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紙の本
「憲法」の基本価値を選び取る、ということ(字数制限クリアのため矢印以下から本文スタート^^)→著者は以下のような意見を紹介する。
2005/11/20 09:57
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
《戦後初期の改憲論の流れを総括する文書といえる、憲法調査会のなかの積極的改憲論者十七人による共同意見書『憲法改正の方向』(一九六三年)は、「(中略)個人本位の現行憲法の人権規定はいささか時代おくれの感があり、今日およびこれからの時代にはそぐわないものだといわざるをえない」と主張している。》
《「日本国憲法こそ戦後日本の諸悪の根元(岸信介)」》
であるなら、自民党の新憲法草案は明治憲法への先祖返りか、そこまではいかずとも、現憲法とは大きく異なったものになることが想定できた。
その話の前に「憲法タブー化論」について。
《第一に、そもそも「これまで憲法がタブー化されてきた」というのはほんとうか、ということがある》
説明は略すが、著者は「ほんとう」ではないとしている。
《第二は、「タブーへの挑戦」を掲げる改憲論者の主張こそ、実は、日本社会にタブーを復活させようとする動きと結びついている、ということである。そもそも「日本国憲法こそ諸悪の根元」といいきる自由こそ、ほかならぬ日本国憲法によってはじめて、日本社会で承認されたものとなったはずである。(中略)
およそ批判の自由にタブーを設けないことこそ、日本国憲法非難をするひとびと自身がみとめなければならない。日本国憲法の長所なのである。》
《第三に、本気でタブー批判の問題を出そうとするならば、それは、つぎのようなことでなければならないはずだ、ということである。
「タブーへの挑戦」とは、あらゆるものをいったん疑うということである。だが、ある「きまり」が疑いに耐えて維持されたとき、それはほんものの規範としてうけ入れられるのであって、タブー性を喪失したものがすべて自動的に規範でなくならなければならないのではない。インセンスト(近親相姦)・タブーの場合を、その例としてあげてよいだろう。ことがらの意味を問い直すことを禁じられたままあるルールに服するとき、それはタブーである。意味を問いなおしたうえであらためてそのルールに従うとき、それは規範としてうけ入れられることになる。》
その通りだと思う。
《あるルールのタブー性をはぎとったあと、その論者は、それをあらためて規範として基礎づけなおすのか、それとも反対に、そのルールそのものを否定してしまうのか。「タブーへの挑戦」をいう論者は、その問に対してどちらかの答えを示さないままでは、ルールを否定することはできない。彼は、日本国憲法についてのタブーを--いまそれがあるとして--とり払い、それを自由な議論の対象としたうえで、それを否定し去るのか、それとも、あらためて日本社会の根本にすえ直そうとするのか、主張者自身の責任をかけた内容的な価値判断を、示さなければならないはずである。》
「内容的な価値判断」を(結果として)示した自民党の新憲法草案だが、左翼の多くにとっては不満だろうが、私が右翼だとしたらもっと不満な内容だ。想定したものよりは、かなりの程度、現憲法の各条文を踏襲しているからである。
現憲法の基本理念は、さすがに覆せないようだ。
憲法を守ることについては。
《そのような見地からすると、本当に「憲法をまもる」ことをしようとする側にとってこそ、タブー批判は重要である。「人類普遍」のものとされている日本国憲法の基本原理であっても、それを頭から自明の理としてしまうのでなく、たえず「なぜ」という疑いに答えてゆく手順を通してその価値をたしかめつづけてゆくことが、大切である。
(中略)そういう「なぜ」をいつも問いかえしながら、憲法の基本価値をたえずあらためて選びとりつづけてゆくことが、「憲法をまもる」ということの中味にほかならぬはずである。》
第二章から、取り上げた。
一、三章はやや散漫(学者談義風)だし、四章もあっけなく終わるのは減点対象だが、今日でも通用する議論も含まれている。