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紙の本
論語物語 (講談社学術文庫)
著者 下村 湖人 (著)
このうえなくわかりやすい言葉で、『論語』のエッセンスを読める!孔子が伝えたかったことは、こんなことだった。『次郎物語』で名高い作家にして教育思想家であった下村湖人が、人生...
論語物語 (講談社学術文庫)
論語物語
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商品説明
このうえなくわかりやすい言葉で、『論語』のエッセンスを読める!
孔子が伝えたかったことは、こんなことだった。
『次郎物語』で名高い作家にして教育思想家であった下村湖人が、
人生をかけて読んだ『論語』を、そこに残された言葉をもとに、ひとつの物語として書き紡いだ。
ページをひらけば、孔子や弟子たちが直接語りかけてくる!
【永杉喜輔「まえがき」より】
湖人は生涯をかけて『論語』に学んだ。二千年以上も経た『論語』の章句を自由自在に使って、『論語』で養われた自分の思想を物語に構成したものが本書で、『論語』の精神を後世に伝えたい一念が結晶している。孔子と弟子たちが古い衣をぬぎすて、現代に躍り出す。その光景がみずみずしい現代語でたんねんに描かれている。
【本書「富める子貢」より】
「なるほど、貧富ともに体験をつんだという点では、君は第一人者じゃな」
子貢の耳には、孔子のこの言葉は、ちょっと皮肉に聞こえた。しかし、孔子がみだりに皮肉をいう人でないことを、彼はよく知っていたので、次の瞬間には、それを自分がほめられる脱提であると解した。
「君が、貧にしてへつらわなかったことも、富んで驕らないことも、わしはよく知っている」
そういった孔子の口調は妙に重々しかった。子貢は、ほめられると同時に、なぐりつけられたような気がした。
「それでいい。それでいいのじゃ」
孔子の言葉つきはますます厳粛だった。子貢は、もうすっかり叱られているような気になってしまった。
「だが――」と孔子は語をつづけた。
「君にとっては、貧乏はたしかに一つの大きな災いだったね」
子貢は返事に窮した。彼は、今日道々、「貧乏はそれ自体悪だ」とさえ考えてきたのであるが、孔子に真正面からそんな問いをかけられると、妙に自分の考えどおりを述べることができなくなった。
「君は、貧乏なころは、人にへつらうまいとして、ずいぶん骨を折っていたようじゃな。そして、今では人に驕るまいとして、かなり気を使っている」
「そうです。そして自分だけでは、そのいずれにも成功していると信じていますが……」
「たしかに成功している。それはさっきもいったとおりじゃ。しかし、へつらうまい、驕るまいと気を使うのは、まだ君の心のどこかに、へつらう心や、驕る心が残っているからではあるまいかの」
子貢は、その明敏な頭脳に、研ぎすました刃を刺しこまれたような気がした。孔子はたたみかけていった。……【商品解説】
目次
- 1 序文
- 2 富める子貢
- 3 瑚れん
- 4 伯牛疾(はくぎゅうやまい)あり
- 5 志をいう
- 6 子路の舌
- 7 自らを限る者
- 8 宰予(さいよ)の昼寝
- 9 觚、觚ならず
- 10 申とうの欲
著者紹介
下村 湖人
- 略歴
- 1884年佐賀県生まれ。作家、社会教育家。本名虎六郎。東京帝国大学文学部卒。大学時代には「帝国文学」の編集委員として文学評論に活躍。のち台北高等学校校長となったが、1931年教職を辞して上京、大日本青年団講習所長として青少年教育に従事。1937年ごろからは文筆と講演の生活に専念した。1955年没。主著に『次郎物語』『教育的反省』ほか多数。
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紙の本
論語全体から章句を駆使し、独自の説話にまとめた湖人の力作。
2010/05/29 20:47
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
論語の章句をもとにして書かれた小話集。
「論語」は二千年以上も前に書かれた文章です。数十字からなる短い章句の集まりであるからでしょう、どんな状況で言われたのか、どんな気持ちで言ったのかは、まさに行間を読むしかありません。日本でも随分と古い時代から「教科書」として読まれてきましたが、きっと時代時代で教師は皆自分の解釈で説明を加えてきました。現在手に入る論語の解説も多数あります。
この下村湖人の書いた「論語物語」は、そういう意味での解説のひとつでもあるでしょう。論語の一つの章句を中心に、語られた情景を著者が想像で膨らませた小話集です。登場人物がどんな役職でありどんな風に評されていた人であるかなども描かれます。もちろん性格などはかなり「物語」に創られているのですが、そのために状況が把握しやすくなっています。弟子の一寸したおごりや傲慢、迷いなどの描写は、読んでいれば何かしら「我が身に思い当たる」ものが見つかる気がしてしまいます。
著者は「次郎物語」で有名な作家。教育者でもあります。「次郎物語」もそうですが、こちらもとても美しく活き活きとした文章です。昭和13年から連載をされていたという古さですが、今でもみずみずしい響きの日本語です。
なによりすごいのは、一つの句から生み出された話であるのに、複数の句がさりげなく「・・・といつも言っておられた」などとおりこまれているところでしょう。これはほんとうに論語全体を読み込み、自然にそれらがつなげられるほど読み込んでなくてはできないことです。それぞれの引用句が実際にどういう場面で言われたのか、の時代考証をとやかくするのではなく、内容的に適したものが引用されてあちらこちらに散りばめられているのです。著者の序文には、論語152章のうち130章が引用されていると書いてあります。「論語」全体を自在に引き出せるほど、著者は読み込んでいたのだ、自分のものにしていたのだ、と感心するしかありません。
そして、著者の解釈はとても深い。「ああ、ここまで考えるのか」とその深さにはなかなか到達できないと感じいってしまいます。下村湖人の渾身の作、と言っていいと思います。
論語の教えを伝えようと解釈をした本は数多くありますが、本書はその中でも読み続けられて欲しい滋味深い一冊です。この講談社学術文庫の解説と巻頭の言葉、特に二ページ足らずの巻頭の言葉がこの本をとてもよく紹介していますので、ここをとりあえず一読することをおすすめします。
本書の論語解釈は確かに深いですが、「恐れ入りました」と鵜呑みにする必要はありません。これも一つの解釈なのですから。
この本の対極にあるような、「え~、そんな風に読んでもいいの?」というような解釈を示してくれた本もあります。それはまた別に紹介しますが、それぞれに「読んだ人」がよく表われていると思われるのは、やはり「論語」そのものの性質によるところが大きい。深く読めばどこまでも深く、浅く読めば浅いなりに一つの考えを読み手にまとめさせてくれます。「論語」はやはり、人の心を考えさせる古典中の古典なのだと思います。
この本を読み、「論語とはこういうものか」と少しわかった気がしたなら、原文に是非戻って下さい。必ずや自分らしい読み方ができるようになっていると思います。
紙の本
熱く瑞々しい体感として伝わるものがある。
2003/10/21 17:53
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:由良 博英 - この投稿者のレビュー一覧を見る
教育者として、また「次郎物語」の著者として知られる下村湖人による昭和13年発行の傑作。論語を基に、孔子とその弟子たちとの交流の物語を、平明な香り高い文章により創作したもの。卑近な解説を加えられ皮相になったり、あるいは「論語読みの論語知らず」の衒学趣味に留まる蘊蓄本の多いなか、湖人のこの著には熱く瑞々しい体感として伝わるものがある。湖人という人物があって為しえた偉業だと思う。老若を問わず、読みたい一冊。
紙の本
孔子が身近に
2002/06/17 21:14
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:おろち - この投稿者のレビュー一覧を見る
論語といういかめしい名前から、説教じみた人生訓を連想する人も多いと思う。たしかに論語の中にちりばめられている警句には、そういった聖人君子的な側面も感じられる。しかし、この著書はそういった先入観を見事に払拭して、孔子の生き方、弟子とのふれあい、そんなものをとおして生身の人間の姿を実感し、共感を呼び起こす。そして、人間としての孔子の姿を彷佛させてくれる作品である。人生を考える書として、政治や政治家のあり方を問う書として、教育や個性について考える書としてなど、「論語」に現代的な意味を見い出すための入門書と言える。
電子書籍
みんなが孔子になれば世界は平和
2021/04/11 22:48
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:future4227 - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんとなくわかったようなわからないような…。私利私欲を捨て、何事にも動じず、なすべきことをコツコツ実行することが大切ってことかな。弟子たちが事あるごとに孔子に説教をくらっている中で、様々な含蓄のある言葉が吐き出されるいわば説教集。その度に弟子たちがヘコんでいるのがなんとも微笑ましい。漢文の和訳的な文章ではなく、下村湖人なりの解釈と文体で口語体のショートストーリー仕立てになっているので読みやすい。身内の悪事をバラすのと隠すのとではどちらが正直な人間なのか、という葉公との議論で孔子の考えはちょっと意外だった。