「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
- カテゴリ:幼児 小学生
- 発行年月:1988.12
- 出版社: ほるぷ出版
- サイズ:24×25cm/1冊
- 利用対象:幼児 小学生
- ISBN:4-593-50219-5
ミリー 天使にであった女の子のお話 グリム童話
紙の本 |
セット商品 |
- 税込価格:21,175円(192pt)
- 発送可能日:購入できません
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
時間と死を超えた愛の物語
2005/06/23 17:00
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まざあぐうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ミリー —天使にであった女の子のお話—』は、1816年、ヴィルヘルム・グリムが母を亡くしたミリーという少女に宛てた手紙に添えられた物語です。ヴィルヘルムは兄のヤーコプと共にグリム童話の収集家として知られています。
ヴィルヘルムの手紙は、小川を流れる花と夕ぐれの山を越えて飛んでゆく鳥をモチーフとした詩的で美しい文章で綴られています。ミリーの家族が所有していた物語が売却され、1983年に出版社の手に渡ったことから、すぐれた絵本作家モーリス・センダックとの出会いがありました。5年がかりで描かれたというセンダックの渾身の絵が添えられています。
夫に死に別れた女性が、ある村のはずれに、たった一人残された娘と住んでいました。娘は気立てもよく可愛い子でした。お祈りを朝晩欠かさず、スミレやローズマリーを花壇で上手に育てる娘には、きっと守護天使がついているに違いないと母親は信じていました。
そんな二人に戦争が押し寄せてきます。母親は戦争から娘を守るために、森の奥に娘を逃がしてやりました。森の奥深くで聖ヨセフと出会い、娘の守護天使である金髪の美しい女の子と出会い、3日間を過ごし、母親のもとに戻ると、30年の年月が過ぎていました。
母親は30年の年月を経て、また、大戦争の恐ろしさと苦しさを経て、すっかり老いていますが、娘は、昔と同じ服を着て、昔と同じ姿のまま母親の前に立っています。再会を果たした二人は・・・。
3日が30年という不思議な時間軸の中で、戦争という悪、信仰、母と子の愛、神の愛が語られています。ヴィルヘルムが生きた古いドイツは、当時ナポレオンの占領下に置かれたり、フランス軍の占領下に置かれたり、非常に不安定な時代でした。物語の中で、ミリーと守護天使の無垢な美しさと戦争の醜さがコントラストをなしています。
この物語を通して、ユングの弟子であったマリー=ルイーゼ・フォン・フランツの「昔話は、普遍的無意識的な心的過程の、最も純粋で簡明な表現です。それは、元型を、その最も単純であからさまな、かつ簡潔な形で示しています。」という言葉を思いました。ミリーが過ごした深い森は、人間の普遍的無意識とも思えます。小川に流した花が、ずっと離れた場所で別の女の子が流した花と出会うように、また、夕ぐれの山を越えて飛ぶ鳥が最後の日の光の中で、もう一匹の鳥と出会うように、人間は普遍的無意識の中で、母の愛や神の愛の元型と出会えるのではないかと予感させられました。
ヴィルヘルムの慈しみに満ちた手紙に始まる『ミリー』は、時間と死を超えた愛の物語と言えるかもしれません。モーリス・センダックの幻想的で美しい絵と神宮輝夫氏の美しい日本語が、絵本の芸術性を高めていることを感じます。
「ほのぼの文庫」は、こちらです。
紙の本
ミリー、永遠の生としての死を描く物語
2004/05/05 17:01
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:パティロ - この投稿者のレビュー一覧を見る
子供たちが成長した今でも、大切にしている絵本がある。中でも、グレゴワール・ソロタレフ、クロード・ポンティ、モーリス・センダックたちの絵本は、本棚からとり出しては、ついつい眺めてしまうとても美しい本だ。
モーリス・センダックの『ミリー』は、1816年に、グリム兄弟の弟の方、ヴィルヘルムが、母親を亡くしたミリーという少女にあてた手紙にそえられていた物語で、1983年、それが出版社の手にわたり、初めて世の中に知られることになったのだという。センダックは、この絵本を5年がかりで仕上げたそうだが、その間完全にヴィルヘルムになりきったと断言できる、と語ったそうだ。
私は、2年前に母を亡くして以来、この美しい本を開くことができなくなってしまった。前書きにあたるヴィルヘルムがミリーに宛てて書いた手紙を読んだだけで、泣きそうになって、とてもページをめくることなどできなくなったのだ。
でも、数日前、久しぶりに最後まで読み通した。
夫を亡くした女性が、ひとり娘と貧しくとも静かで幸せな生活をしている。ところが、戦争が起こり、彼女たちのところにも戦火が迫ってくる。女性は、少女をいくさから守るため、天使と神の守護を信じて、深い森へと少女を送り込む。
たったひとり、暗く深い森へと入っていく少女は、心細い思いをしながらも神に祈り、幼子イエスを守った聖人ヨハネに出会い、少女にそっくりな天使にも出会う。こうして3日間森で過ごした少女は、母の元に戻るが、この3日はじつは30年、いくさはずっと昔に終わり、少女との再会を待ち望んでいた母親は年老いてしまっている。
ふたりは喜びに満ちた1日をともに過ごした後、一緒に眠るように死んでしまう。
少女にそっくりな天使は、少女自身の魂か、母親の魂か、母親の少女への愛か…。私にとっては、私の母であり、私の子供たちであり、私自身でもある。きっと、私の知らないどこかの「あなた」でもあるにちがいない。だから、読んでいて、哀しみに胸がつぶれそうになる。
牛たちがのどかに草を食む広大な牧草地や小麦畑、パッチワークのようなヨーロッパの風景。でもずっと昔、こうやって人間が大地を開く前は、暗くて深い森ばかりが続いていたのだ。そこには、私たちおなじみのグリム童話に登場する子供たちのように、妖精や魔女たちに出会える場所があって、永遠の生としての死者たちが存在していたのだろう。
紙の本
最後をどう解釈するか
2002/05/09 05:08
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ケンツ軍曹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
グリム兄弟の弟であるヴィルヘルムが、とある少女に宛てた手紙につけた物語が、
1983年に出版社の手に渡ったことで、はじめて日の目を見ることになったという
そんな裏話を聞いたとだけでもドキドキさせられるのに、
絵を書いたセンダックが「彼(グリム(弟)自身)になりきったと断言できる」
といったというのですから、目眩がしてしまいます。
物語も絵も期待をまったく裏切らない、格調高く、美しいもの。
ラストがちょっと浦島太郎を思い出してしまう展開ですが、
読み終わった後は、いわゆる茫漠とした読後感、とは対照的なものでした。
でもちょっと「あれっ」と思ってしまうのは
(女の子が成長し一生を遂げるより、子どものまま
永遠の神の国へ行くほうが幸せなのだという価値観)
私が日本人だから? それとも宗教心が足りないせいか?
それはともかくとしてセンダックの絵だけでも、見る価値が充分にある一冊です。