サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

平成最後の読書一生分プレゼントキャンペーン(~12/9)

修正:レビューキャンペーン(1101-30)

  1. hontoトップ
  2. 本の通販
  3. 哲学・思想・宗教・心理の通販
  4. 哲学・思想の通販
  5. 大修館書店の通販
  6. ウィトゲンシュタイン全集 1 論理哲学論考 草稿一九一四−一九一六 論理形式についての通販

電子書籍化お知らせメール

商品が電子書籍化すると、メールでお知らせする機能です。
「メールを登録する」ボタンを押して登録完了です。
キャンセルをご希望の場合は、同じ場所から「メール登録を解除する」を押してください。

電子書籍化したら知らせてほしい

ウィトゲンシュタイン全集 1 論理哲学論考 草稿一九一四−一九一六 論理形式について
  • みんなの評価 5つ星のうち 3.4 5件
  • あなたの評価 評価して"My本棚"に追加 評価ありがとうございます。×
  • カテゴリ:大学生・院生 研究者
  • 発行年月:1977
  • 出版社: 大修館書店
  • サイズ:22cm/411p
  • 利用対象:大学生・院生 研究者
  • ISBN:4-469-11011-6
  • 国内送料無料
専門書

紙の本

ウィトゲンシュタイン全集 1 論理哲学論考 草稿一九一四−一九一六 論理形式について

著者 ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン (著),奥 雅博 (訳)

ウィトゲンシュタイン全集 1 論理哲学論考 草稿一九一四−一九一六 論理形式について

4,860(税込)

ワンステップ購入とは

ワンステップ購入とは、ボタンを1回押すだけでカートを通らずに電子書籍を購入できる機能です。

こんな方にオススメ

  • とにかくすぐ読みたい
  • 購入までの手間を省きたい
  • ポイント・クーポンはご利用いただけません。
  • 間違えて購入しても、完了ページもしくは購入履歴詳細から簡単にキャンセルができます。
  • 初めてのご利用でボタンを押すと会員登録(無料)をご案内します。購入する場合はクレジットカード登録までご案内します。

キャンセルについて詳しく見る

新刊お知らせメール登録

この著者の新着情報

一覧を見る

紙の本
セット商品

ウィトゲンシュタイン全集 12巻セット

  • 税込価格:58,860545pt
  • 発送可能日:1~3日

あわせて読みたい本

この商品に興味のある人は、こんな商品にも興味があります。

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

このセットに含まれる商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

この著者・アーティストの他の商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

みんなのレビュー5件

みんなの評価3.4

評価内訳

  • 星 5 (0件)
  • 星 4 (1件)
  • 星 3 (2件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

ウィトゲンシュタインの「青春の書」

2001/02/15 00:08

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る


 「私はなぜ私なのだろう」という思いをつきつめれば、「他ならぬこの私」が他者一般とは決定的にそのあり方を異にするものであることに行き着くだろう。もしそれが、哲学用語でいう独我論(唯我論)の弊に陥るものであったとしても、性急にそこからの脱出を図るべきものではない。

 「私」とは何か、そして世界とは何かをめぐって、精神の病への怖れと闘いながら徹底的な思索をめぐらせた若き日のウィトゲンシュタインは、後に『論理哲学論考』としてまとめられることとなる草稿の中で、次のようにその思索の痕跡を綴っている。

《世界霊魂がただ一つ現実に存在する。これを私はとりわけ私の魂と称する。そして私が他人の魂と称するものも専らこの世界霊魂として把握するのである。/右の見解は、唯我論がどの程度真理であるか、ということを決定するための鍵を与える。》

 ウィトゲンシュタインは、このうち後半部分を『論考』に採用し、引き続き次のように記述している。《即ち、唯我論が考えている(言わんとする)ことは全く正しい。ただそのことは語られることができず、自らを示すのである。》(『論考』5・62)《私は私の世界である。》(『論考』5・63)

 「私が私であること」の意味は、これらの断章のうちに究極の表現を得ている。少なくとも、私にはそう思える。《世界は私の世界である。》(『論考』5・641)そして、この世界でただ一つ現実に存在する世界霊魂を、ウィトゲンシュタインは「私の魂」と称し、他人の魂を「世界霊魂」として把握する。

 ここで注意しなければならないのは、ウィトゲンシュタインが、《私が他人の魂と称するものも専らこの世界霊魂として把握する》というとき、彼は私の魂と他人の魂が究極において一つのものだといっているわけではないということだ。世界霊魂と私の魂との関係は、他人の魂と世界霊魂あるいは私の魂との関係とは決定的に異なったものである。端的にいえば、私の魂は自己意識一般とは全く異なるものなのである。

 いや、より根源的に、そもそも私の魂は「他ならぬこの私」といった特殊な自己意識とも決定的に異なったものだといわなければならない。というのも、ウィトゲンシュタインが「世界=私の世界=私」という等式を示し、この世界のうちに「世界霊魂がただ一つ現実に存在する。これを私はとりわけ私の魂と称する」と記述するとき、「他ならぬこの私」をめぐる謎めいた意識の実在は、そのような認識を導く端緒あるいはそのような世界のあり方の痕跡としてのみ取り扱われているにすぎないからである。

 だが、これらのことはおそらく言葉では表現できない事柄である。なぜなら、私たちの言語の働きは、「他ならぬこの私」も私の魂も「私」一般も、したがって「他ならぬこの人」も他人の魂も他者一般も、最終的にはそれぞれの存在論的な差異を超えた意識一般のうちに分類してしまうだろうから。

 そこでウィトゲンシュタインは、「ただそのことは語られることができず、自らを示すのである」といい、「世界が私の世界であることは、唯一の言語(私が理解する唯一の言語)の限界が私の世界の限界を意味することに、示されている」というのである。

 彼は、後に言語の働きについてより立ち入った考察を加え、有名な「言語ゲ−ム」というアイデアを打ち出す。このいわゆる「後期」ウィトゲンシュタインが切り拓こうとした思索の方向には、それはそれで大変興味深いものがあるのだが、私は何よりもこの若きウィトゲンシュタインの「青春の書」をこよなく愛する者である。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

2011/01/25 20:36

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2010/05/24 15:37

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2013/07/22 16:23

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2011/10/12 21:44

投稿元:ブクログ

レビューを見る

西洋哲学 ランキング

西洋哲学のランキングをご紹介します一覧を見る

前へ戻る

次に進む