それは何故だろう。アメリカもヴェトナム戦争では敗戦国であったからなのか?戦勝国、敗戦国の枠を超えて、個人としての人間の責任のとり方とは何かという、普遍的な問題提議を含んだ文学であるからだと私は考えた。
日本にも一石を投じる本となろう。ミリオンセラーとなるかは、日本人がどれほどこの問題を真摯に考えているかの試金石になるかもしれない。
戦犯罪者を愛する事は罪か?あなたならどう答えるだろう?
紙の本
朗読者
2004/06/24 12:50
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ファー - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦争に関わった人。戦争を支持した前の世代。目に見える犯罪者と一般の大衆の違い。被害者からはハンナは決して許されることがないし、許され得ない。しかし反省し努力した日々は、主人公には、認めてらいたかっただろう。主人公は、決局ハンナから逃げてしまった。ハンナを自分の非現実的な、「特別なもの」「それ以上にはならない存在」にしてしまった気がする。そして、ハンナはそれ以上現実の世界にはいられなくなってしまった。彼女自身は、社会への復帰を願っていただろうに。唯一のつながりであった「坊や」。結局は「坊や」も、自分の弱さに気付きながら、黙認した。親の世代のように。どちらも繊細で傷つきやすく、弱かった。悲しすぎる最後だと思うが、だからこそリアルで、考えさせられた。弱さゆえに失ってしまった景色、心の満たされた生活への憧れの想いは、胸を締め付けて、涙が止まらなかった。
紙の本
重たい物語
2001/06/21 16:09
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かもめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「21歳も年長の女性と少年の恋愛」というキワ物的な面が強調されていたので、長らく敬遠していましたが、読んでみてよかった。この物語には、私たち日本の戦後世代にとっても、考えなくてはならない重要なテーマがたくさん含まれていると思います。
少年の視点から書かれているので、前半部は確かにきれいな初恋物語ですが、相手の女性にとって二人の関係が恋愛といえるようなものでなかったことは、「坊や」という呼び方を最後まで崩さないことからもわかりますし、かといって単純なラブアフェアーでもなかったことが、読み進むにつれて明らかになります。
ナチズムは突然湧いて出た異物ではなく、ある種の必然に支えられて広まったのだということ、当時ナチズムを支持した人達の置かれていた深刻な状況…表立って語られることはないが、主人公の現在と切り離せないこれらの重たい問題が、底に流れ続けます。そしてそれが「ユダヤ人には似つかわしくない問題」だったことが、ナチス・ドイツを過ちの第一歩へ押し出したのかもしれません。「自由になるためにこの物語を書いた」と大人になった少年は言います。
何かにとらわれることなく、自由に真実を見つめることが、未来の過ちをふせぐ唯一の方法なのです。しかしそれはなんと苦しく困難な道でしょうか。
紙の本
多くを語る必要はない
2001/04/13 12:06
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投稿者:プラム - この投稿者のレビュー一覧を見る
本当に悲しい出来事があった時、涙は出ないものだ。同じように、本物によいものに出会った時は、賞賛の言葉を並べ立てる必要はない。
20年ちょっと生きてきて、これほど美しく、そして悲しい物語に出会ったのは初めてだ。
「朗読者」
このシンプルな響きと共に、この物語はいつまでも私の脳裏に焼き付いて残るだろう。
紙の本
15歳の恋の行方とその終末
2001/02/08 19:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ワクロー3 - この投稿者のレビュー一覧を見る
4行くらい読んだだけで、ああ、いいなあ。この小説の空気がとてもいいなあ、と思いました。もともと、ドイツオーストリア文学が好きなので、これまでにもはまった小説が多かったのも下地になっているかな。
シュテファン・ツバイクの『女の24時間』とか、シュニッツラー『輪舞』という19世紀の作家や、ギュンターグラスの『ブリキの太鼓』をよんでいるときと同じトリップ状態に入ってしまいました。いきなり。
もちろんその直後から始まる15歳の少年と、ハンナの恋の行方が、強烈に印象的ですよねー。
だれもが一度は味わう恋の情熱の描写が、自分自身の思い出のように回想されてしまい、小説を読んでいるのか、自分の人生を振り返っているのか、境界がとても曖昧になってしまいます。
僕は通勤のバスの中でしか、読書をしないので、まとめて20ページを読むのがせいぜいですが、『朗読者』の世界は、小説を読んでいないときでも、仕事をしているときでも、ご飯をたべているときでも、同僚と打ち合わせをしているときも、ずっと、あの二人の関係のことが、目の前に広がっているような気持ちになりました。
ふたりの関係が、終わってしまったあとからが、この小説の次の山場ですね。恋愛時代の熱情が、どういう状況で維持されていたのか。主人公が裁判を通じて知って行くところが、孤独な気持ちをかみしめる。。まるで自分自身がそうであるかのように。
読み終えるのが惜しくて、一気にはとても読めませんでした。
後半になり、どうしてハンナが朗読者を求めていたのかがだんだんにときおこされるのですが、いったいどんな結末になるのか。二人の行方が気になります。気になったまま、週末を読まずに過ごそうと思っています。
紙の本
複雑な恋の2乗
2001/01/04 03:14
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:読ん太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
15歳の少年、ミヒャエルはふとしたきっかけで母親ほどに年の離れたハンナと恋に落ちる。
突然のハンナの失踪で傷心のミヒャエルが、数年の後ハンナとの再会を果たす。裁判所において。傍聴人と被告という立場で。
ハンナはかつてアウシュヴィッツで働く看守であったのだ。
この物語はミヒャエルの語りで綴られていく。
ミヒャエルの若者らしい一途さがよく表れていて、それで一層未来のはかなさがきわだってくる。精気あふれる少年と熟女の恋がハッピーエンドで終わらないのは世のつねである。
ミヒャエルがハンナと再会しさえしなければ、この手の恋ぐらいでミヒャエルの一生が左右されるはずもなかっただろう。
そこには暗く陰鬱な歴史的背景が存在した。
ミヒャエルの親の世代は、あのヒトラーが猛威をふるっていた恐ろしい時代と重なっていた。そして、その子供達は世界中から非難される暴君の存在を、恥辱や恐怖の入り混じった複雑な気持ちで感じていたのだと思う。そして、同じ時代に存在していた大人達にも同じような複雑な感情をうっすらと抱いていた。自分の親に対してまでも。
ミヒャエルの恋人ハンナは、その時代に存在したというだけでなく深く関係した人物であった。
それはミヒャエルにとって、ハンナが最高でもあり最低でもあるという複雑なものになり、その内懐かしく思い出せるであろう過去にはもはやなり得なくなってしまった。
また、法廷でのハンナの凛とした様子や、自分だけが知るハンナの心境などがよけいに過去のものとして封印できるものではなくしてしまっていた。
悲しい物語だった。
法廷でハンナが裁判長に向かって「あなただったらどうしましたか?」という問いがいつまで心に重くのしかかった。
紙の本
朗読者
2000/10/29 22:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:螺旋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
例えば、誰もいない日曜の午後、傾いた日差しが床にくっきりとコントラストをつくり、風が、まるでワイエスの描くようにレースのカーテンをやさしく揺らす、シンと静まり返った部屋に、ぽつんと一人取り残されたような時間を過ごしていたとしよう。そんな折りに、ふとしたきっかけで甦る思い出があるとすれば、それは身をよじるような悔恨やら後悔やら「ギャッ」と叫びださずにはおれないような、恥ずかしさ溢れる遠い記憶が相応しい。
シンとした部屋とは無縁の生活だが、苦さや恥ずかしで叫びたくなるような記憶には事欠かない。「悔恨」や「恥」を自己正当化で塗り固め、一応の体裁整えたつもりでいても、何かの弾みでボロボロと化けの皮がはがれ落ちてくる。『生きてるってなんだ−ろ−、生きてるってな−に?』そんな問い掛けが、ギャグにしかならないような世の中だからといって、生きてきた時間の重さは誰にも否定できない。詩は感情ではなく経験なのだ。とリルケは言っている。人は一生をかけて、蜜蜂が蜜を集めるように経験を集めるなくてはならない、そうして、それら数え切れない思い出の影から、『一編の詩の最初の言葉は生まれてくるのだ』とマルテも手記に書いていた。何と勇気づけられる言葉だろう。
強力な推薦文が並んだ新聞広告に興味を引かれて買い込んだ『朗読者』。ワイドショー的な興味、視点で見れば、これほどスキャンダラスで刺激的な素材は無いというくらいに、この本に描かれた関係や事件は市民的な価値観からは糾弾され断罪されても不思議はない。
だが、そうした視点からは決して見えてこない人間の姿というものがあり、それを明らかにする力を「文学」ともいうのだ。
「朗読者」が紡ぎだす言葉にはリルケの言う「経験」の重さがあリ、簡潔で端正な文章には、恥を知り、公正で豊かな精神が息づいている。 明晰さがもたらす秩序と、厳しさがもたらす美とをもって語られる物語は、どんな場所でペ−ジを開いても、じきに「静かなシンとした部屋」に草臥れたオヤジを運んでくれた。これを文学の力と言わずして何と言おう。
紙の本
一気に読むべき癒しの物語
2000/09/07 16:55
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ジュゴン - この投稿者のレビュー一覧を見る
このような小説を書く力量と見識のある執筆者が突然出現するとは、さすが欧州文明の底の厚さでしょうか。
主題は、実は、ナチスドイツに対する歴史的な罪悪感などではなく、きわめて個人的なトラウマを主人公がどのように癒すことが出来たのか、という、言いかえれば、小説が持つ普遍的なテーマであると思います。欧州伝統のビルドゥングス・ロマン、という見方もあるでしょうが、教養主義的な構成を敢えて排し、きわめて内省的なトーンで全編が流れます。音楽好きなかたは、ハイドンに似た精神的な落ち着き・透明感と寛容をお感じになるかもしれません。
世界的な売れ行きとのことで、地球規模で社会秩序や旧来の道徳的な価値観といったものが崩壊し始めている今日の状況の裏返しとも見えますが、大江健三郎型の自己崩壊に向かいがちなどこかの国と違い、さすが自立した精神を持つ、あるいは持たなければ生きていけない欧州の底力を垣間見せられたような気がしました。
今年或いは90年代を代表する作品かもしれません。とにかく一読をお勧めします。書評を読んでから買う、という行為に最も適さない本である、ということだけ最後に付け加えます。
紙の本
「朗読者」であるということ
2000/09/02 20:43
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:加藤四郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ミステリーふうの巧妙な話立て、感情移入しやすい文体などが評価されているが、それらがこの小説の真価を決しているのでは、もちろんない。
三部構成で、第一部は少年と年上の女性との関係を恋愛小説のように描いている。第二部は裁判所を舞台としたドキュメントタッチ、三部は事後談というような形で物語は展開していく。そして部立てごとに、主人公と女性との距離が変化していくのも巧妙である。もちろん物理的な距離でもあり、心理的な距離でもあるが、その距離の変化が、彼の「罪悪感」をあおることにもなる。
「罪悪感」とは、彼の「朗読者」としての罪悪感である。彼はつらい過去を背負っている彼女を救うこともできず、ただ物語を読んでやることしかできなかった。当事者でも、傍観者でもない「朗読者」。それがあらわすのは恋人同士の関係の本質でもあり、世代間の葛藤でもあり、戦争責任へのまなざしでもある。そして、恋愛感情の変遷もあり、世代間の隔絶もあった二人を繋ぎ止めたのも「朗読者」としての彼の立場であり、その関係は最後まで続けられるのである。
これは罪悪感を感じながらも「朗読者」であり続けた、そうせざるを得なかった一人の男の物語である。「罪悪感」という現代ドイツ文学の重要なテーマを掲げながら、全世界に受け入れられる物語へと昇華したことに、この小説の真価はある。
紙の本
悲しい恋の物語
2002/07/01 19:45
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ピエロ - この投稿者のレビュー一覧を見る
15歳の少年と36歳の女性の、甘くほろ苦く内緒の恋。危ういながらも、まだ続くだろうと思えたものが、女性の突然の失踪で終わりをむかえる。数年後、何度か恋愛をしてみるものの、何か満たされない思いを抱いていた少年(もう青年になってるけど)は、意外な場所で女性と再会する…。
年齢の離れた恋愛、初恋(初体験)に高揚と不安、満足と後悔を繰り返す少年の心、失踪に隠された恋人の秘められた過去と姿。恋愛小説にはありがちな話です。が、それでも、とても心に染み入ってくる、美しく鮮烈で悲しい恋の物語です。
紙の本
是非再読して欲しい作品
2001/09/02 11:17
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:katu - この投稿者のレビュー一覧を見る
一読胸が締めつけられ、再読して哀しみが深くなった。
15歳の少年ミヒャエル・ベルクは黄疸にかかり、学校の帰りに吐いてしまう。そんな彼を介抱し家まで送ってくれた女性がいた。ハンナ・シュミッツ、36歳である。病気の治ったミヒャエルは、花束を持って彼女の家へお礼を言いに行き、そこで彼は恋に落ちた。一週間後再び彼女の家を訪れたミヒャエルはハンナと男と女の関係になる。
二人は毎日のように愛し合った。そしてミヒャエルはハンナの求めに応じて本の朗読をするようになる。ところがある日ハンナは忽然とミヒャエルの前から姿を消してしまう。ミヒャエルがハンナと再会するのは、数年後、思いもかけない場所でである。彼女にはミヒャエルには言えない秘密があったのだ。
物語はミヒャエルの回想という形で進められる。それが余計に哀しさを増幅させるのだ。あとがきにも書いてあるが、この作品は是非再読して欲しい。再読して初めて合点がいく箇所がたくさんある。ハンナがミヒャエルに対してどういう気持ちでいたのかも再読して初めて胸に沁みいるようにわかる。
非常に哀しくて、美しい物語である。ベストセラーも納得の一冊。
紙の本
忘れてはいけない恋の話
2001/01/27 23:37
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:げんねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初の数ページを読んで、一瞬失敗したと思った。でも、それからページを捲る手が止まらなかった。それは涙も。主人公とアンナが自転車旅行に出るシーンがたまらなく好きです。血なまぐさくない、でもしっかりとアウシュビッツな本でした。あの戦争は、あの時で終わっていないんだ。続いているんだというメッセージが強烈でした。