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紙の本
紛れもない代表作
2022/05/30 10:57
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投稿者:imikuto - この投稿者のレビュー一覧を見る
紛れもないクイーンの代表作であり、人気作でもあると、いまも思っていますが、レーン四部作の他3作が本作より劣るわけではありません。
万人受けするのがどれか、というと本作なのでしょう。
万人受けするといっても、犯人像や舞台としては異質のような気もします。
クイーン入門ならまず本書でしょう。つぎに他3作。そして国名シリーズかな。
マニアックなファンからすれば、国名シリーズがいちばんかもしれませんが・・・
国内では(おそらく国外でも)、クリスティーにリードされがちなクイーンですが、本書をきっかけとして、多くの読者に読み継がれることを期待します。
国内の横溝正史ですら、再ブームは訪れそうにないから、クイーンがブームになることはもうないでしょうね。
せめてクリスティー文庫に倣って、クイーンの文庫全集を地味に作ってもらえればなぁ。
紙の本
彼女の指が触れた頬
2015/12/07 19:31
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:saihikarunogo - この投稿者のレビュー一覧を見る
若い頃、我が家の本棚には大久保康雄訳の『風と共に去りぬ』や『スタインベック短編集』や米川正夫訳の『罪と罰』などの小説があって、それらは、母や伯母や叔母が買い集めたものであった。『Yの悲劇』もそのうちの一冊であった。
久しぶりに、大久保康雄訳の『Yの悲劇』を懐かしく読んだ。が、ちょっと気になることがある。私が初めて大久保康雄訳に触れたのは中学生時代だったが、その頃は、「障害者」という言葉はなかった。しかし、1987年改版のこの本では、その言葉が使われている。それは大久保康雄本人が改めたものなのかどうか、解説にでも付記してほしかったと思う。
耳が聞こえない元俳優、義足の元船長、耳が聞こえず目も見えず話すこともできず、触角と嗅覚と味覚が優れている女性、など、「障害者」が活躍する小説である。特に、耳が聞こえず目も見えず話すこともできない女性が、手話や、道具を使って会話する場面は印象的で、事件の解明に重大な一助を果たす。
一方、耳が聞こえないけれども読唇術で会話ができる、という、ドルリー=レーンの描写は、電話が使えない点などはしっかり押さえられているが、ところどころ、おかしい。たとえば、話しかけられたドルリー=レーンが「振り返って」返事をする、というのは、ありえないだろう。また、ドルリー=レーンが死体公示所の解剖室に入ってきた時に、医者が手術台から「顔も上げず」に、どうぞおはいりと言ったって、ドルリー=レーンにわかるはずがない。これらは作者のバーナビー=ロスことエラリー=クイーンの、ミスだと思う。
大久保康雄による1958年9月付けの解説が巻末に付いている。その冒頭に、1920年代~1930年代の本格推理小説の名作の数々が挙げられていて、バーナビー=ロス名義のドルリー=レーンものはそれらの末期の傑作だと説明されている。その本格推理の魅力を十全に解説したうえで、さらに、ドルリー=レーン本人の魅力に触れているのがうれしい。
ドルリー=レーンが住んでいるニューヨーク郊外の「ハムレット荘」は、「ハドソン河の上に数百フィートの高さでそびえている」城で、その周りには、「手入れの行きとどいた、ひろびろとした庭園」、「きれいに刈りこまれたいちいの林」、「破風造りの農家、石垣、小道をそなえたエリザベス朝風の集落」、「濠や吊り橋」があり、「十六世紀の断片であり」、「何かシェイクスピアを思わせるものがあった」。これはもう、シェイクスピアのテーマパークというか、ディズニーランドのシェイクスピア版というか、シェイクスピアランド、あるいは、ドルリー=レーンランド、とでも呼ぶべきしろものだと思う。
いったい、世界的な名優だからといって、それほどのものをこさえるだけの富を得ることができるのだろうか。七つの海を支配した大英帝国の栄光の及んだ所全てシェイクスピア劇が鑑賞されるから、可能なのか。
まあ、あまり深く考えまい。
〔ネタバレ〕
『Yの悲劇』を読むと、昔の自分を棚に上げて、推理小説はおとなのおもちゃだ、読み書きを覚えたばかりの子供が手に取っていいものじゃない、と言いたくなる。事件は血族の悲劇、病毒と遺伝によるものだとされているが、それは、昔だったら、たたりとか呪いとか言っていたことの、現代的表現だろう。それというのも、悲劇の原因とされている病毒と遺伝が、果たして、この小説に描かれているような表われ方をするものか、と疑問に思えるからだ。むしろ、現実の病気のことではなく、このような表われ方をする病気がある、という仮想現実として受け入れるほうがいいだろう。
紙の本
善悪の彼岸
2002/05/19 07:10
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投稿者:呑如来 - この投稿者のレビュー一覧を見る
傑作である。といっても、それは意外な犯人や犯人を導き出す論理の秀逸さによるものではない。「罪と罰」を検証する哲学性と、「人が人を裁くことは出来るのか」という判断を読者に突きつける作者の態度が素晴らしいのだ。ラストの不気味さは、神なき世界に住む人間の“善悪の彼岸”を示しているように思える。