紙の本
常識の世界を斬る
2002/05/16 21:51
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:鳥居くろーん - この投稿者のレビュー一覧を見る
精神分析患者のあり方を数々の症例から分析していくのはまず予測どおり、しかし、ここからがこの本のすごいところ。今度は精神分裂患者の立場から、現代人の社会常識とは何かを見破っていこうとするのだ。
「精神分裂患者には1=1が成り立たない。」
我々にとって、かれらは「むこうの世界」に行ってしまった人たちである。しかし逆に言えば、「1=1」の世界に安住して、それを唯一無二だと信じて疑わないのが我々だ、とも言える。その偏狭さと傲慢さを自覚することは、決して無駄なことではない。
とても新鮮、わかり易くかつ論理的な一冊。
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異常って何?ってやつだね
フーコーとかに影響されたのかな?
面白い上に読みやすくて安い。
敏は最高っすね
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読んでいるうちに、正しいことって何なのか分からなくなってくる。そんなものは本当は存在しないのかな?人間の脳で考えられることなんてたかが知れてるし、人間である以上は人間が作り出した思考を越えられないしなぁ……。
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教養とは人間を理解することである、という養老孟司の言葉が思い出された。
統合失調症の患者への思いやりが感じられ、最後まで謙虚な姿勢は人間への深い洞察を思わせる。
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統合失調症を思想面から捉え、システムとして読み解こうとしている。文学的情緒からアプローチした渡辺哲夫と正反対といっていいだろう。
http://sessendo.blogspot.com/2011/05/blog-post_5747.html
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まず、「正常」とか「常識」の概念を改めて定義。
そこからの逸脱を「異常」とし、分裂症の症例を元に掘り下げていく。
第6章によると、分裂症者が「シャーマン」みたいな印象を受けるな。
正常と異常の狭間に位置する人。
ふむふむ、分裂症者には「1=1」の常識世界の公理が成立しない、と。
「1=0」は合理性否定の基本公式と。
難しいな…
2012.02.05 読了。
凄い思想書だった。
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面白いです。
「時間と自己」とはまた別の面白さ・・
ものすごく「生々し」かったです。
木村敏の本は、読んでるといろんな考えが浮かびますよね。
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古典的著作。現在の時点からみれば疑問もあるが、だいじな視点を提供してくれている。
以下、本書内容より。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・自然が存在するということ自体が非合理以外の何ものでもない。太陽の運行は規則的である。しかし、太陽が存在するということ、それが運行しているということ、…規則的関係において運行しているということ…は、規則性を超越した大いなる偶然である。14
・A=A、1=1が常識的日常世界の公式。「私は私である」あるいは「私はある」の成立が危うくなったとき、「AはAである」の命題は、もはやフィヒテのいうような「いかなる人も承認していささかの異義をもとなえない、完全に確実で疑問の余地のないもの」とはみなしえなくなってくる。…この公式が妥当するのは、常識的日常性の世界というきわめて限定された領域内に限られている。…宗教や芸術の世界がそうである(分裂病患者も同様だ)。122
・ここで考えているような意味での合理性とは、近世以降の西欧文明社会において典型的に見られるような合理性のことであり…。(日本の人称代名詞は複数)(「あのインディアンは速く走る」「牡鹿は速く走る」「したがってあのインディアンは牡鹿である」という「未開人」の論理。述語的属性の一致に注目して、主語的個物の同一を帰結する。未開社会にも未開社会なりの常識があるとするならば、この常識ははやりそれなりの合理性によって基礎づけられており、この合理性もやはり1=1の世界公式にまで還元できる)126
・これに対して分裂病者の「思考障害」においては、この合理性の基礎構造そのものが重大な危機に直面している。127
・患者たちは私たち「正常人」の常識的合理性の論理構造を持ちえないのではない。すくなくとも私たちと共通の言語を用いて自己の体験を言い表しているかぎりにおいて、患者は合理的論理性の能力を失っているわけではない。むしろ逆に、私たち「正常人」が患者の側の「論理」を理解し得ないのであり、分裂病的(反)論理性の能力を所有していないのである。140
・「有―無」「一―多」「自―他」は「A=非A」「B=非A」の相互的交換がうまくいかない。(「合理―非合理」も同様)非合理を合理の「反対」と見る見方はそれ自身、まさしく「合理的」な見方以外のなにものでもない。…非合理が非合理として成立しうるためには、非合理はけっしてそれ自体独立の存在であってはならないのであって、非合理は合理の否定としてのみ、つまり合理の成立に完全に従属した存在としてのみ、その成立を許される。140
・生の欲求、存在への意志が「異常者」を「正常者」の世界から排除する。157
・分裂病という精神の異常を「治療」しようとする私たちの努力は、私たち「正常者」の側の自分勝手な論理にもとづいているということを、冷静にみきわめておくぐらいのことにすぎないだろう。180
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[ 内容 ]
精神異常の世界では、「正常」な人間が、ごくあたりまえに思っていることが、特別な意味を帯びて立ち現われてくる。
そこには、安易なヒューマニズムに基づく「治療」などは寄せつけぬ人間精神の複雑さがある。
著者は、道元や西田幾多郎の人間観を行きづまった西洋流の精神医学に導入し、異常の世界を真に理解する道を探ってきた。
本書は現代人の素朴な合理信仰や常識が、いかに脆い仮構の上に成り立っているかを解明し、生きるということのほんとうの意味を根源から問い直している。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
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読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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精神科医として、心理学ではなく哲学に向かった人で、その思索は世界的にも最も深いものであるが、それでもなお(あるいはそれゆえにか)、統合失調症を「理解」するには統合失調症になるしかない、またはずっと一緒にいてやるしかない、それができないからクスリなど使っている、と言った人である。
思想の根底にはレインと通ずるものがあるが、レインがヒッピー的共同生活に溶解したロマン派詩人であったのに対し、木村先生は臨床哲学者として強靭な思索を続ける。
いずれにせよ、彼等の著作が苦悩する人類の財産であることに変わりはない。
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20年ぶりに再読しています。
木村敏氏の本はなぜか家に数冊あるので、年代の古いものから順番に読み返すことにしました。
かなり手厳し、反精神医学、反・反精神医学として痛烈な批判が最後に述べられていました。
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実習の際に精神科の先生にお勧めされたので一読。
「異常」ということについての深い洞察が加えられています。
1976年の著作ですが(そのためか、現在「統合失調症」とよばれる疾患の名称が「精神分裂病」のままになっています)、今なお古さを感じさせません。
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現代と異常◆異常の意味◆常識の意味◆常識の病理としての精神分裂病◆ブランケンブルグの症例アンネ◆妄想における常識の解体◆常識的日常世界の「世界公式」◆精神分裂病の論理構造◆合理性の根拠◆異常の根源
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「1=1でない世界」に構造や論理は存在するか、というあたりのややこしいところが理解できた。
その異常な世界を支配しているルールを本書では構造として捉え、そのような世界であっても、その世界を形作っている何かが見え隠れしていていることを解読していく。
「かかわり」という正常と異常の境界における合理性を主張して終わるのだけど、このかかわりのところは普遍性とか日常性が異なる「誰が誰に反応しているのかわからない世界」の住人が身近にあるかどうかで説得力が感じられるかどうか分かれる気もする。