紙の本
イタリア古寺巡礼 和辻 哲郎
2017/11/09 11:36
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投稿者:英 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは「古寺巡礼」のイタリア版である。1950年代の内容であるが
今なお古びていない。67年前であるからその取り巻く環境は当然
変わるが美術品は現在もそのままである事を考えれば充分の楽しめる内容
である。日本の「古寺巡礼」と併せて読むのも興味が湧いてくる。
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時代が変わっても魅力の絶えないイタリアの底力と渡欧者の少ない時代にここまで書き記した著者の見識の両方に驚かされる。これを片手にイタリア各地を巡るほど贅沢な旅行はない。
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異国の地を踏み、過ごすことで得られる感覚。
80年前の記録であっても、その瑞々しさは現代の私達の誰しもと通じている、
と実感を持って読んだ本。
(自分も旅行した南仏に関しても触れられていたと言うのもあり)
特に旅行する人、留学する人にオススメします。
知識と言うより、感受性と言う点で。
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イタリアいくぞ!
ということで行く前に買って、飛行機の中で読んだ一冊。
和辻哲郎がイタリアを周遊した時の日記みたいな、メモみたいなものだけれど、メインは有名な絵画や彫刻の論評になっていて、
「実際にイタリアで芸術を見るにあたって見る目を鍛えることができるぞー!」
と思ったものの、そんな実行力はない自分に乾杯。
この本自体は読む価値があるかとも思うが、個人的にはこういうエッセイ的につらつらと書かれるのは苦手なのだ。
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紀行文として読むだけでなく、文化人類学のフィールドワークの際に、どのような事柄をどの程度までフィールドノートにメモすればよいのかの参考にもなる本。
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イタリアを旅すると,大きな町には必ず中央にドゥオモと呼ばれる大聖堂が建っていることに気づく.また,郊外にも歴史ある修道院がたくさんある.和辻の思索を追いながら,旅行するのも一興である
(2010:小林茂之先生 推薦)
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これは別にイタリア案内本ではなく、旅行記でもない。
和辻哲郎という一時代を築いた哲学者が、イタリアという文明をいかにとらえ、いかに考えたか。その軌跡を追う書である。
旅行記としてはあまりに中途半端だし、随筆としても、あまりにとりとめがなさすぎる。そのようなものを期待して読むと書籍も読者もフラストレーションがたまるんじゃなかろうか。
でも一哲学者の思索を追跡するとなると俄然面白くなる。
そういう本でした。
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和辻哲郎による、昭和2年のイタリア旅行と美術観察記。この時期、欧州留学をしていた氏が、1年半をかけてイタリア各地を巡っている。
ギリシア文化の美術品とローマのそれとの比較。さらには日本とイタリアの気候の違いからくると思われる、美術品の違いなど、鋭い指摘が多い。
ただ、絵画や彫刻の写真は少なく、文章によるものがほとんどなので、少し理解するのは難しい。
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パリ、ニース、ジェノア、ローマ、ナポリ、シチリア、アシシ、フィレンツェ、ボローニャ、ラヴェンナ、パドヴァ、ヴェネチア、ヴェロナ・・・。
時は1927年末から1928年にかけての時代。イタリアではファシスト党が幅を効かせてはいるものの、大戦間期であり、1929年の世界恐慌前の割と安定した時代。そんな時代にフランス南部とイタリア各地を旅行した和辻哲郎の紀行日記です。
題名は『イタリア古寺巡礼』ということで、旅行以前に著した『古寺巡礼』と符号を合わせるようなネーミングになってはいますが、単なる「古寺巡礼」に留まらず、フランス南部やイタリア各地の「風土」の考察、「古寺」を訪ねての建築物や、収蔵されている数々の美術品の観察・分析を、鋭い着眼点と優れた考察力でしかも端的に綴っているのが大きな魅力で、さらに旅の過程で折に触れて記される旅情や現地の香りが漂う身の回りの出来事の記述など、紀行文としてはなかなかの秀作に仕上がっています。
意外だったのは、当時のヨーロッパへは和辻哲郎だけではなく、日本史の黒板勝美や考古学の浜田耕作や文学者の竹山道雄など何人もの日本のアカデミックな人材が渡航していて、折々に会し、旅行を共にしたり、飲み食いをしたりと、なかなか楽しげであったのですね。
この旅行で和辻はイタリアの自然や多くの古寺、美術品などに触れたわけですが、その炯眼にはまったく敬服するばかりで、事前に勉強もしていったのでしょうけど、そうした背景だけに留まらず、対象物を微細に部分観察していたかと思うと、全体像を俯瞰して見せたりと、学者らしい物事の配慮にはただただ感心するばかりです。まずもってそうした目の付けどころが違うんですよね。
特に和辻が関心を持っていたのは、ギリシャ彫刻のわざわざ凹凸を肌に残すことにより内から込み上げてくるような肉体美に仕上げた表現技法とか、建物でも円屋根とかキオストロ(四面回廊)とか柱の縦線とか、あるいは壁画やモザイックの色の技法だったりして、またイタリアの自然面でも日本との風景の違いを湿度にもとめるなど、いちいちマニアックな着眼点には恐れ入るばかりです。(笑)
有名どころでも、ミケランジェロとかダ・ヴィンチとかの作品にも細やかに観察・分析していて興味深かったのですが、それと同等以上にジョットーをはじめとした宗教画への言及もなかなか興味深かったです。個人的にはジョットーの「聖母像」が、北朝鮮の宣伝絵を連想させて面白かったかな。(笑)また、シモネ・マルチニとかロレンゼッティなどシエナ派の絵も和辻のいう洗練と甘美があってなかなか良いと思いました。
実は本文中、和辻はボッティチェリの「ヴィナス誕生」をあまり気に入らなかったみたいなのですが、どうしたことか表紙カバー絵に採用されていて、これは何かのユーモアかそれとも編集の怠慢なんでしょうかね?(笑)
和辻が移動の途中途中で分析したように、いたるところで山の上に町が形成されている一因にマラリアがあったのでは、としているのですが、どうも和辻はそのマラリアに罹ってしまったようで、ヴェネチアやヴェロナの紀行文がリアルタイムに記されず途中で終了してしま���たのは、返す返すも残念なことです。
いまは、和辻が旅行で体験したような風景や遺跡や美術品がそのまま残っているとは限りませんが、もしイタリアへ行くようなことがあればまた読み返してみたくなると思える秀作です。
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私が初めて読んだ和辻哲郎の本。
和辻哲郎の名前とその代表作である「古寺巡礼」の名前は耳にした事があったが、これまで和辻氏の著作を読んだ事がなかった。
この本は、戦前に欧州留学をしていた和辻氏が妻の照夫人に留学先から送った手紙を体裁を整えて本にしたものである。
まず感じたのは、和辻氏の美術に関する表現の素晴らしさである。
それは独特でしかもその作品の本質を見事に言い表している。
頭で理解するというより感覚的に分かると言ったほうが良いかもしれない。
例えば和辻氏が絶賛している”シヌエッサのヴィーナス”については、以下のように表現している。
肉体の表面が横にすべっているという感じは寸毫もない。
あらゆる点が中から湧き出してわれわれの方に向いている。
内が完全に外に現れ、外は完全に内を表している。
それは「霊魂」と対立させた意味の「肉体」ではなく、霊魂そのものである肉体、肉体になり切っている霊魂である。
人間の「いのち」の美しさ、「いのち」の担っている深い力、それをこれほどまでに「形」に具現化した事は、実際に驚くべきことである。
現代日本において、この様に美術品を表現する事ができる人間がはたしているのだろうかとも思ってしまった。
また、ローマ建築とギリシャ建築の違いを評して、前者はメカニズム(機構)の美しさであり、後者はオルガニズム(有機体)の美しさであるとも書いているが、非常に的を得ていると感じた。
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哲学者、和辻哲郎のイタリア紀行。
歴史などの知識が旅を楽しくさせることを思わせる。
フィレンツェが特に気になったので、行ってこようと思う。
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こんな繊細な旅の楽しみ方があるんだと気付かせてくれる。
草木から地域や国々の風土や国民性の違いを分析し、一つの建造物から多面的なモノの見方をする。
イタリアを旅する人には一読の価値、いや必読の価値あり。
【いつしかのメモ】
木が手入れされたように綺麗 ヨーロッパは薄い緑色の雑草で多くはない
ローマ建築は質よりもその大きさや量で圧倒する
サン・ピエトロ ミケランジェロは堂全体を支配している丸屋根やその下の部分 だが正面からは見えない
最後の審判もごたついたように見えるが、実際は複雑な構図のためにかえって全体がきちんと整って見える
イタリアと日本は似ている→生活が寒さよりも暑さに制約される。寒い国では体を引き締める習慣がつくが、暑い国はだらける場合が多い。そのためドイツにはいい体格をしたい人が多い。イタリアは日本と同じで貧弱でことに女に日本風の痩せ方をする。
闘技場の音響
ギリシャ建築は豊かな内容を持っていながらそれに強い統一感を持たせ、その結果結晶してくる単純さ
ジョットーは立体的に彫刻的な絵を描く
ボッティチェリは近くで見たときの線の美しさ
ヴェネツィアはモザイクで有名。アッティラが攻めてきたときの避難の島としてゲルマン人の影響を拒み独立して国家として成立
ローマ フィレンツェでもイタリアルネサンスの偉大な絵を見ても色彩が足りない。写真以下。しかしヴェネツィアは写真を凌駕する色彩に富む。ティチアンが至高
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イタリア古寺巡礼
(和書)2010年08月15日 22:19
1991 岩波書店 和辻 哲郎
旅行記としてとても新鮮に楽しく読めた。
印象記としては、実際自分で観てみないと何とも言えない部分があり、とやかく言うのは早計だろう。
他の著作も読んでみます
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羨ましくなるようなイタリアの旅路。戦前のことで鉄道が今ほど発達していない時期にゆったりと進んだのだと思う。日本の風土や気候と比較した描写が入っており「風土」につながる内容であることがわかる。自分の「イタリア古寺巡礼」を実現して少しでも自分なりの日伊文化比較をやってみたい。
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本書は和辻哲郎が欧州留学の際にイタリア各地を訪れて綴った美術紀行である。イタリア美術といえばルネサンス、特にその絵画が注目されがちだが、和辻の筆は、どちらかと言うと絵画よりも彫刻や建築などの空間芸術、とりわけギリシャ人が残した空間芸術を語る時の方が冴えている。ジオットからボッティチェリに至る数々の巨匠の絵画を論じても、総じて「よく描けてるね」という感じで、絶賛とまではいかない。東洋的な落ち着いた色調を好む和辻には、西洋絵画の色彩感覚が今ひとつ肌に合わないと見える。
一方「ミロのヴィーナスの比ではない」とまで褒めちぎる「シヌエッサのヴィーナス」を語る次の一節は圧巻である。「肉体の表面が横にすべっているという感じは寸毫もない。あらゆる点が中から湧き出してわれわれの方に向いている。内が完全に外に現れ、外が完全に内を示している。・・・霊魂そのものである肉体、肉体になり切っている霊魂である。」和辻は処女作『古寺巡礼』でも法隆寺夢殿観音の微笑にモナリザの微笑にはない「霊肉の調和」を見出していた。
ミケランジェロのモーゼ像も「中から盛り出るもの」を刻み出そうとするのだが、内なる精神を外に押し出そうと意匠を凝らすミケランジェロに対し、ギリシャ彫刻には内と外の区別がないと和辻は言う。ミケランジェロは「深刻」で「精神的」かも知れぬが偏っており、全体の調和の中で朗らかに安らうギリシャ人にはかなわないと。ミケランジェロを「ごたごた」していると評する和辻の美意識には簡素を重んじる東洋人の感性が滲んでいる。
建築においても和辻はシチリアに残るギリシャ神殿の「粛然」とした「単純さ」を讃えており、それをロマネスクの「厳粛」さでも、ゴシックの「神聖」さでもなく、唐招提寺の「魂の静けさ」に重ね合わせる。こう見てくると、本書はイタリアを介した和辻のギリシャ発見であり、東洋再発見の旅と言えるかも知れない。和辻の美意識のプリズムを通した比較文化論でもある。随所に散りばめられたイタリア各地の自然・風土への眼差しには常に日本との対比が意識されており、それは後に本格的な比較文化論である『風土』に結実する。