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紙の本
演劇を語るなら。演劇を語るのではなくても。
2004/12/17 06:39
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Straight No Chaser - この投稿者のレビュー一覧を見る
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『なにもない空間』の冒頭の一節以上に、演劇行為を鮮やかに文章化したものは、存在しない。
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言語もまた、演劇行為の似姿として語られる。冒頭の一節のヴァリエーション。それはピーター・ブルックにとって生と演劇が切り離せないものだから。そして生と演劇は完全に溶け合うことなく、常に彼自身のなかで鋭く矛盾・対立している。彼はその矛盾を決して誤魔化さない。その矛盾の強烈さこそが力の源であり、輝きの源であることを信じているから。
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1)商業主義に毒された退屈きわまりない「退廃演劇」を脱して
2)不可視のものを可視化しようとする「神聖演劇」(たとえばグロトフスキー、ベケット)と、大衆演劇の猥雑なパワーに溢れた何でもアリの「野性演劇」(たとえばブレヒト)両者の力を二つながらに、その矛盾込みで保持しながら
3)「直接演劇」(たとえばシェイクスピア:「目に見えぬものに向かって必死の緊張をしたあげく、敗北に直面し、大地に突き落とされ、そしてまた始めからやりなおさなければならない」)へと至る。
そんな道筋を素描してみせたうえで、ブルックは『なにもない空間』に明確な区切り目をつけるようにして、一つの作業仮説を提示する。
<演劇=RRA>
Repetition(反復、稽古)
Representation(提示、表現、上演)
Assistance(援助、列席、観客)
読書空間(=もうひとつの「なにもない空間」)において示された<演劇=RRA>という作業仮説。それは、彼自身の生と不可分なまでに絡み合った演劇に関して、読者ひとりひとりの実践のなかで試され書き改められてゆくべきものとして発せられた、「生」そのものへの問いかけの言葉であり、仮初でありながら途轍もなくパワフルな虹の階梯である。
役者にとって、芝居が「反復」から「表現」に変わるためには、観客の「援助」が不可欠だ。そして観客は「援助」という形での積極的な「表現」への関与を通して、反復的な外界での生活を脱し、明瞭でありかつ一瞬一瞬が充実した生という特別の場所へと移し変えられる。(もちろん、役者も観客も決して特権的な場所にいるわけではない。)
演劇人ピーター・ブルックの言葉の、この炸裂具合!
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