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紙の本
重度障害の娘に本がもたらした奇跡!感動の記録!84年度日本翻訳出版文化賞。
2001/03/02 11:05
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「あの本を出版したいから会社を起こしたんです!」という版元の社長さんの話を聞いたことがある。確かに人生を賭ける価値のある一冊だと思った私は、キラキラ目を輝かす彼女に、「あの本は、子どもの本に関わるすべての人が読むべきものですよ」と、ずっと考えていたことを語った。素敵な出会いの日であった。
出版当時は話題になり評価を受けた本でも、この新刊大洪水の出版界にあっては、年月がたつと紹介される機会はほとんどない。とても残念なことだと思う。このサイトでは、できるだけそんな本が取り上げられることを願っているし、そのきっかけになるよう、微力ながら私も貢献していけたらという気がしている。
でも、2001年2月18日付の朝日新聞に、図書館司書や読書アドバイザーの養成に当たったり、通販会社で扱う本の選書をする山崎慶子先生のインタビュー記事が掲載されたが、この本は、その最初に登場していた。さすがだなと思った。
生まれてすぐ指の奇形や頭血腫による黄疸、呼吸困難、心臓にあいた穴など、次々に重度の障害が発見されたクシュラに、両親は未来を考えられずにいた。正常な視覚もないクシュラだが、生後4ヶ月で、顔につけるようにして見せた絵本には興味を示す。
8〜9ヶ月になっても短時間しか眠れず起きるとむずかり続けたクシュラのため、母親は何十、何百回と絵本を読み聞かせ続ける。一人では物に触れたり、物を見ることができないで外界に隔絶されたクシュラにとって、本が外界との連絡役になったのだ。(音楽には本ほどの集中力を見せなかったということ)
結局クシュラの体には遺伝的な問題が発見され、染色体の異常が認められたものの、言語面にめざましい発達を遂げ、いくつかの障害を訓練によって軽くして、兄弟と遊び、小学校に通えるまでに成長していく。
クシュラのために選ばれた絵本は、日本でもおなじみのロングセラーが多い。
赤ちゃん時代には、ディック・ブルーナの赤ちゃん絵本、ロイス・レンスキーのスモールさんのシリーズ、少し長じては『どろんこハリー』『わたしとあそんで』『ピーターラビットのおはなし』『はらぺこあおむし』など。本好きのお母さんたちが、熱心に子どもに読み聞かせてあげようとする絵本ばかりである。
この本の真ん中あたりには、「クシュラの本棚より」としてカラーの絵柄が豊富にのっている。それをはさんでクシュラの目をみはるような成長の記録、それを助けるためにクシュラに働きかけ続けた家族の記録が、文章によりレポートされている。
そればかりでなく、クシュラが与えられた絵本にどういう反応を見せたかというところから始まって、その絵本がどういう特徴を持っているかという分析がなされている。
図書館関係者や教育関係者には今でも読み継がれているようだけれど、子育てに関わるすべての大人が、何かしら得ることのできる力に満ちた快著であると思う。子どもの持つポテンシャルをいかに無神経に大人が閉じていくのか、自省を含めて、逆説的なことに思いを及ばせる深さも持っている。
紙の本
絵本の力と子供の可能性、そして、両親の愛
2004/03/29 13:50
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る
表紙には、本を抱え顔いっぱいに笑顔を浮かべる少女、そして、それを見守る両親の笑顔。『クシュラの奇跡』は、絵本の力と子供(障害児)の可能性と子供への両親の愛を信じさせてくれる1冊である。
ニュージーランドの児童文学者であるドロシー・バトラーが自らの研究論文に基づいて書いたこの本は、研究者の視点で読むと事例研究や参与観察の基本を教えてくれる研究であるともいえる。また、書評書きとしては、出たばかりの本をいち早く読んでその感動を伝えることも嬉しいが、この本のような座右の1冊について書くのもまた楽しい。これは、初版出版の1984年から20年が経っても入手可能であるからこそ可能なのだ。もとは論文であったものを多くの人が読みやすい形に書き換えた著者と訳者の功績も大きいと思う。3年前の中村びわさん書評に全く同感である。
最近、児童虐待のニュースが後を絶たない。その場合の非難は親に集中するが、その子が障害児だった場合はどうだろうか。親が障害児を殺してしまったというニュースは結構昔からあったケースで、しかもその場合、親は非難されるというよりも、同情されるということが多かった。両親(特に母親)が子育てを抱え込んでしまい、どこにも相談するところがなかったら苦しいのは当然である。その子が健常児だったら親が責められ、障害児だったら同情されるというのはどうかと思うのだ。
話を本の内容に戻そう。クシュラは,重篤な障害をもって生まれてきた。始終むずかり、昼も夜もほとんど眠らないクシュラとの長い時間を埋めるために母親が始めたのは、絵本の読み聞かせだった。首があまりすわらず、腕もうまく動かせなかったクシュラは、1人では見ることも物を持つこともできなかったが、本を通して豊かな言葉を知り、その言語能力は3歳を迎える頃には健常児をしのぐほどだったという。一読目の頃の私は、障害児も自ら楽しみながら学ぶ機会を得ることができれば、その才能を開花させることができるのだということと、大きな役割を果たした絵本の力に心を動かされていた。
それは今も変わらないが、最近それに新しい視点が加わった。それが両親の子供に対する接し方である。読み聞かせをはじめたのはもちろん、娘の成長の記録をとり続けたのは母親であったが、彼女1人がクシュラのことを抱え込んでしまったわけではないのだ。むしろ、途中からは母親が外に働きに出て、家で仕事をしている父親がクシュラと妹の面倒を見たり、家事は分担ではなく一緒にやったりと、家族の幸せの形を柔軟に作り上げていったことに、この家族が壊れなかった理由があるように思えてならない。子供が障害児だからといって、本人も親も生き方を制限される必要などないのだ。そういった意味で、この本には、子育てとは、家族の幸せの形とは何かを考えさせてくれる1冊でもある。
『クシュラの奇跡』には、巻末の付録で「クシュラの本棚」と題し、彼女が読んだ本の書誌事項がまとめられている。この140冊もの絵本を全部本棚に持っていたというのは,うらやましい限りである(ちなみに、私が幼い頃に買ってもらったのは『はらぺこあおむし』だけである)。クシュラには、たくさんの絵本との出会いがあり、絵本とめぐり合わせてくれた人がいた。そのおかげで、クシュラは、本の中の言葉を通して、自分では直接触れることのできなかった世界を手に入れることができたのである。自分がクシュラぐらいだった頃のことを思い出そうとしても、残念ながら自分が読んでいた絵本のタイトルはほとんど浮かんでこない。でも、子供の頃は1人遊びが多く、絵を描きながら鼻歌ばかり歌っていた私にとっても、言葉や概念を獲得するのに重要な役割を果たしていたのは絵本だったに違いない。クシュラにとってはもちろん、私にとっても、本は大事な友達だったことをもう一度思い出させてもらった。