紙の本
哀しみという旋律の通常低音
2007/02/03 19:43
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投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
紀行と翻訳と人物史を一冊に書きこめる作家というのも村上春樹ぐらいしかいないのかも知れない。読みながら何度もそう思った。
フィッツジェラルドの生涯を辿りながら村上春樹は旅行している。その様は「巡礼」のようだ。その間にフィッツジェラルドの短編を挿入し フィッツジェラルドの妻の生涯も簡潔に纏めている。各編ともあっさりした味わいながら湛えた一種の「哀しみ」は通常低音のように響いている。
村上春樹は レイモンドカーバーの翻訳で名高くなったわけだが 実は このフィッツジェラルドから翻訳を始めていたということは案外知られていないかもしれない。「マイロストシティー」という綺麗な翻訳短編集を読んでいると 村上がフィッツジェラルドの持つ「哀しみ」に いかに共鳴していたかを強く感じる。
その上で 本書で じっくりフィッツジェラルドを辿っていく村上の姿には極めて誠実なものを感じる。そう 村上春樹は 非常に誠実な作家なのだと思う。
各編はあっさりしていながら 読み終わると ずしりと重い。その重みは 村上のフィッツジェラルドへの思いの重さなのだろうか?
紙の本
フィッツジェラルドを知る為に。
2002/04/24 00:09
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投稿者:Eni - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は村上春樹がフィッツジェラルドについて書いたエッセイと短編二本が収録されている。導入は当時(1920年代)の町並みから始まり、フィッツジェラルドの生涯、ゼルダについてなど、フィッツジェラルドにあまり詳しくない人でもすっと入って行けるつくりになっている。
『リッチ・ボーイ』は有名な作品だけど、著者の訳で読むとその構成というか小説そのものに改めて感心した。
何より著者の訳は親密な印象を与えていると思う。
紙の本
村上春樹ファンとフィッツジェラルドファンとそのどちらでもない人達へ
2001/01/26 19:41
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投稿者:江湖之処士 - この投稿者のレビュー一覧を見る
村上春樹のファンがフィッツジェラルドのファンになることの多いのは(少なくとも私の周りには、村上ファンにしてフィッツジェラルドファンだという人が多い)ひとえにこの本によっている。この本は村上春樹がフィッツジェラルドについてかいたものなのだが、当然、彼がフィッツジェラルドについて書くということ自体が、村上春樹についても多くを語っているのだ。1920年代の好況とその後の大恐慌について書いたフィッツジェラルドに漂う空気は村上春樹のあの不思議な空気に通じている。フィッツジェラルドを読む村上春樹が、小説家の村上春樹を理解しやすくしている。余談だがフィッツジェラルドの写真がカッコイイ。村上春樹もフィッツジェラルドも嫌いだという人でも、フィッツジェラルドの御姿は見て損が無い。
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前半は、筆者がフィッツジェラルドゆかりの地を巡りながら、彼や彼の周囲の人びとの生涯を振り返ります。それがとてもドラマチックでセンチメンタル。そして、後半には2編の短編が村上春樹の訳で収められているのですが、前半で語られた、フィッツジェラルドの才能というものを充分に実感する作品でした。(2編ともフィッツジェラルドの作品では評価は高くないにもかかわらず)村上春樹をして「僕の今の歳にフィッツジェラルドは何をしていたんだろう」と思わせるほどの魅力とは一体どこにあるのか。この一冊には満ち溢れています。
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スコットフィッツジェラルドのことが全て分かってしまいそうな本。
本当に村上春樹は彼を尊敬しているのだなぁ。
アメリカ、フランスに行ってみたくなりました。
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内容(「BOOK」データベースより)
―僕は時々思う。僕の今の歳にフィッツジェラルドは何をしていたんだろう、と―。生地セント・ポールからモントゴメリイ、ハリウッド、ニューヨーク、そして魂の眠るロックヴィルへ…。1920年代のアメリカに熱狂的に受け入れられた時代の寵児の、早すぎた栄光と悲劇的な崩壊をたどる巡礼の旅。著者訳の短篇2篇を付す。
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フィッツジェラルドに関する村上春樹のエッセイと
村上訳の小説をおさめた作品。
古本を購入。
以前「ギャツビー」を読んでもなんとも思わず、
この本に納められた村上訳の短編を読んで初めて、
「もしかしてフィッツジェラルド面白いかも」と思った。
そしてゼルダに興味を持った。
次は、村上訳ギャツビーとゼルダに関する書物
をぜひ読んでみたい。
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丁度 北海道からの陸路での 帰り道
窓から流れる風景と
全く 個性の違う 二人の作家(村上氏は スコットが好きらしい)
極と極が
文面中 堀下がっていく所
スコット氏の 短文も 村上訳の エッジが
効いています
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村上春樹さんは本当にフィッジェラルドにシンパシーを抱いてるんだね。
なるほどね、お父さんね。
わかるなぁ、親が身近にいなくなって、じゃあ、わたしってだれ?何のために生きるの?みたいな。
自立したいと願って遠くにきたのに、遠くにいるのは、彼がいてこそだったことに失って初めて気づくんだろうな。
そのときに、新しい守るべきものを見つけられないと、とっても不安で、つらいのよね。
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私事ですが、去年一年は日本近代文学の一年でした。
そして今年は、アメリカ文学の一年でした。
キッカケは二つ。
「後学の為」と、たまたま大学で受講した『アメリカ文学概論』という授業。
そしてその前後、たまたま古本屋で手に入れたF・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』。野崎孝訳の方です。
というわけで、僕をアメリカ文学に誘ってくれたのがフィッツジェラルドでした。
そんな一年の終わりに読んだのが、これまた、たまたま古本屋で手に入れた、村上春樹氏によるこの『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』。
氏曰く「小説家としての僕が、自分の位置を見定めるための目じるしとして、ある時にはため息をついたり、ある時には身をひきしめたりする『自分のための小説家』』がフィッツジェラルドなのだそうです。
文学概論の授業で学んだり、個人的にフィッツジェラルドの生涯については今までいろいろと調べていたのですが、
この本はフィッツジェラルド、そして妻ゼルダの波乱に満ちた生涯の軌跡はモチロンの事、
フィッツジェラルドの作品に登場する実在の場所へ足を運んだ時のエピソード、所感なども村上氏独特の感性と語り口で書かれています。
僕はまだ駆け出しのファンですが、フィッツジェラルド文献として十分興味深い内容でした。
そして巻末には、村上春樹訳による短編が二作収録されています。
片方は、数ある短編の中でも特に有名な『リッチ・ボーイ(金持の青年)』、
もう片方は「一級品の短編に比べるといくぶん格が落ちる」が光る部分もある『自立する娘』。
この二作だけでも、読む価値は十分にあると思います。
ちなみにこの本は1991年に執筆されたようで。
あとがきで村上氏は
「六十を過ぎた頃には、あるいは、『グレート・ギャツビー』を訳せるようになっているかもしれない。」
と仰っていますが、
2006年に、中央公論新社から村上春樹訳『グレート・ギャツビー』が刊行されています。
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和田誠さんのイラストとともに、
記憶に深く刻まれた一冊。
作家(村上春樹さん)にとっての、
真の小説家への敬意に満ちたレポート。
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本書により「村上春樹の本は新品で」の不文律が破られることとなった(文庫版が絶版だったから、まあしょうがない)。翻訳以外の文庫本は学生時代に読破してやろうという細(ささ)やかな野望もまた、この中央文庫といいうダーク・ホースの出現によって、危うくなった(気がついてみれば、うちの大学生協には「中公文庫」の棚がなかった)。翻訳本なら読まないよ、というスタンスだったが、村上さんご自身の文章も書かれていると知り、早速購入。タイトルに違(たが)わず、本書はスコット・フィッツジェラルドのメモワール的作品となっている。
「彼の人生こそ、まさに小説」と言いたくなるような生涯が全般に描かれ(事実、彼の作品はその多くが“体験”に基づいているそうだ)、巻末には村上さん訳の短編が2作品収録されている。特に僕が気に入ったのは『自立する娘』の方で、「こーゆの描きたいんだよなー」と共感(でも、やっぱり自分でも無理やりハッピー・エンドにはしないかな、と思ったり思わなかったり)。フィッツジェラルドの半生や彼の作品に共鳴する点が多かったのに驚いた半面、その“重さ”を共有できてしまった自分もなんだかな……と感じずにはいられない読後感であった。
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フィッツジェラルドを読んでいると気になるミネソタのセントポール、ゼルダの出身地の南部などを、村上春樹が訪れてレポートするという豪華な本。
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村上春樹がフィッツジェラルドに宿命的に引き寄せられているように、わたしも村上春樹に引き寄せられていて、そんなフィッツジェラルドのことを知るということはまるで自分の原点を探るような、そんな試み。フィッツジェラルド・ゼルダ夫妻のことを考えるとき、その生き方のあまりのエネルギーの散らし方に、同じ人間とは思えない異世界を感じてしまって、底しれなさに絶望する。短編『自立する娘』があまりに良くてびっくりした。なんでこの人の小説に出てくる人はいつも他人を求めていて、それがなにか理不尽で誰も悪くなくてどうしようもないものに阻まれてしまって、世界のはしっこに置いてけぼりにされてしまったような、そんな悲しさを含んでいるのか。ある意味では、表出の仕方は違うけれどそれは村上春樹の小説にも共通していて、ほんとに悲しくてでもどうしようもなく心惹かれる。
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村上春樹さんのスコット・フィッツジェラルドへの思い入れがよくわかった。フィッツジェラルドのゆかりの土地を訪ね、小説の背景にある彼の人生がわかり、とても興味深く読めた。今度、他の小説も読んで見たいと思った。