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紙の本
根本的な観念は今も残る
2004/04/07 07:19
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投稿者:無風 - この投稿者のレビュー一覧を見る
魔女狩りが行われていた時代があった。都市のエリートや教会改革者たちが、自分たちの秩序を固持するために、「魔女」の名の下に、女性たちを焚刑台に送った、あの所業である。反対に、女性が崇められる場合もあった。美徳あふれる行動や死後の奇蹟によって教会に多大の貢献をした女性を、司教が「聖女」として認可する、というものである。対象が女性であることが、共通している。何故か。
『創世記』にこのような記述がある。
『女、汝は悪魔の門、汝は悪魔の樹木に同意し、また汝が最初に神の法を捨てさった。汝こそ、悪魔の攻撃にたえるに十分勇敢であったかの男(アダム)を説きふせたのである。汝はいともたやすく神の似姿に創られた男を破滅させたのである。……』
この「女」とはイヴのことである。イヴこそ呪われるべき女性のモデルとして定着する。古代から教会人たちは女性を忌み嫌ってきた。これが「魔女」の概念へとつながることになる。
ところが、これまで女性を嫌悪する気運だった世界において、十二世紀ごろから「マリア崇拝」が盛んになる。信仰心が柔和になったこの時代、もともとは聖職者や修道士という男性が、人類の優しい母としてのマリアに縋ったのである。現実の女性がマリアに重ねられることも否定されなかった。これが「聖女」の概念となる。
以上が、「魔女」と「聖女」の裏事情である。重要なのは、世俗の女性たちには、「蔑視」されようが「崇拝」されようが、良い方向には作用しなかったということである。いずれにせよ、女性への押し付けになっている。「魔女」は言うまでもないが、ある意味では、「聖女」も女性に対する「差別」であるように思う。また、魔女狩りの横行は、ルネサンス期という一時期のことたが、こうした女性観「そのもの」は基本的にどの時代にも存在しているように感じる。現代も例に洩れない。
なぜ女性が「自由」を求めるのか、少しだけ理解できたように思う。こうした女性観を克服するというのは、歴史的に見てみれば、極めて難しい問題だったのだ。