紙の本
何が出来るのか
2002/02/24 14:37
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:凛珠 - この投稿者のレビュー一覧を見る
苦しんでいる人間の苦しみは、苦しんでいる当事者、もしくは同じ苦しみを抱えている人間にしか理解することは出来ないのか。苦しみを抱えていない人間が、苦しみを共有しようとすることは、苦しんでいる人間への冒涜になってしまうのか……。
昭和初期。本書の作者・北條民雄は、ハンセン病に罹り、隔離され、そこで若い生命を散らした。当時はハンセン病の特効薬も無く、感染した人間は、人間であることを捨てさせられ、身体が腐ってゆくのを、ただ見ているだけしかなかった。北條民雄は何度も自殺を試みたが、その度に生への願望がつのり、結局果たすことが出来なかった。そして彼は、文学に目覚めてゆく──。
しかし北條民雄は、決してハンセン病を「乗り越えた」わけではない。常に病の進行に恐怖し、それと戦い、絶望の中で創作を続けていたのだ。創作活動が失明を促すと分かっていながら、心の想いを表現せずにはいられなかったのだろう。
作品を読んでみれば分かるが、北條民雄の視線は冷徹そのものである。読者に憐れみを請うてはいないし、病が進行して腐れた患者の描写も、厳しいの一言に尽きる。神への呪いや恨み節も無い。それは、作者自身がハンセン病患者であるからだろう。絶望の中にいる当事者になってみれば、甘ったるい感傷など書いてはいられないのだ。また、昭和初期という時代を考えれば、自分が差別されることを仕方が無いことと思っていたのか──。
ハンセン病に関する正しい知識が無かった頃は、患者が「区別」されても仕方が無かったのかもしれない。しかし、行き過ぎた区別は「差別」であるし、正しい知識がありながら「差別」をすることは許されない。最近は、障害者を差別しない為に、障害者を特別扱いしないという考えが普通だ。それはその通りで、押し付けがましい同情は、安っぽい偽善でしかない。しかし、中には障害や難病を乗り越えることが出来ない人もいるだろう。そうした人々に対して、「くよくよ考えずに、明るくしていろ」と言うことは酷ではないのか。「他人事だと思って……」と言われても仕方が無い。
私は本書を読んで、自分が健康体であることを、心から有難く思った。近視が酷くならないように、目を酷使しないようにしようと思うようにもなった。しかしこれは、決して障害者や難病の人を差別しているわけではない。少なくとも、自分に差別意識は微塵も無い。それでも、苦しんでいる人々の為に泪が流れることがある。泪を流すことは、差別になってしまうのか。この想いを、どう表現すれば好いのか……。
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らい病はかつて不治の病だった。強制収容所に入った主人公は醜い患者たちの姿に未来の自分を見て死を考えるが、佐柄木という男と知り合い「あたらしい生命」として自らの境遇を受け入れるまでの話。自身もらい病患者で短い生涯を送った「北条民雄」の文学史に残る傑作。
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不治の病・癩病を煩った青年が癩院で見たものは、もはや人間とは思えない重病患者たちの姿だった。
『火花/北条民雄の生涯』(高山文彦/飛鳥新社)も併せて読んで頂きたいです。作者の北条民雄は癩病患者で、23で亡くなってしまいます。『いのちの初夜』はまだ癩病が死病と思われていた時代の話で、その間違った知識に翻弄される人々が悲しい。ちょっと昔のエイズみたいなものかと。そのために『いのちの初夜』は芥川賞を逃してしまいます。…残念といえば残念なのは北条民雄の顔…。(中島敦+堀辰雄)÷2+横光利一みたいな顔してる。これが萩原朔太郎とか志賀直哉みたいな顔なら更に萌えたのに(コラ)。いや。それでもすばらしい文学であるのは確かですが!
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高校のとき、もっとも衝動を受けた本です。短い文の中で生きる意味を問いかけてるように思います。絶望したとき人間は生きる意味を失ってしまう・・・。苦しくても生きることは、どこかに希望を見出しているからなんだということをわたしに教えてくれました。
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読後以降、朝礼にしゃがみこみ『止まる』高校生活、『檸檬』に突き動かされるまで。師であった?川端康成、後の自死でわずかに納得。
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1936年の作品ですが、とても読みやすい文章で引き込まれました。
自身のハンセン病の体験を元に、生々しく描かれた世界。
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ハンセン病がまだ不治の病で、患者が隔離されていた80年近く前に書かれたもの。
著者自身もその病により、「いのち」「生きる」ことと真っ向から対峙しなければならなくなった絶望と苦悩のなかで描かれた作品が8作収録されている。
患者たちの追いこまれた、あまりにむごく、孤独で絶望的ないのちの時間は、想像すらかなわない厳しい日々で、ここで何と表現すべきかわからない。
作品中に何度も出てくる、人間という存在を越えたいのちそのものがここにいる患者たちだ、という言葉が、終始心を貫いて離れない。
心を鷲掴みにされるような感覚を味わったのは久しぶりだ。
表題作の、主人公(著者自身の療養所入所の初日の思いそのままが投影されている)の自殺したいが生きてもいたいという葛藤は、たぶん本当にその思いに駆られた人物にしか描けない生々しいものであった。
表題作のほか、太市という少年を描いた「望郷歌」と、死の床に瀕した患者が入院女性の出産を待つ「吹雪の産声」が印象に残っている。
蛇足だが…この装丁はちょっといただけない。
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命の病気に罹患しなければ真実に生命の素晴らしさなどわかりはしない。死ぬ前に「生」を死ぬほど噛みしめることができれば幸せだと思う。北条氏の作品は命の水によって透き通っているほど綺麗に脳へ処理される。
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著者は,大正3年生まれ。18歳で発病しわずか23歳で短い人生を閉じました。
発病してからは多摩全生園(当時は全生病院)に入院し,癩という病気になった自分に対して度々絶望におそわれながらも,次々と文学を書いていきました。川端康成に認められ,文章を発表していきました。本書のあとがきも川端康成が書いています。
年譜には,生まれについては「大正3年 9月某日某県に生まる」としか書かれていません。癩になったら,家族はいないと思え,死んでも故郷には帰られないと思え,と言われていた時代だからこその配慮なのでしょう。
表題の「いのちの初夜」は,彼が全生病院に入った日の事が書かれています。ほかにも,日記風だったり,小説風だったりしながら,「命の叫び」が綴られています。
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昔、19才でハンセン(らい)病発病して、らい療養所で苦しみながら生活して、らいで死んだ文士。生きるということは過酷。今は治るが、昔のハンセン病は不治の病。忌み嫌われ、親兄弟から縁を切られ、社会から排除されて、とても衛生的とはいえない、らい療養所で苦しみながら死んでゆく。
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想像を絶する凄い昭和初期の作品を読んでしまいました。
川端康成先生から注目された北条民雄さんは、自らハンセン病を患いながらも、闘病の中から生命の尊厳を見つめ続けた小説家です。
ハンセン病は、癩(らい)病と呼ばれていた疾患で伝染力が非常に低いにもかかわらず、治療方法が見つかっていなかった昔は、差別対象で隔離され、病の神経障害が原因で生じる咽頭機能障害は呼吸困難を誘発するため死に至ることもあったそうです。
この作品は、生に対する魂の叫びが描写されています。
病院は、生命絶えるまでの終着駅であるようで、入院患者は癩(くず)れかかった人間と言うよりは呼吸のある泥人形と化していきます。
なんと物凄い世界だろう・・・。看護婦さえいない・・・。
付添人は同じ癩病患者だ!
苦悩や絶望は最早通り越している!それでも進む道を発見して努力して下さいと書かれていました!
この作品を勇気をもって読んで頂きたいです。
辛くても、きっと希望が持てる作品だと思いました。
残念ながら良書なのに絶版本なので、リンクを貼りましたが取り寄せになり、青空文庫で良ければ読む事が出来ます。
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ハンセン病のことを詳しく知らなかったので、これを機会に写真をみたりした。ああ…と呻き声のような声しかでない。ハンセン病の療養所が舞台の小説を読んだことがなかったので、ただただ衝撃。
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昭和のはじめ頃にハンセン病患者の生活を描いた短編小説。著者自身もハンセン病を罹患しており、24歳という若さで亡くなっている。病気が話の中心となっており登場人物のほとんどが患者であるから、暗い内容が多く病状の描写などエグイところもあるが、どこかしら希望だったり明るさだったりが感じられる。あと、小林多喜二の読後感と似たところあるなと思った。
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先日、産経新聞に「ハンセン病作家 北條民雄の実名公開」という記事に目が止まった。
かつてハンセン病が不治の病だったため、社会からは恐怖の目が注がれ差別政策へ繋がり、患者達は親族と関係を経つことが情とされた時代。北條が入所した全生園は今もハンセン病患者への支援と治療を行う病院として役割を持ち続けるも、どうしても過去の出来事と感じてしまう。
しかし今回の記事が掲載されるということは現在もハンセン病で苦しんだ人々の苦悩と、
社会が黙殺した人権の侵害が問題として続いている様に感じた。
「いのちの初夜」
小田高雄は絶望と絶え間ない恐怖に怯え常に死を望むも、実は社会と関わり、社会が人として認める人間として生きたいという思いが、死にたいという思いを招いていることに気づく。
ハンセン病患者として生きねばならず、生きるならば社会が人として認める人間になりたいと望んではならない。そうすれば死にたいという思いは消える。しかし、ハンセン病患者として生きるならば、新たに何らかの生きる目標を自ら探さねばならない。
北條が尊敬したゲーテは遺した。
「人間は努力する限り迷うものだ」
北條は生きること自体に苦悩と迷いを感じつつもその大いなる不安からこの作品を生み出した様に感じた。
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ハンセン病を通して、生命とは…人間とは…と、語りかけてくるような作品。静かで、穏やかな哀しみと絶望。生きること…生きているということの意味を、かんがえた。