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紙の本
ジョジョの奇妙な冒険と併読する精神分析
2009/03/13 00:20
11人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ホキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書のタイトルだけを見て、サディスティックとかオカルト趣味とかを期待するのは間違いである。「悪について」というより、“人間性について”とか“生の全体性について”という方が、本書本来のニュアンスを捉えている。つまり、人間(個人・集団)が真に人間らしく生を輝かせるための方略を、真剣に論じた名著である。
★ ★ ★ ★
意外なところで、万人ウケしないが長い人気を誇る少年漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の人間観は、『悪について』と一致する。
『ジョジョ』の、少なくとも6部までの一貫したテーマは、「運命」という決定論が勝つか、「勇気と幸運」という非決定論が勝つかという構図の元、結局は両者の二者択一論を構成している。
たとえば、「自己の自由を獲得するため驚異的な努力をする《ならば》、必然の鎖を断ち切ることができる。」(p.199)という言説における、「必然の鎖」を、『ジョジョ』の、人生を呑みこんで無意味化する「運命」と読み替えることが可能である。また、その必然という『鎖に繋がれた』状態と、ジョジョ第5部の「人は運命の奴隷なのか」という問いかけとを重ねて読んでもよいだろう。
本書203ページの「勇気」は、まさに、『ジョジョ』における「運命」を切り拓く力の「勇気」と同じ概念である。1部でツェペリが「人間賛歌は勇気の賛歌」・ジョナサンが「策ではない、勇気だ」・ブラフォードが「ラック(幸運)とプラック(勇気)を!」と言ったまさにその「勇気」である。
逆に、「生に無関心となれば(中略)その人の「生」は終わりを告げていることとなろう」(p.205)とか、「生が終わらぬうちに生を否定する病気」(p.147)とかは、「勇気」と逆の立場であり、『ジョジョ』の中で、「生ける屍」として描かれているディオや、自分の生を生きない吉良吉影の位置づけと見事に対応している。
ディオ自身が「俺は人間をやめるぞ」と言っている。つまり、ディオは、“自分の生の充実を放棄した生はあたかも「死」である”という観念を具体化したキャラクターであり、そうした性質を持つ人間が、他者の生きるエネルギーを無意識のうちに奪っていくという事態は、エーリッヒフロムが言う「死へ向かう症候群」そのものである。
とどのつまり『悪について』は、『ジョジョの奇妙な冒険』と同様に、「人間賛歌」を奏でているのである。『ジョジョ』との併読をお勧めする。