ナイン・ストーリーズ 改版 (新潮文庫)
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紙の本
複雑な音符の束
2010/07/01 17:29
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きゃべつちょうちょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
先日の岡田ジャパンの好戦をラジオでたのしんだ。
はっとしたのが選手の動きを伝える際に、
「長髪をなびかせながら」などの描写が入っていたこと。
まるで絵が浮かんでくるようだった。
サリンジャーの描写力もまたすばらしくい。
ささやかな、物語の奥に潜む謎を浮かび上がらせる。
小説という箱の中で、次々とマジックを見せてくれる。
わたしが心に残ったのは「小舟のほとりで」。
母親と息子のなにげない日常のスケッチだが、
ふたりのふれあいの中で
息子の様子がしずかに変わっていくのがわかる。
なんだか少し泣きたくなるような、
抱きしめたくなるような話である。
すべての話は、不安定な感じだ。
ひとつひとつが奇妙な響きを持っていて
それらがまとまって心を揺さぶりにかかる。
シャープとかフラットが付いた音符みたいに。
ちょっと神経を普通じゃないところへ
持っていかれそうな雰囲気がある。
最初の話「バナナフィッシュにうってつけの日」で
強烈なカウンターパンチを受けながら読み進んでいき、
最終話の「テディ」でけむにまかれる。
そして読み終わってからも
「バナナフィッシュ~」のあの奇妙な男の結末が気になり、
グラース・サーガへ手を伸ばすことになる・・・・・・。
(という人が多かったのではないか)
柴田さんの新訳も好評だが、
なんだか読み返すのは、この野崎孝訳なのだ。
ヒステリックな感じのこわさが、よく出ていると思う。
紙の本
切なさが最高。
2008/03/03 12:44
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:(k・д・w) - この投稿者のレビュー一覧を見る
『森博嗣のミステリィ工作室』のルーツミステリィ100のコーナーで、【サリンジャーは最高に好きな作家】、【僕の文章の目標】、【20代の頃はこれが自分の中でトップ】などと猛烈に褒められていたから、興味を持って買った本。
最近、無性に再読したくなって、再読した。欲求はすぐに満たしたい人間だ。
さて、内容だけど、これが、読みたくなって読んだからか、非常に良かった。最初に読んだときは、う~んこれがトップかぁ、という感じだったけれど、2回目の今回、やっと良さがわかってきたみたい。
森氏が、【あまり若い頃に読んでも良さはわからないかもしれませんが、ある程度小説を読んで、読解力がついた20代くらいに読むのが良いと思います】と分析している、そのとおりだった。
なんだろう、たとえば収録2作目の『コネティカットのひょこひょこおじさん』の、親なんだけど親になりきれない切なさというかぁ、そんなのとか、凄く良いし、『対エスキモー戦争の前夜』の最後の一文、『小舟のほとりで』の切なさ、『エズミに捧ぐ』の切なさ、最高だね。
結局全部切ないんだけど[笑]。
サリンジャーは『ライ麦畑で捕まえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』が一番有名で、それも若い頃に読んだんだけど、いまいち良さがわからなかったから、また再読したい。
他の作品も、もっと読みたいね。うん。
紙の本
心をときほぐすのにうってつけの短編小説たち
2012/02/05 12:10
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:お月見 - この投稿者のレビュー一覧を見る
学生時代、まだ私が「ライ麦畑でつかまえて」しか読んでいなかった頃、「サリンジャーはライ麦よりも短編集のほうが面白いよ」と人に勧められて読みました。そして「なるほど!」と目からウロコ状態に。
表題作の「バナナフィッシュにうってつけの日」のラストで何故、という疑問符を引きずりつつ、グラース家のサーガから他の短編集から、とにかくサリンンジャー作品で手に入るものは全て読みつくし、更に「なるほど!」状態に。
中でも一番好きなのは「エズミに捧ぐ」
嫌なことがあって眠れない夜、このお話の文章を思い浮かべては、まずは一晩眠れば何とかなると言い聞かせて眠りにつきました。
人は大人になると、気持ちの切り替えすら、最終的にはセルフサービスで無理矢理にでも折り合いをつけるのだなあと思い知ったお話でもあります。
あまり書評になっていないかもしれませんが、サリンジャーの文章はどれも美しすぎて、まずは読んでみて感じて下さいとしか言えない気もしませんか?
紙の本
「バナナ剥きには最適の日々」を読んでいたら、サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」がまた読みたくなり、購入。
2012/05/20 18:11
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:龍. - この投稿者のレビュー一覧を見る
「バナナ剥きには最適の日々」を読んでいたら、サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」がまた読みたくなり、購入。
サリンジャーの代表作といえば、「ライ麦畑でつかまえて」ですが、この9つの短編もそれぞれ特徴があって、好きな品です。
The Catcher in the Ryeを初めて読んだのが、大学生のとき。主人公の感性と自分の感性が重なる気がしてサリンジャーの他の作品も読んでいました。
そのなかでもこの9つの作品は印象に残っている作品集。
特に「バナナフィッシュにうってつけの日」は、そのタイトルと内容、特に結末の部分が記憶に刻まれます。
サリンジャーというと、世捨て人の印象があり、作品自体もどこか世の中の常識をそのまま受け入れられない部分を残している感じがします。当たり前の日常をそのまま受け入れて生活している人の、”無知”を告発するというイメージです。
自分自身も若いころ共感を覚えながら読んでいましたが、ある程度の年代になって読み返すと当時の感情が呼び戻される感覚になります。
ライ麦畑でつかまえて、も読み返してみたくなりました。
龍.
紙の本
作風が今読んでいてもしゃれている、この作風を50年代に会得していたなんて信じられない
2019/11/11 21:45
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
サリンジャーが雑誌に発表した短編は30編あるというが、そのうちの9編を選んで編まれた短編集が『ナイン・ストーリーズ』であり、それ以外の短編は米国では単行本化されていない。幸い、日本では単行本化されているが私はまだ残念ながら読んでいない。「コネチカットのひょこひょこおじさん」が代表作の「ライ麦畑でつかまえて」の前に書いていた作品で、「フラニーとズーイ」を発表した1961年より前の作品が収録されている。この作品集を読んでいると、なるほど村上春樹氏は彼の影響を受けたのだなということがよくわかる。作風が今読んでいてもしゃれている、この作風を50年代に会得していたなんて信じられない
紙の本
9編の宝石のように美しいお話
2002/04/05 03:14
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:カレン - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近、テーマがちょっと感動的だったり、うまくまとまっていたりするとすぐ、「珠玉の短編集」ということになってしまうが、ちょっと待ってほしい。珠のように美しいんだよ。そんなにやたらめったらあってたまるか。もし「珠玉」の名にふさわしいものがあるとすれば、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」こそまさにそれだ。完璧主義者のサリンジャーが厳選した9編のみが入っているんだから、傑作ぞろいに決まっている。
9編すべて、とてもサリンジャーらしいものばかりながら、人によって一番好きな作品は大きく分かれることだろう。それぞれすべてが異なった人から支持を集めそうだ。その中でも私は、「コネティカットのひょこひょこおじさん」が一番好き。これも、「笑い男」と「エズミに捧ぐ」との間で激しく迷った末の結論だ。タイトルだけ見ると、なんとも奇怪な話に思われる。
コネティカットのひょこひょこおじさんって、誰? いったいどんな人よ? それはあなたが想像するのと全く違った形で小説世界に登場するのだが、とにかくストーリーはこうだ。
大学時代のルームメートのエロイーズとメアリ・ジェーンの久しぶりの再会。一人は離婚して、もう一人は結婚して娘が一人。昔馴染みの気のおけない女同士の昔話と酒盛りが始まる。噂話といっても、ほとんど悪口と紙一重だし、ハイボールを開けながらタバコだってどんどん吸ってしまうのだ。自宅でくつろいでおしゃべるに興じる、もう若くはない女たちのカジュアルな雰囲気を想像してほしい。
しかしそんな猥雑な光景とは裏腹に、これはとても悲しい話なのだ。多分、エロイーズの生活は、はたから見れば申し分ないものだろう。現実的でやさしい夫。空想壁のある感受性の鋭そうな娘。それでも、いや、それだからこそ彼女は考えてしまう。あのころ世界は輝いていた。もし違った道を歩んでいたら、自分は今ごろどうなっていただろう、と。もちろん、別の道を選んでも結果はおそらく今とたいして変わらなかっただろう。しかし、運命は彼女に選択肢を与えなかったのだ。今晩、失ったものを思って泣いても、明日になれば、そんな感傷的になった自分が照れくさくなる。そして彼女の人生は続いていく。それは、何も変えたりはしない。だからこそ、黄色と茶色のドレスを着た若き日のエロイーズには胸を突かれる。
紙の本
サリンジャー・インパクト
2003/05/11 20:51
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ダーナ - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み終えたとき、なんとしても季節は夏でなければならなかった。蒸した空気にさしこんでくる風には青草と糸とんぼ飛ぶ水辺のにおい。脳中をメビウス回転するのは、漱石の『夢十夜』と「エヴァンゲリオン」(新世紀がくっつく)と大昔に教科書か副読本で読んだ、穴をあけられて命が絶えてしまった混沌の話とキースの『アルジャーノンに花束を』とブラッドベリの『たんぽぽのお酒』をいっしょにして62回かきまぜたような曼荼羅模様。悲しいような笑ってしまうような、胸の奥で涙が流れているような、そんな気持ちだった。
『The Catcher in the Rye』のペーパーバック(確かにぶい銀色のシンプルな表紙の)が、本棚の手の届く場所に何年も鎮座していた。なぜ読まなかったのか、流行にのるのを嫌悪したのか、畏れ多くて頁をめくれなかったのか、それはわからない。とにかく翻訳も含めて読まずじまいで、そのまま引越し後も整理できないまま、本はダンボールのどれかに埋もれてしまった。
要するに、この短編集がサリンジャー体験の最初の一冊となったわけだ。こうしたとっかかりを、ひとにも勧めたいとも、勧めたくないとも思う。自分はまず呆然としてしまった。次にサリンジャーを手に取るのはいつになるかわからない。九つの物語の登場人物たちは、わたしのあまりにも深いところに残像と謎を残していった。
彼らは「しゃがむ拍子に膝の関節が鳴った」り、「小鼻の感じでそれと分かる」ひそやかなあくびをしたりする。「好きな画家はレンブラントとウォルト・ディズニー」であったり、喜びと仕合せの違いは液体と固体の差だと言い切ったりもする。いくつかの話で幾人かが命を落とす。見たが最後気絶するであろう死体も登場する。裏切りがあり愛があり絶望があり希望がある。筋立ては入り組み、何度も驚かされ、ときにほっとさせられる。作家の比喩は独特な陰影を帯びて冴えわたり、忘れがたい詩句となる。着物に俳句に禅がちらつき、作者と日本の精神的結びつきにも興味ひかれる。
その精緻繊細な筆致は自分にはこれ以上説明しがたく、実際に読んでいただくよりない。めまいがするほどの不快と快の余韻にひたりつつ、現実世界にもどるためにチロルチョコを片手にインスタントコーヒーをすすってみる。
紙の本
完璧に造形された九つの断片──あるいは失われた全体の恢復の物語
2003/05/11 20:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
訳者の野崎孝氏は「あとがき」で、本書に集められた作品は「極めて巧緻な技巧をこらした逸品ぞろい」で、「作者の鋭敏で繊細な感覚と緻密で周到な計算が造り上げた作品は精巧を極めたガラス細工のよう」だと書いている。これが空疎な評言ではないと納得させるだけの実質を九つの短編は秘めている。
それらはいずれも「巧緻な技巧」もしくは「緻密で周到な計算」の痕跡をむきだしにした、どこか痛ましさすら感じさせる外観のうちに「鋭敏で繊細な感覚」を生々しく露呈させ、その不安定で危うい構成や作中けっしてそれとして語られることのない外部の示唆(それは欧州での戦争体験という過ぎ去った汚辱の記憶かもしれないし、やがて到来するだろう「普遍宗教」という愛の出来事の予兆かもしれない)をもって読者の緊張を強いる。
あたかも砕け散った器の九つの破片がつかの間の鋭い残光を発し、損なわれ失われた全体(無垢なるもの・聖なるもの)の恢復への激しい希求とともに消滅するさまを目撃してしまったかのように、読者は「技巧・計算」と「感覚」が造り上げた壊れ物としての九つの逸品(完璧に造形された断片)を前にして名状しがたい不安に襲われる。
サリンジャーが求めてやまなかったもの、言葉では語ることのできない尋常ならざるもの、つまり論理(エデンの園でアダムが食べたりんごの中に入っていたもの)をもってしては解明できない精妙なもの(本書のエピグラフに掲げられた白隠禅師の「隻手の声」の公案が問うもの)へ向かって、「シー・モア・グラース」(見えないものを見よ、鏡を通じて)という「バナナフィッシュにうってつけの日」で少女シビルの口を通じて告げられる戒律に従って、読者はひたすら凝視し思考することを強いられるのである。
たとえば「エズミに捧ぐ」のラスト、送られて来る途中でガラスが壊れてしまったエズミの父の腕時計を手にしているうち、サリンジャーその人を思わせるX曹長は「陶然とひきこまれてゆくような快い眠気」を覚えた。《エズミ、本当の眠気を覚える人間はだね、いいか、元のような、あらゆる機──あらゆるキ─ノ─ウがだ、無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね。》
この「無傷のままの人間」という言葉は「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」で語られる「経験」(突然現われた太陽が秒速九千三百万マイルの速度で飛んできて、後には二重の祝福を受けた琺瑯の花園が微かな光を放っていた)を経て、インド人の生まれ変わりの少年を題材にした「テディ」に出てくる「神秘的な経験」(六歳のときミルクを飲んでいる赤ん坊だった妹を見ていて、テディは「妹は神だ、ミルクも神だ」「すべては神だ」と知った)へとつながっていく。
そして最後に「バナナフィッシュにうってつけの日」の忘れがたいラスト、シーモアの自殺のシーンへとつながっていく。そこでは生と死が反転する。テディがシーモアへと転生していく不可視の回路。それこそサリンジャーが本書に収められた作品を通じて探求しつづけた聖なるもの(損なわれた全体の恢復)への通路にほかならない。
(ところで壊れた腕時計とテディの経験は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のラスト、回転木馬に乗った妹フィービーを見守るホールデンの姿へとつながっている。ここで「回転木馬」が直線的な時間から循環する時間への転換をもたらす宗教的体験の象徴であることは見やすい。何よりも「見守る」という行為はあの「シー・モア」の戒律と響きあっている。──こうして『ナイン・ストーリーズ』はシーモア[Seymour]を長兄とする聖なるグラース家の物語へと接続していく。)
紙の本
短編もすばらしい
2002/02/08 18:22
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひろぐう - この投稿者のレビュー一覧を見る
うーん、こういうの好きだなあ。いかにもアメリカンショートストーリーズといった感じ。特に『笑い男』という話なんか最高。軽く読めて、しかも心の片隅にしっかりと刻まれるという感じ。
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