紙の本
『大どろぼうホッツェンプロッツ』の作者のもう一つの世界
2021/01/29 11:06
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投稿者:ぱぴぷ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『大どろぼうホッツェンプロッツ』シリーズを書いた作者の別の作品。『大どろぼう』シリーズが、陽の世界なら、こちらは陰の世界という感じ。それでも、次が気になって、読者がつい読み進めてしまうというところと、親が出てこないというのは共通している。『クラバート』は、子どもより、大人が読んだ方が面白い本だと思う。ただこうした話は別に児童文学で読まなくてもいいかなぁとも思ってしまった。(3.5点)
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後半は、親方の犠牲になった仲間の復讐を企てるクラバートと、クラバートを疑う親方との、張り詰めた駆け引きが続きます。
仲間の友情に助けられながらも、恋人の身を案じて葛藤するクラバートの心。親方自らが語り明かした、悲しい過去。。。。。
やがて二人の戦いは最後の時を迎えるのですが・・・・・荒んだ人の心を癒し、救うのは、やっぱり可憐な乙女の愛なのですねぇ。
プロイスラーは、子供のころに読んだラウジッツ地方の古い伝説に感銘を受けて、苦労の末児童文学としてこの作品を書き上げたそうです。後に世界一のアニメーション作家といわれたチェコの巨匠カレル・ゼマンによってアニメ化されたようですが、あの宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」も、この「クラバート」が下敷きになっているというのは、たいへん興味深いことですね。
ドイツ児童文学賞、ヨーロッパ児童文学賞など受賞。
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不思議な魔法学校――陰鬱な親方――仲間――過ぎ行く日々。全て終わって、腹の底から漏れる溜め息。忘れられない物語です。
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淡々とすすむ物語と、知らずループしている状況がとてもおもしろかったと思う。ループしているのにダレたりすることもなかった。
クラバート自体は民話に題をとったものだというが、確かに童話・民話っぽい部分がある。しかしあまり教訓めいたものもなく、説教くさくもなかった。クラバートが本人で努力し、自由と愛を勝ち取っていく話である。
夢が印象的で、物語の中核をなしているという構造がとてもおもしろかった。夢と現実の区分がつきやすいようにインデントがついているので、混乱することもなかった。
ドイツ語をやっていることもあってか、ドイツの地名にはなじみがあり、スウェーデンとの戦争など歴史も絡んできて久々に読むのが止まらなかった。
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読みづらいなりに下巻になると慣れてきたけれども、正直そこまで響くものはなかったなあ。千と千尋がこの話に影響を受けたって聞いたけれども、あまりピンとこなかった。
ただこの作者、「大どろぼうホッツェンプロッツ」を書いた人だとわかってびっくり。小学生の頃読んで面白かった記憶がある!どんな話だったか忘れちゃったけど・・・。
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後半は無我夢中の少年期から、自我が芽生えて恋をする青年になって行く
思料深い&賢い女性を愛して彼女からも愛され、彼女と共に自由になる道を権力に贖い、自分の意志を貫き通す。
愛があれば救われる的な要素もあり、、、
愛しい人が殺されてしまうかもという恐怖との戦い。ある種、違う束縛でもあり、、、
最後は少し呆気なかった。最後に魔法で、、、とあっても良かった気がする。
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心底ネタバレなので気をつけてください。
よかった。ハリポタみたいなファンタジーを想像しているとかなり地味なんだけど、じわっとくる話だった。一年目、二年目、三年目と、じわじわ真相に近づいていく構成がたまらない。
クラバートよりも、悪玉として登場する親方のほうにどうしても想像が膨らんでしまう。かつて戦争で敵味方に分かれた友を殺してしまった親方。彼は、ずっと自分のために他人を犠牲にする生き方しか知らなかったんだろうな。親方が自分の代わりに生贄として選んだトンダやミヒャルは、どちらも自分の危険を知りながらも、それでも新入りを助けずにはいられないやさしい男だった。親方は自分にないものをもった人間が憎かったんじゃないかな。彼は彼で、かわいそうな人だったんだと思う。
かの有名なジブリ作品「千と千尋の神隠し」の元ネタのひとつらしいんだけど、なんと私は未だにこれを見たことがない。。。映画版「クラバート」とあわせて、これも見てみたいなあ。
あっ、それと忘れちゃいけなかった。
ユーローかっこよすぎるだろ。。。
原題:KRABAT
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『ドイツ伝説集』との関わり。
過程に意味があって、結末はあっけないというか、ナンセンスなのは、エンデの作品にすこし似ているところがあって、お国柄なのかな?と思ったり…。
13.12.3読了。
クラバート 上 ⇒ http://booklog.jp/users/huka/archives/1/4038505901
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仕事でこき使われ、逃げないように常に監視されている弟子たち。
読んでいる側も息苦しさを感じますが、クラバートはそこでめきめきと魔法を身につけていきます。
2人の仲間を大晦日に失い、悲しみと疑問を感じながら過ごす3年目。
親方に目をかけられると同時に警戒されるようになっています。
親方も、どうやら大親方に命を握られている存在。
自分を脅かす種は摘みとってしまいます。
特に弟子の恋人は、弟子を自由にし、親方を倒す力があるため、親方は弟子の恋をかたっぱしから潰しにかかります。
殺された仲間の忠告を胸に、細心の注意を払って恋を育む彼。
しかしそれだけでは、強力な親方の魔法には太刀打ちできません。
彼の味方となるのが、弟子の仲間のユーロー。
普段は間抜けキャラですが、実は頭脳明晰で、打倒親方の機を伺っているというクールガイです。
ひそかに魔法の技を磨いていく二人。
ついに親方と決別した彼は、その年の大晦日の死を宣告されます。
頼りになるのは、恋人の勇気と、友人と磨きあげた自分の魔法。
ところが、親方の策略で、自分の魔法が使えないという大ピンチに陥ります。
この絶体絶命状態から、どう抜けだせたのか。
ドラマチックなシーンですが、前半に比べて、後半はめまぐるしいほどに話が展開していくため、スピードの変化に驚きました。
せっかくの見せ場なので、もう少しじっくりと描写してもらいたかったように思います。
収まるべきところに収まったエンディングですが、前編から気になっていた謎は、ほとんど解明されないまま残ってしまったので、モヤモヤが残りました。
大親方って何者だったんでしょう?
死のうすで何を引いていたんでしょう?人骨?誰の?
よく言われるように、ジブリの『千と千尋の神隠し』『ハウル』を思い出しました。
顔が人間のまま、鳥になって飛ぶというところや、ゼニーバの髪留め、最後の親を当てるシーンなどが。
謎をあえてそのままにして、見た人にいろいろと考えさせるという形も似ているようです。
魔法ものですが、最終的には魔法よりも愛情が強いという形で終わるもの。
ハリポタ的ですが、親方の死によりすべての魔法が失われてしまうため、これから弟子たちは、普通の人間に戻って生きていくことになります。
現実の見える終わり方でした。
常に毅然とした態度の村娘のカッコよさ。
陰気な水車小屋に向かい、親方の前に立っても臆することなく平然としています。
愛の強さでしょうか。
彼女が魔法の恐ろしさを知らないからかもしれませんが、クラバートの方が、気を失わんばかりに動揺しています。
また、頼りになるユーローの存在も、この物語に光を与えています。
常にさり気なく守ってくれる彼の存在なくしては、クラバートが親方に勝てはしなかったでしょう。
これは民話を基にした作品で、オリジナルではユーローは単なる間抜けな人物のままだとのこと。
作者のひねりが利いています。
謎めいたザクセン地方の風��の雰囲気が全編を覆っていて、物語世界にひたれました。
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今ごろ、やっと…読んだよ。
壮大で、ドキドキして、湿地のぬめっとした感じとか、秘密とか、死とか、なんか、もういろいろあって。
上下巻に、なかなか手を出せず長い間 積ん読してたのがウソのように読み切れちゃった。
ラストだけ、ちょっとあっさりし過ぎで拍子抜けだったけど。
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「ホッツェンプロッツ」や「小さな魔女」と同じ著者プロイスラーによるものなのですが、表紙がどうも不気味なような神秘的なようなだなと思いながら読み始めてみました。やはり、基本的に愉快なそれらとは異なり、より重々しくダークなファンタジーでした。水車場に住む魔法の親方に、本人もそうと知らぬうちに弟子入りしたみなし子クラバートが、3年の間に成長し力をつけ、そして村の娘と恋に落ちるのだが運命的な選択を迫られる、という物語です。本書はホッツェンプロッツほどには日本では有名ではないのではなかろうかと僕は思うのですが、この本もとても面白かったです。謎とロマンスに引き込まれてしまいました。本書は舞台も物語もダークな雰囲気に覆われていて、これまでこのように緊迫感のある生死に関わる物語は、我が家の子供たちは怖がってしまうので読み聞かせしてこなかったのですが、この本では面白さの方が勝ったようですっかり展開に引き込まれていました。子供たちは、友人や愛する人に対する主人公クラバートのひたむきな思いにも心うたれたようです。さらに僕としてはこの本の持つ生々しい手触りのようなものも好きでした。それはラウジッツ地方という実在する一地方の民話や現実の生活に基づいているからなのだろうと推測します。そして物語が閉じきってないところがまたリアルな感じがします。世界は私たち個人々々の主観を越えた広がりを当然持っているわけですが、デカ帽、ザクセン選帝侯、大親分など本書では完結しきってないサブストーリーがあることから、本書にもそのような世界の奥行き感が感じられました。特に、恋愛や命という問題も気になり始めた思春期に入る頃の少年少女にお勧めしたいです。
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おそらくドイツの伝承なんかを随所に取り込んんでちょっとダークな世界観を上手く出している
自分探しではなく、自分を見つけてもらう、あるいは見つけてもらえるよう努力する
という青春期の過程をじっくり描いている
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後半は舞台である「水車場」の謎がすこしづつ解明されていく。この話を簡単にいえば、「富と権力を約束する邪悪に、意志の力で戦いをいどみ、友の協力と愛の力で打ちかつという話」ということになるだろう。
あたりまえなのだが、愛は心配(不安)と表裏一体なんだなと、しみじみ思う。言葉や行動で証明できるような愛もあるかもしれないが、心中でひとり相手を「心配」する愛も深いものだろうと思う。これは孤独な苦しみで、一見、愛とはかけ離れていて、喜びもすくない。
作者は後半を苦労して書いたそうだが、さもありなんと思う。従軍した第二次世界大戦の経験を、著者は思いださずにはいられなかっただろう。読んでいるほうも「これって軍隊生活だよね」と思うほどだ。愛は邪悪に利用されることがある。愛すればこそ心配する。指令官はこの心配につけこみ、「家族を守るため」といい、同じく妻子を心配しているであろう敵を殺すように命ずる。これは古今東西の兵士が感じる矛盾であろう。しかし、邪悪に利用されることがあるからといって、愛=心配が邪悪なわけではない。著者も「愛の弱み」を従軍で知ったのではないか。だけど、こういう弱みこそ大事なんだと言っているような気がする。
クラバートは意志の力で「ソロを歌う娘」を守ろうとするのだけれど、かえって娘と自分を救ったのは「心配」(不安)だった。戦いは邪悪と手を切るという決断をくだすところで、すでに終わっていて、救済(と復讐)は弱さの証にみえる「心配」によってもたらされれるのではないかなあと思う。
「大親分」は誰なのか?「神」かもしれないと思う。「〜は神である」というのは、まあ、何にでもいえて危険な論法だろうが、『中世のパン』という本に、水車が教会や修道院の所有で、挽いた粉の一部がかれらの収入になることが書いてあった。水車は教会権力と近いもんじゃないかと思う。犠牲を要求するのは神によくある話である。しかし、これは「人間の運命を支配するもの」としての「神」で、クラバートが内心に感じる心配こそが「人間の責任としての神」(バルトだった?)なのではないかなとも思う。この点でいえば、外在超越としての神と内在超越としての神の戦いともいえるかも。
「ソロを歌う娘」は誰だろう?最後まで名前がわからないが、独唱と合唱のくり返しはヴィヴァルディの音楽のパターンで、ヴィヴァルディは女子孤児院で音楽を教えていた。身よりのない子供に音楽で身を立てさせるのはよくあることらしい。だが、クラバートと踊るシーンがあるので、自由に外出できたようだし、孤児院の娘とも断じがたい。クラバートは両親がいると思っているようだ。
真の賢者がバカにみえるというのは、東洋の文学にもあるパターンだ。智恵をかくして佯狂(狂ったように見せる)するのは、『史記』から文化大革命まで、中国の知識人の身の処し方である。
とにかく、いろいろなことを考えさせられる話だった。後半はとにかく水車場の謎がすこしづつ解明されていく。
この話は簡単にいえば、富と権力を約束する邪悪に意志の力で戦い、友の協力と愛の力で打ちかつという話だろう。最後まで読んでみて、あたりまえなのだが、愛は心配と表裏��体なんだなとしみじみ思う。言葉や行動で証明できるような愛もあるかもしれないが、心中でひとり相手を心配する愛も深いものだろうと思う。これは孤独な苦しみで、一見、愛とはかけ離れていて、喜びもすくない。
作者は後半を苦労して書いたそうだが、さもありなんと思う。従軍した第二次世界大戦の経験を、著者は思いださずにはいられなかっただろう。読んでいるほうも「これって軍隊生活だよな」と思うほどだ。むろん、愛とて邪悪に利用されることはある。愛すればこそ心配になり、この心配につけこんで、「家族を守るため」といいながら、同じく妻子を心配しているであろう敵を殺すように命ずるのは、古今東西をとわず兵士が聞かされる文句だ。しかし、邪悪に利用されることがあるからといって、愛=心配が邪悪なわけではない。
クラバートは意志の力で「ソロを歌う娘」を守ろうとするのだが、かえって娘と自分を救ったのは「心配」だった。戦いは邪悪と手を切るという決断をくだすところで終わり、救済は弱さの証にみえる「心配」によってもたらされれるのではないだろうか。
「大親分」は誰なのか?「神」かもしれないと思う。「〜は神である」というのは、まあ何にでもいえて危険な論法だろうが、『中世のパン』という本を読んだときに、水車が教会や修道院の所有で、挽いた粉の一部がかれらの収入になることが書いてあった。水車は教会権力と近いもんじゃないかと思う。犠牲を要求するのは神によくある話である。
「ソロを歌う娘」は誰だろう?最後まで名前がわからないが、独唱と合唱のくり返しはヴィヴァルディの音楽のパターンで、ヴィヴァルディは女子孤児院で音楽を教えていた。身よりのない子供に音楽で身を立てさせるのはよくあることだ。だが、クラバートと踊るシーンがあるので、自由に外出できたようだし、孤児院の娘とも断じがたい。
真の賢者がバカにみえるというのは、東洋の文学にあるパターンだ。智恵をかくして佯狂(狂ったように見せる)のは、『史記』から文化大革命まで、中国の知識人の身の処し方である。
とにかく、いろいろなことを考えさせられる話だった。
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全体的に地味ではあるが何度か繰り返し読みたくなる。
いろんなところに伏線があることに気づく。
謎が謎のまま終わってしまうところも粋。
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最後は確かにあれ?これで終わった?と思ったけれど、そこまで十分ハラハラドキドキしたのでよかった、と思う。
時間をあけてまたじっくり読みたい。
来年度は学校図書館への購入要検討。