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おおきな木
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.6 206件
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  • カテゴリ:幼児 小学生
  • 発行年月:1976.11
  • 出版社: 篠崎書林
  • サイズ:23cm/1冊
  • 利用対象:幼児 小学生
  • ISBN:4-7841-0148-9
  • 国内送料無料
絵本

おおきな木

1,196(税込)

ポイント :11pt

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みんなのレビュー206件

みんなの評価4.6

評価内訳

紙の本

無償の愛を綴った名作

2006/02/15 02:20

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:チャミ - この投稿者のレビュー一覧を見る

無償の愛を語るならこの作品ほどふさわしいものはないと思う。
仲良しだった1本のりんごの木と少年。幼い頃は木登りしたり、木陰で昼寝をしたり、一緒にいるだけで安心できる関係が、やがて少年が成長するに従い、木に要求するようになります。
お金が必要と少年が求めればりんごを与え、大人になった少年が家が欲しいと言えば枝を与え、中年になった男が遠くへ行きたいと言えば、船を作るための幹を与え、老いた男が安らぎたいと言えば切り株になった身を捧げる…。
一見、無情にも思える男の要求と自らを犠牲にしてまでも与え続ける木との関係は、愚かに思えるかもしれない。
でも、「愛」とはまさにこういうものなのではないでしょうか?
GIVE&TAKEの関係ではなく、ただ相手を想い、相手を喜ばせることに、幸せを感じること。
この物語を読むたび、私は「母性愛」を感じます。
子の幸せのためなら、人から愚かと言われようとも、持てる限りの能力を駆使し、与え続ける母親たち。
それは時には、時間であったり、労働であったり、才能であったり、そして命であったり…。
このような無償の愛を愚かと呼ぶ人もいるかもしれませんが、人にはこのように無償で自分を愛し続けてくれる人が必要なのかもしれません。特に、物理的に与えることのできない子供にとっては。
安心でき、いつでも帰ることのできる場所、それが少年にとっては木であり、世の母親たちなのではないでしょうか?
物語の素晴らしいところは、木は能力の限界まで男に与え続けますが、能力以上のものは与えません。つまり、「限りあること」をさりげなく伝えているのです。その範疇で問題を解決せよと暗に諭しています。
世の中全てが拝金主義的な考えの中、このようにあふれんばかりの「愛」を感じる物語こそ、子供たちに読んであげたい作品です。
子供たちがこの物語を読んで、少しの安らぎと希望、そして自らが母親の大きな愛に包まれていることを感じてもらいたいと想います。

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紙の本

与えることと与えられること

2009/10/18 14:54

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書の存在を知ったのは、「不条理系絵本」を探していたからである。

こちらの書誌を見に来ると、なんと11人もの書評がついている。

本書との実際の出逢いは、
いつもと違う駅で降りて入った本屋の絵本のテーマコーナーで訪れた。

本書は、そのコーナーの一番上の棚に、どーん平積みだったのだ。

そっと開いて通読してみた。

何か小骨が引っかかるような感じだった。

その日は、本書を連れて帰ることができなかった。

数日経ってもやっぱり気になっていたので、
週末の図書館で本書をやっと手にしたのだった。

本書の原著出版は1964年で、原題は『The Giving Tree』である。

原題そのものずばりというお話である。

訳者の本田錦一郎氏は、本書はおそらく、
エーリッヒ・フロムの『愛するということ』の
影響を受けているのではないかと解説している。

訳者が言及している部分は、
『愛するということ』の「第2章 愛の理論」に集約されている。

  愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。

  そのなかに「落ちる」ものではなく、
  「みずから踏みこむ」ものである。

  愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、
  愛は何よりも与えることであり、
  もらうことではない、と言うことができよう。

  与えるとはどういうことか。

  この疑問に対する答えは単純そうに思われるが、
  じつはきわめて曖昧で複雑である。

  いちばん広く浸透している誤解は、
  与えるとは、何かを「あきらめる」こと、
  剥ぎ取られること、犠牲にすること、という思いこみである。

  (中略)

  生産的な性格の人にとっては、
  与えることはまったくちがった意味をもつ。

  与えることは、自分のもてる力のもっとも高度な表現なのである。

  与えるというまさにその行為を通じて、
  私は自分の力、富、権力を実感する。

  この生命力と権力の高まりに、私は喜びをおぼえる。

  私は、自分が生命力にあふれ、惜しみなく浪費し、
  いきいきとしているのを実感し、
  それゆえに喜びをおぼえる。

  与えることはもらうよりも喜ばしい。

  それは剥ぎ取られるからではなく、
  与えるという行為が自分の生命力の表現だからである。

  (『愛するということ』p.42-43.)

愛とは与えることを体現したようなこの物語の何に私はひっかかったのか。

昔りんごの木があって、
ひとりの男の、子ども時代から老年時代にわたって、
すべてを与えつくすという物語。

ちびっこは、

木の葉を集めて王冠を作ったり、

木にのぼってりんごを食べてリ、

かくれんぼをしたり、

木陰でお昼寝したり、

木が大好きで抱きついたり、

ハートマークに「たろうとき」なんて彫っちゃったりもする。

「きも うれしかった。」

彼は少しずつ年を重ねていく。

彼女ができて、「たろうとはなこ」と木に刻んだが、
しばらくはやってこない。

しばらくぶりにやってきたとき、
木はちびっこの頃の彼に対してと同じように話しかけるが、
彼は、買い物がしてみたいからお金が欲しい、おこづかいがほしいという。

木はそんな彼にりんごを売ることを提案する。

男はりんごをみんな持っていってしまう。

「きは それで うれしかった。」

男と木の関係は、ずっとそんな感じである。

自分の都合でやってくる男に
木は、その枝で家を与え、船を与える。

「きは それで うれしかった。」

でも、切り株だけになったときに、
一瞬だけ、こんな言葉がさしはさまれている。

「だけど それは ほんとかな。」と。

木は与えつくして、与えつくして、
最後は男が戻ってくるのだけどね。

本書の特徴的だと思う描き方は、
常に木は下の部分だけしか見えないということ。

幹と葉っぱの下側だけが見える。

本当は木がどれくらいの大きさなのかわからない。

彼が木にのぼったりすると足しか見えない。

恋人が来たときも木に寄りかかるふたりの足だけが見える。

彼が木に所に来ないときはどうしているのか、文章も絵も描かない。

これは木が見ている心象世界だ。

木が見ているのは、彼が自分のところにやってきたときの姿だけなのだろう。

木と男の関係の中に、

子どもを甘やかしてダメにした母親とその息子や

外で勝手の限りを尽くす夫を待ち続けた妻や

DVでパートナーを痛めつけては、困ったときに
やっぱりお前がいないとダメなんだと帰ってくる男と
それを許してしまう女とか、

そんな悲しい共依存関係を見てしまう。

彼らはそれで持ちつ持たれつなんだろうが、
傍から見ているとそれでよいとは思えない関係だ。

男は人生的に成功したとは思えないが、
最後に帰ってくる場所があってよかったのかもしれない。

だが、なんだかすっきりしなくて、
手放しに、よかったよかったとは言えないのである。

当人同士が幸せだったら、幸せで、
他人が外からの価値観をさしはさむことはないかもしれないし、
余計なお世話かもしれないのだが。

だが、残る。本当にこれでいいのかという思いが。

あるいは、本書の物語は、物言わぬ木に対して、
人間がしてきたことそのまんまという見方もできる。

与える方は愛を表現しているが、
受け取ってばかりの方は愛を表現しているとはいえないのではないか。

与えられてきた愛を無自覚に受け取るだけでは成長がないのではないか。

もしかすると自分自身も与えられているということに
無自覚でいることが多々あるのではないか。

これでいいと思っているときに、これでいいのだと思おうとしているときに、
心の中に「だけど それは ほんとかな」と聞こえてくると、怖い。

だけど、その声は無視をしてはいけないのだと思う。

自分は自分の価値観で正しいと信じることを行っている。

それは、違う目線から見ると正しいこととはいえないのかもしれない。

その事実を見つめなければならないこともある。

たとえ、自分の正しいと信じることを行うのしかないのだとしても。

読んでいて気持ちがよいわけではないのだが、忘れられない1冊となった。

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紙の本

ほんとうのやさしさと愛はどこか切ない

2008/10/09 03:22

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ねねここねねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

「愛とは、惜しげなく与えるもの」
これは誰の言葉であっただろう。
この本をはじめて読んだとき、一生忘れないだろう衝撃を受けた。
人生を変えてしまうほどのもの。
生きるということは、人を愛するということは、どれほど孤独に身をやつし
そして美しいものであるのか。

この愛はある種絶望と向き合っている。
絶望とは計り知れない孤独であり、しあわせをそれでも感じていられること。
そのものを包み込むよう愛するとき、自らの打算は消えるのかもしれない。
…いや、あるのか。
おおきな、孤独のなかの愛。そのものが笑ってくれればそれでいいと。
ほんとうに大切なものが、救われるならいいのだろうと。

自己犠牲という一言では、間に合わせられない深さと重みがある。
「そして木はしあわせだった… でもそれはほんとかな?」
どうだろう…。しばし考える。
すれすれのところかもしれない。
孤独と愛は表裏であり、さびしさも多く去来するものだろう。
しかしながら、それでも、
しあわせだったと思いたい。
見つめて存在するその木は、しあわせだったのだと思う。
愛というものの本質は、ときに痛々しい姿を映す。
痛々しいまでもそのものは、高潔で、そしてやさしい光を投げる。
存在とは何か。人を想うとはどういうことか。
時に忘れそうになる度に、この書のページをそっと捲る。
懐かしいような、しあわせな時代を思い出すような、
どこまでも切なく、やさしい温度に身を任せる。

おおきな木の、とてもおおきなこと。
切り株になった木の姿は、どこまでもおおきく、そしてやさしい。
理想論だと笑われても、理想をなくすよりはいい。
その姿は夢を映して飛ばせるものだ。
ただただ、しあわせを感じるために。
ほんとうのしあわせはどこか切なくて、それでもこころが安らぐものだ。
自らの求める存在が、少しでも笑顔を見せてくれる限り。

ページを捲るたび、いつまでも流れる涙が止まらない。
この書が手許にあることは、幸運なものだといつも僕は思う。

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紙の本

無償の愛ってそこかしこに。

2009/10/30 21:21

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:しんこのすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る

木は、たくさんの精一杯を男の子に捧げます。
この本を中学生に読み聞かせでつかわせてもらいました。
そしたら!何とまぁ☆色々なコメントを後から聞かせてくれました。
・僕はあんな男の子にはなりたくない。
・木がかわいそう。
・木はすごく偉いなぁ。でも自分にはこんなふうに出来るだろうか?
その他色々です。でも、こんなふうに無償の愛って実はすぐそばにあるんだってコト、中々気がつかないようです。
母親ってこんなカンジ。おばあちゃんってこんなカンジ。
なんだかんだって口うるさいお母さん、でも、結局こんなカンジなのです。
母性愛神話の崩れている現代でも、こういったお母さんやおばあちゃんはたくさんいらっしゃいます。
さて、素敵なあなたのそばには、どんな形の愛がそばにありますか?

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紙の本

母の愛

2004/08/01 22:14

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:@ママ - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本は子供を亡くした私に「この本すごく好きでね…なんていうか…おかあさんって感じなの…」と言って、友達がくれたのがきっかけで出会いました。読んで見ると本当に母の愛を感じさせるお話でした。
登場するのは「りんごの木」と「ぼうや」だけ。「ぼうや」は成長するにしたがって願い事が変わって行きます。その都度「りんごの木」はその身をもって「ぼうや」の願い事をかなえてあげる。「りんごの木」は全身を「ぼうや」にささげる。「りんごの木」にとって「ぼうや」が楽しむことが幸せ。自分の身がどうなろうとも「ぼうや」の幸せが自分の幸せ。
子供のことを想う母親の愛が描かれています。私の子は亡くなって今はいないけれど、この木のように全身で愛することができました。
世の中のお母様方は時には育児に疲れるときもあるでしょう。そんなときに読んでほしい一冊です。

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紙の本

「究極の愛のかたち」と「本当の幸せ」を知りたい人に

2004/07/03 00:26

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:りこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本に出会うか出会わないかで、人生が変わるかもしれません。
それほどまでに、哀しく切なく、でも、温かい、りんご木の一生なのです。

「究極の愛のかたち」……見返りを期待しない、与える愛。この本の原題は
「The Giving Tree 与える木」 物語は、こんな風に始まります。
    むかし りんごのきが あって
    かわいい ちびっこと なかよし。
      (ちびっこはりんごを食べ、りんごの木とたくさん遊びます)
  だから……
    ちびっこは きが だいすき
    だから きも うれしかった。
幹に抱き付いているちびっこの愛らしさ。りんごの木の喜びが伝わってきて
思わず胸があつくなります。   
    けれども ときは ながれてゆく。
無情な時の流れに、木はひとりぼっち。ちびっこは少年になり、青年になり、
たまにやってくると、お金をせびり、家を欲しがり……欲望は尽きる事を知り
ません。そのたびに、木は、与えられるだけの愛を与え、命を削っていきます。
でも、
    きは それで うれしかった!!!のです。

どうして嬉しいのでしょう。よぼよぼになったちびっこがきた時には、もう
きりかぶだけしか残っていない。本当に木は嬉しかったのでしょうか。
「究極の愛のかたち」と「本当の幸せ」を考えてみましょう。

黒い線だけで描かれているりんごの木とちびっこが、喜びも、寂しさも、
うれしさも、そして、残酷さも無償の愛も、いきいきと雄弁に語ります。
与えるだけの愛が、直視できないほど哀しく切なく胸に迫ります。
この本に出会うか出会わないかで、あなたも人生が変わるかもしれません。
哀しく切なく、でも、温かい。心に染み入る本です。
 

  

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紙の本

大きいのは「心」

2002/08/07 20:16

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みのママ - この投稿者のレビュー一覧を見る

この木のように、ここまで寛大な人はいるのでしょうか?
長年ほったらかしになっても、ミジメな姿になっても、
いつも全力で「ぼうや」のために何かを与えつづける木。
何の見返りも期待しない。
ただ、仲良しの「ぼうや」の喜ぶ顔が見たいために
自分のすべてを与える木の話です。

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紙の本

読んだ後しばらくは涙目でぼーっとしていた。それくらい心に響く作品。

2002/07/20 23:54

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ささめ - この投稿者のレビュー一覧を見る

おおきな木と、小さな少年は親友だった。少年は木に登り、りんごを食べ、木とかくれんぼをする。しかしそのうち、少年は成長する。恋人ができ、大人になって…。最後のシーンが心に響く。英語で読むのもまたいい。

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紙の本

大切な人への贈り物に。

2002/07/12 21:13

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:柿右衛門 - この投稿者のレビュー一覧を見る

ここまで誰かを愛せたらどんなにいいだろうとおもっちゃうような、心がとってもあったかく、そしてせつなくなる本。

初めて読んだ時には、少年と、その少年の成長をずーーっと見守る木の友情だと思っていたんだけど、今では木は女性で、少年をずっと愛しつづける恋愛の話だと思ってます。

私のおおきな木はどこにいるんだろう?と思うと共に、私もだれかのおおきな木になれたらいいな。と思います。

ちなみに英語でこれを読むとまた感じが変わります。
日本語の絵本では木はそのまま「き」とかかれていますが、英語では木が「She」になってます。これで私も木が女性だったのか!!と知ったのですが。

とにかく必読です。
一生ものの本になるはず。

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紙の本

世界中でロングセラー

2001/10/14 21:05

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ナルヲ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 1年に数回、ふと読み返したくなります。その度に感想が変わるのは、私自身が年をとっていってるせいかもしれません。

 最初に読んだのは随分子供の頃で、リンゴがおいしそう、ただそれだけだったように思います。

 先日友達にこの本を贈りました。感想はまだ聞いていませんが、きっと彼女のベストセラーに入ると確信しています。

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紙の本

大人でも泣けます

2001/03/09 22:03

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:つる - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本は素晴らしい本だと思う。わたしは大学時代に友だちと本屋をうろついていて、友だちにすすめられて手に取った。不覚なことに目頭が熱くなってしまった。本屋だというのに!しかも立ち読み。ずーずーしいったらありゃしない。
 感動まちがいなし。

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紙の本

犠牲か愛か?

2006/06/18 21:45

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:栗太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この絵本の初版が出版されたのは、もう30年も昔のことだ。ストーリーも絵もシンプルだが、読み手によって受け止め方は様々で、私自身も読むたびに感じるものが違う。
 求めるばかりの人間と、ひたすら与え続ける木。実を与え、枝を幹を与え、必要なものだけを手にするとさっさと去ってしまう人間の姿に、木はどこまでも健気だ。
「きは それで うれしかった」
 最後に、切り株だけになってしまった木のもとに、疲れはてた男が戻ってきて、ただ座って休む場所が欲しいと腰をおろした時も、木はそうして喜び、物語は幕をとじる。
「きは それで うれしかった」という文章に、一度だけ「だけど それは ほんとかな」という言葉が続く。今度ぜひ原文をあたってみようと思うのだが、この文章は木の独白なのだろうか、それとも地の文なのだろうか? 私としては木の独白であって欲しい。無償に与え続け満足していると思っていた自分にふと疑問を持つ瞬間があってもいい。
 はたから見ていると、木に愛される人間はあまりに身勝手だ。そんな人間に尽くす木の姿を、無償の愛と見るか自己犠牲に酔っていると見るか、人それぞれだろう。
 私は、受け継がれていくものを感じる。一冊の絵本の中では、「与える木」に対して人間は何も返してはいない。
 孤独な男の体は木の根もとで朽ち土に還り、養分となって今度は老いた木に新たな芽を息吹かせる。彼はそうやって次の世代に何かを返していく。そのことを知っていたからこそ、木はあれほど無心でいられたのではないだろうか。
 恐らく我が子というものを持つことのないだろう私は、そんなラストシーンを想像することで心を慰めてみる。

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紙の本

自己犠牲もほどほどに。

2007/11/20 15:25

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:moeve - この投稿者のレビュー一覧を見る

一本のおおきな木が、かつて自分を愛してくれたぼうやだったものに、自分のすべてを与え、見返りもなく「それで うれしかった」と繰り返すこの絵本を、無償の愛だとか究極の母性だとか見る向きもあると思う。

だけど それは ほんとかな?

チェイホフだってあれで本人は喜劇だというのだから、この本が無償の愛をといているようでとてつもない皮肉を言っていたとしてもアリだと思うんだけど。

原文では、このおおきな木はshe、つまり女性として描かれている。itじゃないんだね。そしてこの木とぼうやの蜜月は、ほんとうにぼうやがぼうや足りえていた時の、ほんのひと時でしかない。

それでも彼女は、すでに青年となった彼にブランコで遊ぶかいと尋ね、最後には老人となった彼に「りんごがあげられないよ」と嘆くんだから、なんというか、こう…愛情のベクトルがずれている。

なんでも提供すればいつか愛されると思っている「便利な女」っているでしょう。私にはこの木がそういう、愛し方が下手で利用される女に見えて仕方がない。

そしてその間に、彼が他の女と暮らすための家をつくる資材として、彼女自身をごっそり持っていかれるわけで、そこではじめて「きは それで うれしかった だけど それは ほんとかな?」っと、なるわけ、でしょう。

話が前後したけれど、そして老人となった彼が戻ってきて、自分に腰掛けると再び「きは それで うれしかった」と。

この木、怖い。

この木は、自分のことをだましていると思う。便利使いされているだけなのに、それでうれしかったと思うようにしている。

だから私はこの絵本、一昔前なら「純愛」と言われていたような、冷静に考えると自己満足の延長線上の愛情の押し付けに対する皮肉であるような気がしてならない。

まあ、ゆがんだ見方をしてるのはわかってるけどね。今こんな年だとそんな見方もできるってことで、でも、自分としてはそのほうが楽しい。

だってそう思うと、原著名の『The Giving Tree』ですら、壮大な嫌味になるんだもん。

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2004/10/04 12:38

投稿元:ブクログ

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2004/10/16 02:12

投稿元:ブクログ

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