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至るところに散りばめられるアレントの考察が、「政治」「人間」への理解を促すように感じる
2010/12/08 23:16
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中堅 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書、第一部では、ユダヤ人について性質/国家権力との関係が歴史を追いながら考察される。
中世からドレフュス事件に至るまでの、ユダヤ人の社会学的な考察とともに、
その時々の国家体制(君主制~国民国家(民主制))についての考察もちりばめられている。
アレントの語り口は、「社会学」、もっと言えば「社会心理学」とは大きく異なる。最初読み始めたときは、著者であるアレントが価値判断を厭わず、行っているからだと思っていたのだが、この違和感、はやはり本書が「政治学」の本であることに由来しているように思われる。
一般に、心理学的な観点からものごとをみれば、全ては1人間、無いしは集団心理に分解/還元されてしまう。これは、人間の「主体」、「責任」を最初から度外視した観察方法なのであって、この観点からは人間の「動物性」、「オートマチックな社会の流れ」等しか回答が得られない。せいぜい行きつくのは「運命論(宿罪論)」である。だが、アレントは非常に明確に「実践的人間」、「主体としての人間」つまりは「政治的人間」を定義し、そこから裁断を行っているのである。「主体」があるゆえに、「責任」も存在し、それ故に「罪」も生まれるが、真の「自由」も存在する。
ナチズムを集団ヒステリーとして、またはスケープゴート説、ないしはキリスト教文化圏に存在するユダヤ人憎悪(ぞうお)の結果だとして、解釈することをアレントは鋭く拒否するのである。アレントは、儚い存在だけれども、人間を主体/責任/自由をもっていると考えいている。だからこそ、人間を1動物、せいぜい社会的動物に貶める上記の説では全然納得がいかないのである。「理性が破壊された人間」の定義からスタートし、ナチズムを1つの「病理」として解釈する理論は、アレントにとって根本的に「不合理」なのである。
アレントは、人間存在の「可能性」に対し、敬意を抱いているように見える。だからこそアレントの「なぜ?こんなことに?」は一歩ずつ進んでいき、ナチズムの「理解」へ至ろうとする。
それにしても、ユダヤ人に対するアレントの叙述は、日本について語られているようにしか思えなかった。
「疑いもなくヨーロッパで最も政治的経験に乏しい民族(P.9)」
「二千年間を通じてまったく政治行動というものを断念して来た一民族の特異なドラマを示している。このことの結果ユダヤ人の歴史は、他のすべての民族の歴史よりもはるかに外的な偶然的な要因に支配されることになり、結局ユダヤ人は次々にいろいろな役割を演じてそれに失敗しながら、そのいずれについても自分にその責任があるとは感じないで来た(P.9-10)」
ユダヤ人は政治感覚の欠如は本書の至るところで強調されることである。それ故に、ユダヤ人は身に迫る危険に対して今からすれば驚くべきほどに無関心であったし、いざホロコーストが始まった時には巨大な政治権力の前に無力であった。このような大量殺りくはどのような方法でも正当化できないため、当然ユダヤ人は無罪である。だが、その無罪は彼らに「選択の機会」が無かった、「選択の機会が放棄/遺棄」されていた、ということを意味するだけで、言わば、彼らが「責任の主体足り得ない」といっている、「非人間的な無罪」なのである。
私(評者)は、日本に同じ道を歩ませたくはない。
「国際的な力関係のなかで純粋に政治的な要因はまずます無力になり、純粋に経済的な力がますます強力に支配権を簒奪しはじ(P.95)」めたのが第一次世界大戦前の世界だった、とされるが結局大戦の結果、人々は常識的な結論に至るのである。「経済的また工業的発展はそれ自体としては人類の救いを約束(P.95)」しない、との常識に。
政治に無感覚な人間とは、主体的な人間たりえない、ということであり、結果そういう人間は人間存在の数少ない名誉の1つ「自由」を放棄することになるのだろう。
引き続いて第二部では、「帝国主義」が考察の対象となる。
紙の本
2000/3/6朝刊
2000/10/21 00:18
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る
バルカン半島の各所で民族紛争が再燃し、オーストリアの新政権に極右政党が参加する。時計の針を八十年以上さかのぼって歴史は繰り返すのか。何ものかがひたひたと近づいている気配がある。
著者は、ヒトラーのナチズムとスターリンのボルシェビズムという二十世紀の二つの全体主義的支配を、反ユダヤ主義、帝国主義に連なる西欧近代の精神病理の帰結として分析した。君主制や共和制、独裁制などが「一時的な敗北にもかかわらず人類とともに存続して来たのとまったく同様に、……(全体主義も)今日以後われわれが存するかぎり存続する」。大著はこう締めくくられている。
国民国家の象徴だった軍服の左胸を貫く一筋の傷。博物館入りした遺産には、近代のきしみが形になってまざまざと刻印されている。(城)
(C) 日本経済新聞社 1997-2000