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室町小説集 (講談社文芸文庫)
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紙の本
下克上とルネッサンス
2018/03/11 19:44
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投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
南北朝時代というのは、何か惹きつけられる魅力がある。楠公の忠臣ぶりと策略。正統な血筋はどちらか。三種の神器はどこにあるか。ミステリアスであり、逆説と甘美さが同居している。花田清輝はただ敗者の美学という以上の、新しい何かを見出そうとしているらしい。
谷崎潤一郎の作品を論じた「『吉野葛』注」南朝の子孫である自天王なる人物の行跡を、吉野山に追う中に、谷崎の企みを読み取りながら、またそこに漂う妖しげな魅力を感じ取っているようなのだ。
足利義教の肖像画を描いたのは誰なのかを探ろうという「画人伝」、義教を暗殺した赤松満祐家臣で、後に同朋集の能阿弥の弟子となった、奪われた神器を探索するために吉野山に潜入したとも言われている小谷忠阿弥をその作者に擬している。主眼は、源頼朝像などに比して義教の姿の闊達さ、つまりしゃちこばった武士の頭領から、新しい文人将軍像への変化をそこに見ることにある。戦乱から戦乱へと続く時代の胎動の中で、そういう将軍像が生まれ、そういう画人が生まれた、そんな時代について何かを語らしめんとしているのか。
その三種の神器を奪ったり奪われたりのどさくさ「開かずの箱」。筒井康隆の「万延元年のラグビー」という井伊直弼の首を取ったり投げたりのドタバタ小説を思い起こす。それに箱を開いたの開かないの、中を見たの見ないの、入ってるの入ってないの。たくさんの登場人物が入り混じってくどくどしいのである。
「力婦伝」吉野朝の最後の二王子が赤松残党に殺害されて、王子の母親である山邨(やまむら)御前がだけが曲玉とともに残される。吉野から伊勢あたりを領有し、修験者でもある小川弘光が命を受けて侵入するのだが、史実の曖昧な部分に、本当に起きたことがあるのではないか。その背景には、水利権や産出品を巡る葛藤がある。
幕府要職にあった伊勢貞親は礼儀はもとより、まつりごとには厳格さを求めた性格だったが、一揆が頻発し、それまでの封建的価値観が崩れていく中にあって、応仁の乱に至る流れは彼にも止めようがなかった「伊勢氏家訓」。
結局二つの朝廷の時代を経て、全ての体制が崩れ落ちる応仁の乱まで、権威や正統といったものより、利害、損得で動く社会に移行していったのであり、それを作者は近世の始まりだと定義したのだろうか。むしろもっと古い時代においても、人間は個人の都合や欲求で動くもので、そこに情念よりもマクロな経済の要素が上乗せされてきていたことを、この時代の特徴と捉えているかもしれない。
絶対的権威が相対的な見方に晒されるようになったにせよ、それを上回るスピードで経済というものが等身大の問題として浮かび上がってきた。日本のルネサンス人をライフワークとして探し求める中で、結局歴史の転換点は、思想や制度の進歩にではなく、人間の欲望を形作る意識の流れの中に見出そうという試みなのかと思う。