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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2000.6
- 出版社: 大和書房
- サイズ:20cm/251p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-479-84052-4
紙の本
米・百姓・天皇 日本史の虚像のゆくえ
支配者はなぜ「米」に固執するのか、「百姓=農民」は虚像か、農本主義と重商主義など、歴史の幻想と虚像はどこから生まれたか。先鋭な視点と緻密な論証によって、古代律令制から明治...
米・百姓・天皇 日本史の虚像のゆくえ
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商品説明
支配者はなぜ「米」に固執するのか、「百姓=農民」は虚像か、農本主義と重商主義など、歴史の幻想と虚像はどこから生まれたか。先鋭な視点と緻密な論証によって、古代律令制から明治政府に及ぶ、エキサイティングな対論。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
網野 善彦
- 略歴
- 〈網野〉1928年山梨県生まれ。専攻は日本中世史、日本海民史。
〈石井〉1931年東京都生まれ。東京大学大学院修了。現在、東京大学名誉教授、鶴見大学客員教授。
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紙の本
日本史の書きかえを迫る
2000/07/10 20:49
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投稿者:岡谷公二 - この投稿者のレビュー一覧を見る
同じ中世史学者の網野善彦氏と石井進氏の対談集である。日本史の本として珍らしくベストセラーに入った網野氏の近著。日本社会の歴史。「岩波新書」をめぐってのもので、話題は古代から現代に及ぶ。石井氏はもっぱらきき役だが、時には鋭い批判を加え、時には挑発して、対談は快い緊張感を孕みつつ進行する。
網野氏はこの中で、従来の日本史の見方に対し、いくつかの点で根本的な修正を迫っている。
律令により班田収受の制度が施行され、以後日本は米作中心の国となった、とは、今ではほとんど歴史の常識だが、網野氏はそれに異を立てる。制度はあくまで制度であって、実態とはかけ離れているのであり、これまでの歴史家たちは、あまりにも制度に従ってものを考えすぎた、という。古代から近世にかけ、とりわけ東国では、米作が農業に占める位置は、西国に比べればはるかに低かったのであり、流通手段が西では米だったとすると、東では絹織物であった。
制度上米作を根本に据えた国は、アジア、或いは世界中で日本だけだ、という説は興味深い。そして実際のところ日本人はごく最近まで、米を一般に常食にしてきたのではなかった。網野氏は、渡部忠世氏の言葉を引いて、日本人は米食民族ではなく、米食悲願民族だと言う。
養蚕、柿、栗、漆の重要性も網野氏の強調するところだ。これらはいずれも農家の副業とみなされ、それゆえ閉却視され、たとえば柿や栗の研究などは皆無にひとしい。しかし実態は決してそんなものではない。網野氏は農業を田畑の耕作だけに限り、それ以外は別の業種にするべきだと主張する。そうすれば、日本における農業の比重は現在考えられているよりはるかに下り、日本は農業を主とする国とは言えなくなる。
百姓イコール農民ではないとは、網野氏がここ数年来説き続けているところだ。田地を持たないばかりに、大きな船を持つ回船問屋や金持の商工業者が、文書の上で水呑み百姓扱いされている例は数多いとのこと。米が制度の中心であるゆえ、一切が米に換算されるため、さまざまな業種が、歴史の表面から消え去っているのである。
網野氏は、鎌倉時代以降の、私たちの予想をはるかに越えた商業の発達をも説く。十三世紀後半には、全国がすべて錢の世界になっていたという。その際、米が流通手段であったがゆえ、西国では錢の流通が東国より遅れたというのは面白い。ともかく株、手形、切手、為替、寄付、大引、飛ばし、談合といった今でも使われている商業用語がいずれも古語であることは、商業がいかに古くからこの国に根付いていたかを示している。
私たちはこの本を通じ、日本が従来の歴史で教えられてきたような、米作一辺倒の単調な国ではなく、思いのほか変化に富んだ、多様な面を持つ国だったことを知るのである。 (bk1ブックナビゲーター:岡谷公二/フランス文学者 2000.7.11)