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人かきつねか、きつねか人か?口調が楽しい
2001/06/01 20:25
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投稿者:望月新三郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
よく人のことを、あいつは、くせものよ、狸にそっくりだ。いや、あのペテン師 そう、化かしぶりは、狐だな。などという。
むかしは、狐や狸が人を化かしたが、現代は人が人を化かす時代といわれている。政見放送など聞いていると、まさにそんな気がしてくる。このお話は、作者の西郷竹彦が子どもの頃、故郷の鹿児島の吉野原という台地で遊んだ所が「大石兵六夢物語」の舞台だという。何といっても、文体がいい。祭文語りのような口調にしたのだという。
——はなせば ながいことながら、さつまのくには、かごしまの 「大石兵六ゆめものがたり」 じさは、ばさまの まめかむように、ぼつり、ぽつりと、かたると しよう——
で、はじまる口調は、とても調子がよく、ひとつ語ってやりましょうとなるね。この兵六、人を化かすというのを聞いて、ひとり、吉野の原にのり込んだまでは良いが、大鬼に襟首つかまれ吊し上げられられ、生命からがら、やぶの中の一軒家に逃げ込む。ところが茶屋の女と思っていたのが、のっぺらぼうと、ろくろっ首。いずれも古典的な化け物。夜道を歩いて行くと沢山の小坊主に取り囲まれてしまう。兵六転げ廻っていると、何と周囲いちめん、踏みつぶされたときのこの山だった。
すると、こんどは、振り袖姿のうっとりするような二人づれの娘に逢う。これこそ、狐に違いないと、ねじ伏せていると役人がかけつけてきて、しばり上げられてしまう。危うく、手打ちにされるところを、和尚が通りかかって「わしにまかせろ」ということから仏門につかえることになって、頭髪の毛をすられて丸坊主になるところで気がつく。これに似た話は、「カミソリ狐」がある。兵六、ようやく夢から覚めて、あちら こちら探して、二体の地蔵をみつける。これぞ狐と見破った兵六 地蔵をしばりあげると二匹の古狐の正体を現わす。箕田源二郎の絵も紙芝居の絵のように、すっきりしていていい。おわりの文章もなかなかよい。
——おにかと みれば きつねなり きつねとおもえば、きのこなり 人がきつねか、きつねが人か——。 ……大石兵六ゆめものがたり……
となっている「ふたりの町娘や役人たちもみなきつねの化けたものとして語られていますが、私は、きつねと思えばきつねに見え、人と思へば、それはそれとして面白い」と作者は書いているが、文体全体が作者の思想性とあそび心がある作品だと思う。