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紙の本
お化け坊主の愛
2011/01/26 23:52
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
今東光が河内に住んで、その土地を舞台にして書いた作品の一つと見るのだろうか。河内に生まれた野心ある男が、奈良京に出て出世のために仏門に入り、権力の階段を少しずつ昇って、女帝の寵愛を得るに至る。河内に関わる話ではあるが、現代の今東光が見た河内の姿と通じるものがあったのかはよくわからない。道鏡の生き様の中には、我を押し通すような性格も感じられるが、むしろそれは一途に望みを貫いたというのに近い。
しばしば希代の悪人のように言われる道鏡を、彼自身の視点から描いてみた話であろうと予断を持って読んでしまったのだが、果たして彼は愛と権力の両方を求め、それがうまい具合に叶った。
当時、一介の平民が栄達を求める唯一の方法は僧侶になることだった。そのため、物部氏の子孫であることを誇りにしながら、仏教を廃絶しようとして滅ぼされた祖先と裏腹に仏僧を目指すというのは、いかにも現世的とも言えるが、また当時は血統にそれほど複雑な意味が持たされていなかったのかもしれない。そして宮中に入り込み、女帝との愛がある。その愛も即物的でシンプルなもの、あるいは古代的でおおらかだ。愛情の方がより精神を悩ませる問題であるかもしれないが、しかし権力の世界も藤原氏との水面下の闘争は複雑怪奇で、これを切り抜けているのは相当な権謀の才というべきだろう。一族郎党で権勢を強めていく過程は凄まじい。
人間にとって制度や道徳といったものが、生活の支柱であると同時に、人間性を押さえつけるほど強固なものになっていくのはたぶんもっと後世になってからのことで、この時代ではまず武力、財力、それから呪いやシャーマニズム、カリスマ性などが直接的に人を動かす力として大きな比率を占めていた。仏教が道徳として認められ始めた時代かもしれない。その背景で考えるなら、道鏡の行動は風雲児的に痛快なものであり、決して現代の感性で評価はできないだろう。
山奥で猿の群れと一緒に暮らしたり、仏舎利を取り出してみせる道鏡のエピゴーネンみたいなインチキ僧の登場など、奇態なエピソードも、世界の混沌とした部分を際立たせている。あるいは度重なる遷都、民衆への圧迫、そういった混沌の中の大きな隆起が道鏡の疾走だった。聖なる怪物、古代神、そう呼ぶにはしかし時代を下り過ぎていたのかもしれない、河内に息づいていた脈流だというのか。