紙の本
現実と非現実が隣り合わせる、ものごとの薄い輪郭
2009/10/23 17:26
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ユー・リーダーズ・アット・ホーム! - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は短編集ですが、物語の書かれ方にいくつかの種類があるように感じました。あるいは読み手の受け取り方にもよるところでしょうか。
たとえば、一見まったく無関係の世界、複数の視点が交錯して渾然一体となっている、マーブル模様のような物語、こういう言い方で大きく違ってはいないと思うのですが、「夜、あおむけにされて」や「すべての火は火」なんかはそういう作品のように感じました。印象がすごく鮮やかだったのですが、読んでいて、藤子・F・不二雄のSF(すこし・ふしぎ)作品のいくつかや、大友克洋の初期作品(「夢の蒼穹」)のイメージと重なる部分があるように思ったりもしました(引き合いに出すのがマンガで偏るようですが)。
現に今ここで体験している現実に違和感を持ったり、こうして確かに実感しているはずなのに何も証拠はないという不確かさ、既視感、存在していることの裏表のようなもの。コルタサルの描くものは、単に誰にも及びもつかない想像力の具現というよりも、むしろ言い得ない漠とした不安のようなものを文面に提示しているという気がします。どんなに突飛で空想的でも、思いもよらない物語として驚かされるのではなく、むしろ、そこに描かれているあらゆる意味での不確かさに、そういう不安は自分ひとりだけのものではなかったと安堵させられるような感じです。
イメージとして、メビウスの帯やエッシャーの「写像球体を持つ手」のように、どこかしらに一段想像の飛躍のある展開が、幻想的な作風といわれる所以かもしれませんが、そんなふうに現実から遠く、あり得ないものを描いているようでいて、ある意味、実際には、最も現実に近く寄り添った何かが描かれているという気がします。
「追い求める男」や「南部高速道路」は語り手の視点の定められた作品で、この短編集の中でもある程度の長さのある、語りに傾注された作品という印象です。内容的にも「追い求める男」なんかは、それまでとは著者の意図に変化があるようですが、ある強烈な人物を核においた物語として(必ずしも同じ方向性の物語ということではないのですが)、ウィリアム・メルヴィン・ケリーの「ぼくのために泣け」や、ラードナーの「相部屋の男」を思い出しました。「追い求める男」はチャーリー・パーカーを念頭に描かれた物語で、その点、「ぼくのために泣け」は黒人のミュージシャンが主人公という共通点がありますが、ラードナーの「相部屋の男」は野球選手の話です、にも関わらず、「相部屋の男」を初めて読んだときにジャコ・パストリアスのことが思い浮かんだという、その辺りで印象を重ねたんだと思います。
「続いている公園」のような短い作品は、不思議な絵という印象により近づく気がします。目の前の壁に絵が掛けられていて、読み手はそのまま足を踏み入れて紛れ込んでいく、そういう引力があります。
紙の本
虚構と現実が重なる
2017/09/10 05:52
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
「続いている公園」は圧巻です。作られた物語が現実の世界を越えていく様子は、今の時代につながるものがありました。
紙の本
悪魔の涎 その他
2021/06/16 21:47
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この短編集に収められている作品は幻想的な作品が多いが、解説にあるように、作者は「幻想的」という言い方は他に仕様が無いのでしているのであり、本当はリアリズムの一種なのだとしている。いわゆる一般的なリアリズムは現実をあるがままに写そうとする表現方法だが、そのようなものはコルサタルに言わせると「まやかしのリアリズム」ではあり、この短編集に収められた作品は「秘めやかで伝えがたいリアリズム」なのだという。
写真の中で起こりえたかもしれないもう一つの現実が進む作品や、呼んでいる小説の中の物語が読者に迫る作品、演劇の観客が舞台に上げられて芝居に巻き込まれ、やがて劇場に外にまでその世界が広がっていく作品など、現実と「その他の何か」について取り扱った作品が多く、面白かった。
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なんて説明したらいいのかわからないけど、超常的? 「幻想的」っていうのとは違う気がする。もっとどぎつくて、超現実で、土っぽくて、ナンセンスな感じ。いい。
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ラテンアメリカ文学ブームの一翼を担った作家の短編集。
解説にあるようにシュルレアリスムの影響を大いに受けているようで、ガルシア=マルケスやアレナスとはちょっと雰囲気が違い、どちらかというとカフカなんかを彷彿とさせる。
本書前半に掲載されてる短編は、現実と非現実の境をあっさり越境する幻想的な風合いを持っているものが多い。何でもない日常の中に、異世界への入口がぽっかり口をあけているような雰囲気が何とも恐ろしい。話としての面白さも抜群。ただ、何篇かはオチが読めてしまったものもある。
真ん中あたりにある中編「追い求める男」以降はちょっと雰囲気が変わる。幻想的な雰囲気はやや弱めになり、ある意味分かりやすくはなる。
特に気に入ったのは、口からウサギを吐き出す男が主人公の「パリにいる若い女性に宛てた手紙」、一枚の写真が非現実的な世界への入口となる「悪魔の涎」、薬と音楽の中でひたすら何かを探求し続ける男の話「追い求める男」、一週間近くにもわたる大渋滞に巻き込まれる「南部高速道路」など。
結構良質な短編が多いので普通に楽しめる話も多いと思う。
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夕暮れの公園で何気なく撮った一枚の写真から、現実と非現実の交錯する不可思議な世界が生まれる「悪魔の涎」。薬物への耽溺とジャズの即興演奏のうちに彼岸を垣間見るサックス奏者を描いた「追い求める男」。斬新な実験性と幻想的な作風で、ラテンアメリカ文学界に独自の位置を占めるコルタサルの代表作10篇を収録。
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アントニオーニの映画『欲望』の原作、コルタサル「悪魔の涎」について。
ほんの数頁。短篇。短い。怖い、というよりシュール。
映画と違ってとても閉じている。
全てが写真家の目の前、というより目の中で起こっている。
それにしても。
時空間の歪みどころか、次元の歪みというか何というかの連続。
ふと気づくとあちら側とこちら側が交叉してる。
それでぞっとする。
立体的で時間も縦に一方向に流れている四次元の現実と
フレームの中に切りとられた三次元の写真、その中の現実。
ないはずの時間と動き、流れ。変更、いや変質?
ということは閉じているというのとは違うのか。
因みにこれには、確か高校のときの国語の教科書にあった
「占拠された屋敷」も収められてます。
これ授業でやりたいって言ったら却下された気がする。
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1990年の夏、スコットランドに取材旅行に行ったとき、
飛行機から見えた、アイラ島近くの小さな島が、
どうってことのない島なのに、なぜか頭から離れず、
いまでも、わたくしの脳のどこかに、住みついているのです。
何か形を与えないと、あの小さな島は納得してくれないような
居心地の悪い感じがいまでも残っています。
飛行機から眺め下ろす島――というだけではなくて、
眺め下ろす島と、同時に島から、飛行機を見上げる視線、
という奇妙な感覚です。
そこに自分も生きているという、不思議な感覚。
飛行機から眺め下ろす島というイメージで印象的なのは、
吉行淳之介の『暗室』に出てくる島です。
ただ、あそこには、下から見上げる視線がないので、
あれだけ印象的な描写なのに、わたくしには、
不全感が残ります。
(もちろん、吉行が描きたかったのは、全然、別のことなのです。
ないものねだりです)
コルタサルの、この短篇集に収められている
「正午の島」が、わたくしの居心地の悪さに最も近い島です。
上からの視線と下からの視線を同時に実現するという技は、
難易度が高い。
それなのに、全然、不自然ではない。
この「正午の島」以外の作品のどれもが、
難しい技を使って、それでいて難解ではない、
さすが20世紀後半を代表する
世界的な作家の仕事としか、言いようがありません。
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2009年10月15日読了。
【目次】
続いている公園…現実と空想が入り交じる
パリにいる若い女性に宛てた手紙…兎に悩まされる男
占拠された屋敷…奇妙な音に侵略されていく屋敷
夜、あおむけにされて…夢と現実
悪魔の涎…写真の中のもう一つの現実
追い求める男…聖なるものを求める男
南部高速道路…渋滞の為に共同生活をするはめになった人々
正午の島…生と死
ジョン・ハウエルの指示…現実は些細な事から奇妙に変質する
すべての火は火…すべてを清める浄化の炎
【感想】
幻想的な短編小説。ボルヘス好きなら好き
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ミケランジェロ・アントニオーニの映画「Blow Up(欲望)」原案、というのがきっかけで読んだ。
あの映画だけでは消化不良(というか物足りない)だったのが、
これでスッキリ!というより、こちらのほうが断然おもしろい。
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アントニオーニの『欲望』のモチーフとなった「悪魔の涎」、チャーリー・パーカーをモデルにした「追い求める男」の表題2作はマニア受けする作品でもあるだろう。しかし、たった2ページで境界を破る冒頭の「続いている公園」、そして何より、単なる渋滞をこんなに寂しい物語に仕立て上げた「南部高速道路」が絶品。この2作に限ってはボルヘスの作品よりも好きだ。これだけでも★5つ。他には「すべての火は火」が個人的に好み。
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面白い短編集です。幻想小説かな。
南米系を全く読んでいなかった私に衝撃を与えてくれました。
なんて素敵な幻想世界…。
中でも「夜あおむけにされて」は非常に興味深かったです。
メソアメリカ的人間狩りがモチーフで、狩られる側の人間の
真理なんて考えた事も無かった…それがまた現実世界と交差して…
毎回ラストも秀逸。短編の終わりどころのセンスが何ともいい。
アントニオーニの「欲望」を観る為の資料として
読み始めたのですが、いやいやいや…予想を遥かに超えて
面白かったです。凄く好きかも知れません。
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「南部高速道路」が鉄板。
「追い求める男」「ジョン・ハウエルへの指示」も好き。
文字でぶちのめされる体験がしたいならぜひ。
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君は口から兎を出したことがあるか?
岩波文庫のコルタサル短編集の中から「パリに住む若い女性に宛てた手紙」(たぶんこんなタイトル)を読みました。この不在の若い女性の家に住むことになった(という理由には触れられていないのは、こういう短編の定石でしょうか?)男…この男の特技というか癖というかなんというか…が、口から兎を出す、ということなのです。なんだか繊細な女性の部屋を少しでもかき乱すのはいやだ…なんて書き出しているくせに、そのかたわらではタンスに兎を飼っていたり、その兎が本をかじってたりする。 んで、十羽まではなんとか隠していたけれど、十一羽になったら、男は我慢できなくなって兎達とともに飛び降り自殺してしまう。 うーん、やっぱり兎は性欲の象徴ということらしいのですが、でもなんで十一羽なんでしょうね? コルタサルは凝る他猿?
(2010 05/12)
「占拠された屋敷」の別解?
昨夜寝がけに少しだけ読もう、と読み始めた「コルタサル短篇集」から「占拠された屋敷」なのですが、解説によると「占拠」の持つ意味はここでも?近親相姦とかいうような性欲関係らしいです。確かにそんな臭いしてますが(笑)、ここではあえて(自分なりに)別の読み方を。例えば最初の「占拠」(といってもただ屋敷の半分から物音がし始めたということだけなのですが)は右脳を、次の「占拠」は左脳を意味している(順番には特にとらわれず)・・・あるいは、近代社会になるにつれて多くのものが視野から消え去って削れていった、と言う意味での「占拠」された場所、ということかな? まだまだ他の読み方もできると思いますです。
(2010 05/18)
もうお腹いっぱい(笑)
「夜、あおむけにされて」と「悪魔の涎」。キーワードは「メビウスの輪」。こちらから読んでいたのが、気付かぬ間にあちら側に取り残される。そんな2編。
メビウスの輪の「完成度」は「夜…」の方が高く、最初のさりげないほのめしから、2つの世界を行ったりきたり。アステカ族の世界で捕虜となって処刑される段になり必死に眠って現代の病院の世界に戻ろうとするが、もはや輪は閉じられてしまっていた…あーあ、こわ…
んで、「悪魔の涎」は写真のこちら側とあちら側なんだけど、ところどころに輪の破れがあって、それはそれで恐いんだわ(笑)。 というわけで、こんな2編、朝から読むと、もうさすがにお腹いっぱい(笑)。 とりあえず、交通安全と、知らない人を写真に撮る時は一声断ってからにしましょう(笑)。異次元に行かない為にも… 「悪魔の涎」にこんな文章がある。
まず、この建物の階段を降りて、一カ月前の十一月七日の日曜日まで戻ることにする。六階から階段を降りると、そこは日曜日で、いかにも十一月のパリらしい太陽が輝いている。
(p59)
位置表現と時間表現との交錯ですが、先に述べた「輪の破れ」の一例ともなっている。結果は写真によって切り取られた過去とそれから現在が、写真の面を媒介にして行き来可能になるということ。写真の現代性と、上の分の「階段降りた所にある十一月のパリというのは位置情報であるけれど、2つの異なる時間現象を結びつけてしまうものでもある。えーっと、他にこのようなところにでてきそうなモノはないかな?
(2010 05/26)
エレベータと地下鉄の時間的つながり
今日はコルタサル短編集から「追い求める男」。ジャズサックス奏者の話なのですが、なんだかこの男、時間に関する考えにとりつかれている感じ。エスカレータでも地下鉄でもその乗っている時間以上の過剰な映像等が流れる。そんな「自己の中の時間」でみんな生きられればいいな。というのが、このジョニーという男の考え。 (そういう体験って、プルーストの水中花や、キリーロフの癲癇体験などと共通するのかな?)
つまり、スーツケースの中にもう一度詰めようとすると、今度は店一軒分に相当する何百着という服がそっくり入るんだ。
(p93)
前ページのエレベータの例や地下鉄の例をわかりやすく短文で言い表したもの。
・・・あらゆるものに穴があいていることは分かるはずだ。ドアやベッドはもちろん、手や新聞、時間、空気、あらゆるものが穴だらけなんだ。すべてがスポンジか、自分を濾過する濾過器みたいなものなんだ・・・。
(p128)
穴があいているから伸縮自在に時間を想起を収納できるのかな、you know? では、ジョニーが一分を十五分に感じている間、ジョニーの他の何かが身体から出て行ってるのかな?濾過されて。
(2010 05/27)
追い詰められたら追い求める男に
コルタサルの「追い求める男」の続きですが、追い詰められた男が、逆に追い求める男になったという表現がありました。うーむ、ここでも輪が…
(2010 05/28)
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現実がどこからかねじ曲がって非現実になる。
コルタサルはそういう短編が多い。
この短編集もそういった作品の中で有名なものを集めている。
不思議な短編映画を見ているような、そんな気分になる。