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アメリカ文学のレッスン (講談社現代新書)
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目次
- ●名前
- ●食べる
- ●幽霊の正体
- ●破滅
- ●建てる
- ●組織
- ●愛の伝達
- ●勤労
- ●親子
- ●ラジオ
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紙の本
著者の高みに近づくには、まずは貪欲に読み倒すことだろう
2010/05/03 19:26
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
今から10年前の2000年に出版された一冊です。
アメリカ文学専攻の当時東京大学助教授だった著者が、「名前」「食べる」「幽霊の正体」「破滅」「建てる」「組織」「愛の伝達」「勤労」「親子」そして「ラジオ」という10の章立てで近代から現代のアメリカ文学を腑分けしていくという趣向です。
例えば「建てる」の章で著者は、<自己創造の意志が外の世界に投影されるとき、アメリカ文学では「館」を建てる(あるいは買う)という形をとることが多い>。要するに<家を作るということは自分を作ること>であり、「グレート・ギャッツビー」や「モスキート・コースト」などを参照しながら、<自己創造の意志が強烈であればあるほど、その人物が建てるhouseがhoumeでない度合いが強くなる>と読み解きます。
著者は、計り知れないほど大量のアメリカ文学を食べて消化した上で、そうしたアメリカ文学に織り込まれた共通項のような何ものかを読み解こうとしているわけで、私のような一般読者にはとてもマネのできない芸当です。
それでも著者がいうには「一つひとつの作品について述べていることはそれほど目新しい話ではなく、アメリカ文学研究者のあいだでは常識・旧聞・昨日のニュースに属する事柄がほとんど」なのだとか。とてもそのようには見えませんが。
そしてエピローグで、著者は自戒を込めて文学を「消費する対象」としてではなく、「自分が世界とどうかかわったらよいかについてのレッスンを受ける」という姿勢で読むことの重要性を訴えています。
著者のように能動的に読むことを実践することは一夕ではかなわないことですが、アメリカ文学により深くに分け入ることが出来る喜びを求めるに努めて目指すべき方向めいたものは、少なくとも見出せた気がします。
紙の本
アメリカ文学の愉悦
2001/11/14 18:34
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:呑如来 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ポール・オースターの翻訳で有名な翻訳家柴田氏が、その絶妙な語り口によって「食べる」「建てる」「親子」などの10のキーワードで様々な小説を読み解いているのだが、これがその作品を知らなくても楽しめる上に、柴田訳で読んだら実際に作品を手にとって見たくなるものばかり。
ヘンリー・ミラーやブコウスキー、フィッツジェラルドに関する解釈も、他の批評家のそれより親しみが持てるし、翻訳家ならではの作品に対する愛が随所に感じられる魅力的な本である。
紙の本
理想の授業
2002/01/10 12:42
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代英米文学の翻訳紹介者として著名な著者によるアメリカ文学講議。容易に想像がつくことだが、古典文学を扱わせても抜群の冴えを見せる。作品のさわりの翻訳がまず素晴らしく、解説には随所に達見が光る。続編を熱望する。
紙の本
自分と世界を更新すること
2003/09/15 20:16
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ある時友人に「アメリカ文学はすごいね」とうっかり口をすべらせたことがある。すかさず「たとえば?」と訊かれて「アーヴィングとかピンチョンとか…」と口ごもってしまった。
ちょうどその頃「二十世紀世界文学血読百編」という試みを始めたばかりだった。それは別の友人との会話でプルーストもジョイスもマルケスも(ついでに源氏物語も)まともに読んでいなかったことを深く恥じてのこと。当時はまだ十数冊ほどしか進んでいなかったのだが、フィッツジェラルドからミラー、ジェームズにフォークナー、アーヴィングにカポーティと、たまたまアメリカ製のものが続いていた。それらの作品が造形する世界はいずれも鮮烈な印象とともに、それまでほとんど海外の現代小説に接することのなかった私の臓腑に染み込んでいった。そうした経験が先の不用意な発言につながったのだが、考えてみるとそれは何もアメリカ文学のすごさなのではなかった。
「血読百編」の試みはいつの間にかあいまいになってしまったけれど、アメリカ文学への関心、というより傾倒はその後も(件の発言の「責任」をとるかのように)細々とながら続いていった。ピンチョンには相変わらず手が出ないものの、やがてオースターを知り、パワーズに惹かれ、そしてそれらの文学体験へのそれと気づかぬ導き手が翻訳家・柴田元幸だった。
柴田元幸の文章は、いくつかの翻訳書の解説や後書きで目にしたことがある。簡潔、的確に事柄の本質を衝き、それでいて書き手の息継ぎが聞こえてくるようないい文章だと思った。翻訳文が素晴らしいだけではなくて、名うてのエッセイの書き手でもあることは前々から耳にしていたが、どういうわけか翻訳書以外の柴田本を読む機会がなかった。
『アメリカ文学のレッスン』は、タイトル通りアメリカ文学への再入門を果たすつもりで手にした。実際、ふんだんに挿入された実作からの部分的翻訳や巻末の索引、ブックリストを眺めるにつけ、また「前口上」と「エピローグ」をはさんで「名前」「食べる」「幽霊の正体」「破滅」「建てる」「組織」「愛の伝達」「勤労」「親子」「ラジオ」といったキーワードのもと、マーク・トウェインからリチャード・パワーズまで自在かつ縦横に繰り出される話題に翻弄されるにつけ、そこから垣間見られる未開拓の文学空間(私にとって)の深さと広さに圧倒された。
しかし本書を読んで私が強く惹かれたのは、アメリカ文学そのものというより、むしろアメリカ文学に向かう柴田元幸の姿勢と覚悟であり、何よりも洒脱にして格調高いその文章の魅力だった。──以下、とりわけ力のこもった「エピローグ」から、本書のタイトルの由来を示す部分の抜き書き。パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』からの抜粋に続く文章で、本書カバーの見開きにも引用されている。
《パワーズの描く世界にあっては、人間は世界を作る存在であり、世界によって作られる存在でもある。対象が一枚の写真であれ、一人の他人であれ、第一次世界大戦であれ、我々はつねに共犯関係に巻き込まれ、つねに共謀関係に追い込まれている。世界を解読するたび、我々は自分というファイルを更新している。解読に「正解」はない。世界というファイル、自分というファイルの両方をどう豊かに更新するかが問題なのだ。それは、自分が他者の奉仕を受けて活性化される、というのとは微妙に違う。こうした考え方を通して、読み手は、自分が世界とどうかかわったらよいかについてのレッスンを受けることになる。》
紙の本
これから読む本のガイドブックに
2016/02/14 11:24
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:igashy - この投稿者のレビュー一覧を見る
元の本を知らなくても楽しめる文学レッスンです。
ただ、もちろん対象文学作品を読んだ方がわかるし、いっそう楽しめます。
私はこれで「アブサロム、アブサロム」「善人はなかなかいない」を読みました。
今後も良い参照書にさせて頂けます。