- カテゴリ:一般 研究者
- 発行年月:1980
- 出版社: 東京創元社
- サイズ:19cm/337p
- 利用対象:一般 研究者
- ISBN:4-488-00651-5
紙の本
自由からの逃走 新版 (現代社会科学叢書)
現代の「自由」の問題は、機械主義社会や全体主義の圧力によって、個人の自由がおびやかされるというばかりでなく、人々がそこから逃れたくなる呪縛となりうる点にあるという斬新な観...
自由からの逃走 新版 (現代社会科学叢書)
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商品説明
現代の「自由」の問題は、機械主義社会や全体主義の圧力によって、個人の自由がおびやかされるというばかりでなく、人々がそこから逃れたくなる呪縛となりうる点にあるという斬新な観点で自由を解明した、必読の名著。【本の内容】
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紙の本
自由の悲劇
2006/11/01 18:02
18人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:桑畑三十郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は1941年に世に出たものだが、21世紀を驚くほど正確に予言している。
中世の階級社会において人間は、近代的な意味での自由はなかったが、孤独ではなく孤立していなかった。「生まれたときからすでに明確な固定した地位をもち、人間は全体の構造の中に根をおろしていた。こうして、人生の意味は疑う余地のない、また疑う必要もないものであった。」つまり職業選択や移動の自由はなかったが、「社会的秩序のなかではっきりとした役割を果せば、安定感と帰属感とがあたえられた。」
しかし、15,6世紀の社会的経済的な変化が、個人に次のような作用をもたらした。
「人間はとざされた世界のなかでもっていた固定した地位を失い、自己の生活の意味に答えるすべをなくしてしまう。」「彼は自由になった − いいかえれば孤独で孤立しており、周囲からおびやかされているのである。」「新しい自由は必然的に、動揺、無力、懐疑、孤独、不安の感情を生みだす。」
フロムによれば、資本主義は人間を伝統的な束縛から解放し、積極的な自由を大いに増加させ、能動的批判的な、責任をもった自我を成長させるのに貢献した。しかし「それは同時に個人をますます孤立したものにし、かれに無意味と無力の感情をあたえたのである。」
「資本の蓄積のために働くという原理は、客観的には人類の進歩にたいして大きな価値をもっているが、主観的には、人間が人間をこえた目的のために働き、人間が作ったその機械の召使いとなり、ひいては個人の無意味と無力の感情を生みだすこととなった。」
技術が発展し、誰が作っても同じ品質の商品が作れるようになった。逆にいえばモノに個性が入り込む余地がなくなった。働き甲斐が見えてこなくなった。資本主義が発展すれば、ニートやひきこもりが増えてくるのは当然の結果といえる。
またフロムは労働の観点からだけでなく、消費の観点からも述べている。
「独立した商人の小売店にやってくる客は、かならず個人的な注意をもって迎えられた。」ところが百貨店のばあい、「人間としてのかれはなんの重要な意味ももたず、「一人」の買手として意味をもっているだけである。」
デパートやスーパーで買い物をしても、ただモノを手に入れるだけで、売り手と買手との間にコミュニケーションはない。不景気な時代でも高級ブランド品は売れ続けたのは、客が個人として扱われたからだということがわかってくる。中小企業や商店街の復活が、今後の日本に必要なことであろうか。
教育についても鋭い考察を続ける。独創的な思考を妨害しているものとして「事実についての知識の強調、あるいはむしろ情報の強調というべきものである。」「何百というバラバラの知識が学生の頭につめこまれる。かれらの時間とエネルギーは事実をより多く学ぶためについやされ、ほとんど考える暇はない。」
これらは今のインターネット時代を正しく予測している。
また独創性の欠如が、意思的行為にもむすびついているという。「かれらは学校ではよい成績をとろうとし、大人になってからは、より多くの成功、より多くの金、より多くの特権、よりよき自動車を求め、あちらこちらに旅行し・・・」
まさに最近の風潮そのままであるが、繰り返しになるがこれは1941年に書かれている。フロムの先見性にただただ驚かされる。
紙の本
自由と規律
2006/11/02 20:09
16人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
フロムの言いたいことを私なりに解釈すると「自由とは放縦とは異なる。規律を伴わない放縦を自由だとカン違いすると、人間はやがて不安に駆られ自由を忌避し、自由を捨て去ろうとする」ということになる。これは池田潔さんが「自由と規律」で主張されていたことと、基本的には同じことである。自由にはルール無用の「ジャングルの自由」ときちんとした規制と監視を伴う「牧場の自由」がある。牧場という塀で囲まれた「枠」の範囲内で、牧場主の監視の下にいる限り羊達の安全は保障され、一定の範囲内での自由は保障される。しかし、牧場の柵を飛び越え、森の中へ羊が迷い込んだ途端、哀れなる羊は狼達の餌食となってしまう。現代の社会にこれを例えると、羊達の安全を守る牧場の柵とは日本社会を支える法秩序であり警察機構にあたる。またこの牧場の安全を守り監視するのが日本の政府であり、自衛隊であり、アメリカ軍となる。日米安全保障条約も、この牧場の安全を守る大事な装置の一つである。そして牧場の外で虎視眈々と羊たる日本国民を狙っているのが北朝鮮であり中国ということになるのではないか。だから牧場の安全を守る装置を壊そうとしたり、わずらわしいと感じたりしてはいけないのである。そうでないと不安に駆られた日本国民は「自由からの逃走」を本気で検討し始めるであろう。昨今湧き上がっている「核武装論」は、その最初の兆候のように思えてならない。
紙の本
名作
2016/02/02 10:48
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:onew - この投稿者のレビュー一覧を見る
「本当の自由」とは一体何か?1941年に発表された本だが、現代社会でも十分当てはまる内容である。消極的な自由は人を孤独にする。孤独や恐怖を克服するひとつには、人々が積極的に自分の生活や社会の生活に参加することであるとエーリッヒ・フロムは説いている。これからも時々読み返したい。
紙の本
心理学者による現代批評
2001/10/13 19:28
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Jane - この投稿者のレビュー一覧を見る
私達は本当に自由なのか?日常の中、ふとそんな疑問を抱き、手にしたのがこの本。新フロイト主義に立つ心理学者、エーリッヒ・フロムの手により自由とナチズムとの関連、近代の自由の二面性という問題が精神分析の手法で考察される。中世社会からの人々の解放は、個人に極度の孤独と不安の感情をもたらしたことを著者の鋭い視線は見抜き、真の自由は「愛と仕事」から始まることを説く。本書は心理学という枠を超え、人々の「自由である」というテーゼに対して疑問を突きつける。初版は1941年。しかしながら一切の古さを感じさせず、それはすなわち、当時の課題は現在も残されたままであることを示す。第二次大戦の最中に自由というテーマを世に問うたフロムの切迫した思いは、いまだ報われません。