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紙の本
マイ・ベスト・澁澤龍彦
2003/05/21 20:45
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投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る
初めて澁澤龍彦を手に取ったのは、大学に入学して間もない頃だった。かつては桃源社版集成でしか読めなかった文章が、文庫に入って簡単に読めるようになってきた時期のことである。最初に読んだ本のなかに、恐怖政治の大天使ことサン・ジュストのことが書いてあったと思うのだが、本のタイトルは思い出せない。
ヨーロッパ文学の(異端的な)知識を当然の前提として進んでいくその論述のスタイルは、次のようなものが典型例である。
《名高い『造園論』を書いたフランス十八世紀の文人ダルクール公爵は、その頃相継いで流行した庭園の三つのタイプを定義して、(中略)と述べているそうである。周知のように、庭園には大きく分けて建築式庭園と風景式庭園の二つがあり、造園術はこの二つの形式のあいだを揺れながら進化してきたのだとすれば、ダルクール公爵の指摘のごとく、どちらか一方へ極端に傾けば必ず反動が生じるものなのかもしれない。》「東西庭園譚」冒頭
名高い『造園論』と言われても、ダルクール公爵なんて聞いたこともないし、庭園のタイプなんてもちろん全く知らなかった(今も知らない)。しかし、文学史の知識はなくても、文章のグルーヴ感が心地よく、また訳のわからない引用がカッコよく感じられた。しかし、もっと面白くなりそうな題材なのに、肩に力が入りすぎている感じがして虚心に楽しめないもどかしさを感じたのも事実である。
ところが、本書『玩物草紙』となると、そういうもどかしさは全くなくなる。闊達な筆の運びで、あれこれの事物を存分に楽しませてくれる。大体、文体からして全く違うのだ。
《もう二年以上前の話だが、ミシェル・フーコーの『監視と処罰』がフランスのガリマール書店から刊行されると、私は例によって、さっそくこれを手に入れた。フーコーの原文をすらすら読むほど私は決して頭がよくないのだが、解っても解らなくても、とにかく自分でざっと目を通さなければ気がすまないという、困った性癖なのである。まあしかし、これは本題とは関係ないから、どうでもよろしい。》「虫」書き出し
本書執筆の1978年に著者は50歳。サド裁判等にかかずらわされたダサい60年代(本人の弁)を遠く離れ、本来の持ち味である軽味が十分に発揮できる時期を迎えたのだろう。創作にしても30代前半の『犬狼都市』よりも、こののち書かれることになる『唐草物語』や『ねむり姫』の方が優れている。しかし、いま軽味と書いたが、「裸体」「蟻地獄」「ポルノ」等と素っ気なく題されたこれらのエッセイには来るべき80年代的なものに対する批判も通奏低音として流れている。何度でも読み返して楽しめる文章の達者さと、深読みのできるテキストの肌理の細かさ。マイ・ベストと推す所以である。