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紙の本
遥かなる怨執の大河
2006/10/19 01:37
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
「日本幻想作家名鑑」(東雅夫・石堂藍)で寿行幻想文学の最高傑作とされているのが本作。京都で売れっ子芸妓が惨殺された、まるで鬼にでも貪り喰われたごとく。長野県飯綱村で、飯綱の法の修験者による争乱が起きる。岩手県遠野村奥地で、謎の石神信仰集団が姿を現す。古の怨念が現代に威を振るうかのような幻視。今昔物語集にある平安時代の鬼の物語、文徳天皇の女御藤原明子の美しさに狂った鬼。東日流外三郡史に記される、坂上田村麻呂の前に立ち塞がった奥州の荒吐鬼。鬼の伝説は何物かの真実を伝えているのであれば、それは世界の伏流として脈々と生き継いでいたとしても不思議ではない。
鬼は気配だけで既に恐ろしい。その正体が人間かもしれないと疑うからだろうか。人間だったらほっと安心するために、前もって恐怖が必要なのだろうか。だがここに描かれる鬼はそんなに甘いものじゃない。鬼の姿は角が生えているとも、虎の皮のパンツを穿いているでもなく、その存在と強力による支配力だけが迫ってくる。人間はひれ伏すしかない、逃げ場の無い、見えざる恐怖と言えるだろう。
その鬼達と現の世をバイパスする役となっているのが、老境に入って京都市街から離れた山荘に隠遁している男、殺された芸妓をかつて水揚げした人物でもある。現在は若い(といっても三十代)愛人と暮らしている。感情移入しにくいだろうか。しかしこの枯淡で老獪な存在を通じて見て感じるから、鬼の恐怖に耐えられることに、後になって気付くだろう。鬼は、恐怖は、伝説は、「スリルとサスペンス」のためでなく、我々の生活に根ざした現象として、この空間に共存することに身を委ねる愉楽のためにある。それは僕もこの老人の境地に、あるいは年齢だけでも近づきつつあるゆえに思うことだろうか。
古文書(あるいは偽書)に信憑性、あるいは単なる本当らしさでも、感じる必要はないのだ。ただ僕らが同じ幻想をその作者と時代とに共有しえたこと、そこに同じ苦さがあり、それを受け継いでこれたことを、時間を貫く細長い洞門のようにこの物語が思い起こさせてくれた。