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紙の本
料理を味わうように、俳句の味わい。
2006/10/30 20:55
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ワイド版岩波文庫は、活字が大きくていいですね。
ところが残念。この本、もうワイド版は品切れ。現在は普通の文庫でしか手に入らないようです。
さてっと、著者の高浜虚子はというと、夏目漱石の「吾輩は猫である」の題名を考えた人でもあり、ということは、この本も古典であります。
題名といえば、そういえば、藤原正彦に「祖国とは国語」(新潮文庫)と題する本がありましたね。漱石と親しくしていた物理学者・寺田寅彦は、こんなことを言っております。「何と云っても俳諧は日本の特産物である。それは吾々の国土自身吾々の生活自身が俳諧だからである」。なんとも大胆な断定で、ひょっとすると、これが俳句的なのかもしれないなあ。という推測をしてみます。
俳句は料理でいえば、自然食品みたいなところがありますね。
その味わい方も、菜食主義みたいなところがある。
では高浜虚子さんの俳句入門はどういうぐあいか、引用してみます。
蓼太(りょうた)という人の、気取った作り物のような俳句の例として
源は柳なるべし春の水
を取り上げたあとに虚子さんは、こう解釈します。
「いくら春の水が美しいと言ったところで、その水上が柳の木から流れ出ているであろうというのは理屈である。実際また落葉や芥や小石やらの間から、ちょろちょろと流れ出ているところに実際の美しさはあるのであって、それが是非糸を垂らしておる柳の木の下からであるように解するのはいわゆる月並みである。・・」
何か誤魔化しのない自然食品の味わいを大切にし、理屈という着色料をくわえない態度を感じます。それでは、好い句とはどういうのか?
たとえば蕪村の句を引用しております。
重箱(じゅうばこ)を洗ふて汲むや春の水
この解釈のところで、高浜虚子は、書いております。
「これは些細(ささい)な人事を咏じたものであるけれども・・・よほど自然である。・・些事(さじ)であるけれども、作りものらしい痕跡がなくって、自然の趣を得たことにおいては遙に上位に位しているのである。好句の一たるを失わない。」
さて、こういう評釈から、俳句の醍醐味をしめしてゆくのです。
ところで、私が紹介なしで、このような本を読むはずないのでした。
山村修著「狐が選んだ入門書」(ちくま新書)の中の「古典文芸の道しるべ」の一冊として紹介されていたのです。
「職場からの帰りに、ふと俳句を読みたくなって書店に寄り、目についた句集などを買ってくることがあります。たいていは何か生活上の区切りのできたときです。・・・この高浜虚子の一冊も、そんな時機に見つけ・・・さっそく電車のなかで読みはじめたのですが、これこそ俳句への入門書として一級品であることを吊り革につかまりながら確信しました」とこんな風に、狐さんは書き始めておりました。