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紙の本
バナナと日本人 フィリピン農園と食卓のあいだ (岩波新書 黄版)
著者 鶴見 良行 (著)
スーパーや八百屋の店頭に並ぶバナナの九割を生産するミンダナオ島。その大農園で何が起きているか。かつて王座にあった台湾、南米産に代わる比国産登場の裏で何が進行したのか。安く...
バナナと日本人 フィリピン農園と食卓のあいだ (岩波新書 黄版)
バナナと日本人 フィリピン農園と食卓のあいだ
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商品説明
スーパーや八百屋の店頭に並ぶバナナの九割を生産するミンダナオ島。その大農園で何が起きているか。かつて王座にあった台湾、南米産に代わる比国産登場の裏で何が進行したのか。安くて甘いバナナも、ひと皮むけば、そこには多国籍企業の暗躍、農園労働者の貧苦、さらに明治以来の日本と東南アジアの歪んだ関係が鮮やかに浮かび上がる。【「TRC MARC」の商品解説】
目次
- 1 バナナはどこから?――知られざる日・米・比の構図
- 2 植民地ミンダナオで―土地を奪った者、奪われた者
- 3 ダバオ麻農園の姿――経営・労働・技術
- 4 バナナ農園の出発――多国籍企業進出の陰に
- 5 多国籍企業の戦略は?――フィリピン資本との結びつき方
- 6 契約農家の「見えざる鎖」――ふくらみ続ける借金
- 7 農園で働く人びと――フェンスの内側を見る
- 8 日本へ、そして食卓へ――流通ルートに何が起ったか
- 9 つくる人びとを思いながら――平等なつながりのために
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紙の本
想像することも困難な現実
2008/12/01 21:54
10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mikimaru - この投稿者のレビュー一覧を見る
テレビなどの安易な情報に飛びつく一部の消費者のせいで、2008年夏はバナナが品薄だった。祭り騒ぎのように好きこのんで騙されるのはけっこうだが、周囲の迷惑も考えてほしい。バナナを商品として使っている菓子屋、酵母の材料として使うパン屋、いろいろなところから「思うように仕入れられない」との声が上がったし、普段から少しずつ食していた人たちも購入に苦労した。
あげくに、わたしがあんぐりと口を開けたドール社のコメントがこれだった——
「ブームが続けば、他国分を日本に持ってくるしかないが、大量には難しい」
他国分を日本に? いったいなんの話だろう。命にかかわるものでもない、ただのバカなお祭り騒ぎのために、他国の需要を無視して日本に持ってくるのか。カネはすべてに優先なのか? …そんな言葉が喉まで出かかった。
90年代だっただろうか。日本のナタデココブームでフィリピンに工場が乱立し、河川が急速に汚染されたことを知って、自分が直接汚したわけではなくとも胸が痛んだ。
カネになれば企業はなんでもやる。近年のナタデココのことを書く以前に、60年代ころから急速に日本で増えはじめたバナナの需要と輸入量の陰には、多国籍企業の思惑、そしてそれを可能とした日本の大手商社との結びつきがあった。それをつづっているのが本書である。
もともとバナナはフィリピン現地の方々が日常的に食していた食べものではない。だが戦後の米軍支援による非合法すれすれの大規模な土地取得、そして言葉巧みな誘導や、英語の契約書に弱い農園主や労働者を騙すかのような手口によって、多国籍企業は現地の人が食しもしないものを輸出品として作らせ、それに専念させた。
契約してしまった現地の人たちは、自分たちが口にできる農作物を耕作することができず、他国に輸出されるバナナを作って、あげくに買いたたかれた。契約ではバナナを作れば作るだけ買いとることになっていても、生産過多や需要が少ない場合には規格に合わない品として処分し、買い取りを拒否するという裏技を相手は持ち合わせていたのだ。
初版は1982年であり、現在はもう少し事情が改善されているだろうと信じたいが、貧困や不安定な国内情勢のため、村を捨ててスラムに暮らさざるをえない方々の話など、想像することも困難な貧困が、この本には描かれている。
自分たちが店にあって当たり前と思っている果物ひとつにも、これだけの苦しい歴史がつづいてきたことを、日本に住む人々は少しでも理解すべきと思う。
紙の本
バナナから見えてくるもの
2006/10/29 11:27
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
既に岩波新書の古典である。
バナナという誰もが知っている果物の生産という点に「ミクロに目を凝らす」ことで 「マクロに見えてくる世界の俯瞰図」という手法自体が非常に斬新であり 見事なものである。書かれて30年近く経ち、バナナの状況も様変わりではありながら その手法自体は 今でも新しい切り口ではないかと思う。
しかし この本を読んでいると つくづく南北問題の難しさを感じてしまう。何が善で何が悪なのかという判断は難しいし だいたい 世界はそんな簡単な区別はできないくらい タフなものかと思う。その意味で 米国が中近東、イスラム等に関連して 簡単に「悪」という言葉を使うことは 本質的に危険であるということかなと思ってしまう。
バナナを手にとって見ているが バナナは口をきけるわけではない。但し そこから見えてくる「世界」がある、 それが本書である。
紙の本
搾取の構造をまず知ること
2017/04/20 21:14
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
先ごろ読んだ玉木俊明著「ヨーロッパ覇権史」からは欧米覇権国(帝国主義国)による植民地支配におけるミクロ的視点からの描像がすっぽり抜け落ちていたことに若干のフラストレーションを感じていた私が次に手に取ったのが本書である。日本人の大好きな、しかしすでに少し食傷気味でもあるバナナが、どのようにつくられてどのように取引されて日本の食卓に乗るようになっているのか、その仕組みを余すところなく活写している。そしてバナナに特化にすることにより、却って、先進国(本書においてはアメリカ資本グループ)による新たな「植民地支配」の実態の基本的原理パターンを暴くことに成功している。(本書は実はアバカ麻の記述も多いのだが、これは外見がバナナによく似たバショウ科の植物であるし、また、戦前のフィリピンの経済においても重要な産品ということで、歴史的にも重要なアイテムとして、著者は多くの紙数を割いている。)
ミンダナオ島のプランテーションによるバナナはほぼ日本への輸出に限定されて、さらに日本のバナナのほとんどのシェアを握っている。米資本の戦略による。従って、此処のバナナは日本人の嗜好に合わせるように作られている。実は、味覚的には濃厚でクリーミーな他品種のバナナの方がおいしいらしく、現地の人たちは日本向けのキャベンディッシュ種は食べない。しかも、味の良さよりも、輸送中の衝撃での外観的いたみや熟成の指標でもある外皮の黒ずみ等を日本人が嫌うために、まだ青いときに収穫して日本国内で追い熟させるなどのカスタマイズ化が図られているのである。従って、日本人に向けた強いメッセージ性が本書を貫くモティーフになっている。
本書の発行は1982年といささか古い。従って、扱われているデータ類も、現状を知るには大幅なアップデートが必要である。しかし、搾取の基本構図はそんなに変わっていない。そこに、本書が古びない、名著の資質を備えている証拠があるといえる。本書公刊ののち「エビと日本人」などの類書もあらわれたが、後者も名著の誉れが高い。勿論、フェアトレード等のコンセプトなども標榜され始めている現在、数十年前と全く同じ状態というわけではない。しかし、衆人の注目の集まらないところでは、密かに或いは堂々と現地農家・労働者に対する経済的束縛や農園から安い労働力が逃げない手立て講じられているのだ。安い労働力といえば、「チキータ」は多くの囚人が労働作業に携わっている事実は注目に値する。同音異曲といえどもこのような話は今後も語り続けなければならないのだ。
さらに近年は、西アフリカにおけるカカオ農園の労働搾取の実態、しかも極めて悪質で暴力的な労働環境に非難の声も上がり始めているところでもある。そういう実態を知ってしまうと、チョコレートを食べる気がしなくなる、という素朴な感想を漏らす人も多々出てくる。しかし、この流れでの不買運動は、まずは西アフリカの労働者の生活を最初に直撃するであろう事も考慮しなければならない。本著者も浅薄な「バナナ不買運度」など推奨していない。こたえは容易に見つからないが、まず、「みんなが真実を知ること」、これが真っ先に必要なことである。その意味では本書は十分に読者に対する説得力を持っているといえる。折しも、本年はTPP問題に翻弄された年であった。グローバリズムの名を借りた新しい形の帝国主義を良いものと単純に思い込んでいる(思い込まされている)人々があまりにも多すぎることも実感された。本書は今こそ多くの日本人に読まれるべき本だと痛感した次第である。