牛肉と馬鈴薯 他三編 改版 (岩波文庫)
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紙の本
案外に心優しき独歩の視線
2010/05/05 09:22
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:analog純 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この文庫には四つの話が入っています。これです。
『牛肉と馬鈴薯』・『正直者』・『女難』・『富岡先生』
もうかなり以前になると思いますが、僕は一度この本を読んでいるはずなんですね。
しかし今回改めて読んでみると、総タイトルにもなっている最初の話以外は、見事に記憶に残っていませんでした。(厳密に言うと、四つ目の話は飛び飛びに記憶が少し残っていましたが。)
これはおそらく、かつて読んだ時の、僕の作品に対する一種の評価なんでしょうね。
だから僕は、今回一作目の『牛肉と馬鈴薯』の短編を読んだ時、前回読んだ時の印象に続く、才気走ってはいるがどこか爽やかで瑞々しい感じを持ちました。
この作品は、モーパッサンの手法にかなり影響を受けているなと思いつつも、近代日本文学そのものの青春期に、筆者の青春期が重なった、類まれな蜜月時代の作品ではないかと感じたんですね。
で、それなりの「好感」も持っていたのですが、残りの(全く記憶に残っていない)作品を読んでいくうちに、僕はひょっとしたらこの筆者に、誤ったイメージを持っていたのかなと考え出しました。
次に『正直者』『女難』と続いているんですが、この作品のテーマは、「日本自然主義」といえばこれ、とでも言われそうな「性欲」がテーマです。
まー、筆者もまだ青春期にあったようですし、時代の「流行りもの」のような部分もあったでしょうが、とにかく「性欲」と、その力に巻き込まれてしまう主人公が描かれています。
ただ、その描き方が、なんというか、とても「シニカル」なんですね。いえ、「シニカル」に、僕には思えたんですね、はじめ。例えばこんな表現です。
「私の知っている三四人の妾についても父は情愛をもってこれを遇した様子は少しもありませんでした。私は少しばかり酒を飲みますが父は決して杯を手にしたことなく、また私よりもさらに無口で、家にいてもただぼんやりと火鉢にむかって煙草をふかしているか、それでなくば机に向かって英書をひもといているかで家中は常にひっそりとしていました。
それですから女中兼帯の妾が来ても初めのうちは父や私を相手にしゃべりますが、一月二月とたつうちにいつしかこれも無言の業に堪えうるようになってしまうのです。」(『正直者』)
きわめて冷笑的な文章ですね。この「冷笑」を、僕は筆者の、主人公に対する「冷笑」だと捉えていたんですね。
そして、「性欲」そのもののテーマは(特に日本自然主義が捉えていた角度での「性欲」は)、もはや現代になってみれば、科学的な性知識の欠如といった部分がどうしてもほの見え、そこに「古くささ」を感じるのでありました。
ただ、それならば、作品のテーマを「薄志弱行」と、捉えることも可能です。
「薄志弱行」とは、いきなりどこから出てきた言葉かと申しますと、漱石の『こころ』から僕は思いついたんですね。
『こころ』の中で、自殺した「K」が、遺書に書いていた言葉です。薄志弱行ゆえに自分には将来の見込みは到底なく、だから自殺する、と確かあったように思います。
もっとも、「K」の自殺の場合は、この理由付けは失恋自殺の「アリバイ」でありましょうが、一般論として、こんな自殺理由に一定の納得ができるというその時代の文化があったんですね、たぶん。
はて何の話かと言いますと、今述べている二作品について、シニカルに読んでいけば批判的な主人公像に突き当たると、僕は読んだと言うことです。
ところが最後にある『富岡先生』を読むと、これはもう、主人公に対する冷めた描写だけでは、終わらないんですね。いわゆる、「庶民」に対するシンパシィを伴う視点という解釈が出てきます。
僕は、国木田独歩のことを、もっと才気走ったやや軽薄な文学青年の仲間くらいに考えていた(これはちょっと言い過ぎかな)のですかね。
思いの外に、弱者への心優しい視点と共感があり、そしてそれを誠実にしっとりと描く表現形式に、少し戸惑いながらも僕は大いに感心しました。
何についても、故あらぬ先入観はよくないと、改めて、そしていつもながら、反省することの多いわたくしであります。
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