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紙の本
“「特攻おばさん」の遺言”
2000/08/16 17:08
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:山花郁子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
毎年夏になると、私はこの一冊を抱えてどこかで読んで話をするのです。それはこの絵本の主人公である特攻隊員・宮川三郎軍曹に、最後のうどんを食べさせた島浜とめさんの遺言を胸に抱えているからなのです。
昭和20年、終戦間近いときに、本土の最南端の陸軍特攻基地となった知覧にあった、軍の指定食堂・富屋食堂が舞台です。とめさんは特攻隊員たちに「おかあさん」と呼ばれ慕われていました。ある日、とめさんのうどんを食べ終わった宮川さんが“今夜出撃するけれどおばさんのおいしいうどんをもう一度食べたい。もしこれないときには、ほたるになって・・”と、言い残して飛び立ち、そしてほんとにほたるになって戻ってきたというお話ですが、このあたりのことをとめさんは実にリアルに私に語ってくれました。
私が現在の富屋旅館に一泊したのは、1985年8月の雨の日でした。
当時、とめさんは83歳、足がご不自由でしたが、まだまだ口調もはっきりとお元気でした。表に面したうす暗い畳の部屋に案内してくださったとめさんは、
「このへんからでしたよ。宮川さんの螢がすう〜っと入ってきたのは。6月5日の夕方です。“いよいよ明日僕は出撃するけれど、でも明日の9時頃、螢になってここに戻ってくるから、そしたら追っ払ったりしないで、みんなで同期の櫻を歌って迎えてよね”って宮川さんが言ったんです。そしてね、翌日、ほんとにきっかり9時に螢になって戻ってきてくれたんですよ」と、ガラス戸の外を指さして話してくれました。
私はそのとき、とめさんと一緒に螢になって入ってきた宮川さんの姿をはっきり思い描くことができました。
1992年4月、「知覧飛行場の特攻おばさん島浜トメさん死去」の新聞記事をとらえたとき、「山花さん、子どもさんがたに、話してくださいな。戦争はダメですよって」というとめさんの遺言をあらためてかみしめたのです。生きている限り忘れずに伝えたい..と。