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紙の本
崩れ (講談社文庫)
著者 幸田 文 (著)
山の崩れの愁いと淋しさ、川の荒れの哀しさは、捨てようとして捨てられず、いとおしくさえ思いはじめて……老いて一つの種の芽吹いたままに、訊ね歩いた「崩れ」。桜島、有珠山、常願...
崩れ (講談社文庫)
崩れ
05/02まで通常616円
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商品説明
山の崩れの愁いと淋しさ、川の荒れの哀しさは、捨てようとして捨てられず、いとおしくさえ思いはじめて……老いて一つの種の芽吹いたままに、訊ね歩いた「崩れ」。桜島、有珠山、常願寺川……みずみずしい感性が捉えた荒廃の山河は、切なく胸に迫る。自然の崩壊に己の老いを重ね、生あるものの哀しみを見つめた名編。
【商品解説】
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紙の本
井伏鱒二詩「なだれ」と、この「崩れ」と。
2009/04/11 10:26
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
井伏鱒二著「厄除け詩集」(講談社文芸文庫)の巻頭の詩は「なだれ」。
峯の雪が裂け
雪がなだれる
そのなだれに
熊が乗つてゐる
あぐらをかき
安閑と
莨(たばこ)をすふやうな恰好で
そこに一ぴき熊がゐる
なぜ、この詩が巻頭に置かれるのか、私は不思議でした。そして、気になっておりました。
ところで、最近「幸田文 しつけ帖」、「幸田文 台所帖」(ともに平凡社)の2冊を読んだのですが、魅力でした。それでもって、幸田文著「崩れ」を再読。
その「崩れ」の十一は「・・かねてから心組にいれていた、長野県北安曇郡小谷(おたり)の稗田山崩壊と、浦川姫川の暴れを見にでかけた」とはじまります。
さてっと、ここが肝心な箇所なので、状況を詳しく引用します。
「稗田山が突如崩れて、浦川ぞいに大土石流を押し出したのは、明治44年8月8日午前3時頃で、夏ではあってもまだ真夜中の熟睡時だったという。・・このときは連日快晴で、しばらく雨らしい雨はなかったという。ここがちょっと、気をつけておくべきところかと思う・・
この崩壊は稗田山北側が楕円形に、長さ約八キロ、高さ河床から約三百メートルのところまで、ほぼ一キロの厚さですべり落ち、その莫大な量の土石が大音響とともに浦川の谷に落ちこみ、浦川はたちまち埋めつくされて新しい平原となり、稗田山はその北半分を失って全く原型をとどめぬ姿になってしまった。さらにこの新平原は下流に移動・・堆積の長さおよそ二キロ、高さ六十五メートルにも及び、ために姫川は堰止められて、湛水の長さ五キロという大きな湖を現出し、橋を壊し人家耕地をひたした。・・・崩壊からはじまって、二転三転、しつこく続けられた災害である。破壊家屋二十七、失われた人命二十三、十キロにもわたって変貌した土地。・・・」
こうして災害の状況を書いてから、
「だがここにそうした思いを、からりと晴れ上らせる、これまた感動の強い話をきいた。」
「ふと行ずりに逢った人である。足ごしらえをした働き支度で、背負子を負って、軽々と歩いていた。なにぶんにも人のすくない村道で、人に逢えばうれしい。こちらが小腰をかがめると同時に、あちらも会釈してくれた。ただそれだけで行過ぎたのだが、きけばこの人いま六十六歳、災害のときはお母さんの胎内だった。稗田山の崩れは午前三時でまだまっ暗、眠っていたお母さんはたぶん、ごうっという土石流の轟音でおどろいたろうが、その時はもう何が何だかわからないまま、その恐るべき土砂の流れに乗せられていた。どういうわけでそうなったのかはわからない。ただ、土石流の上に乗ったまま流されて、対岸に打上げられ、無事みごとに助かったのである。・・こんなこわい目に逢ったのは、たいへんな悲運だが、それでいて無事に助かったのは、たいへんな隆盛運といえよう。凶が吉に転じるのを、この母と子はいのちをもって体験したのである。・・・・・崩壊と荒涼と悲惨ばかりを見歩いてきた私には、なにかしきりに有難くて、うれしくて、ほのぼのと身にしむ思いがあった。」
ここまで読んで来て、私は「厄除け詩集」の巻頭の詩を思い浮かべたというわけです。さて、幸田文は続いて、こういう言葉も引用しておりました。
「『そのとき埋まってしまった家々も、その家の人達も、いまもってそのままになっています。掘り起こすこともできないほど深く埋ったのです』自然のした葬り、とでもいえばいいのだろうか。言葉もない。指し示された方向へむいて、ひそかに冥福を念じた。・・・・」
以下は蛇足。
村松友視(ネは示)著「幸田文のマッチ箱」(河出文庫)の解説は坪内祐三でした。その坪内祐三著「考える人」(新潮社)に取り上げられた16人のなかに、幸田文が入っておりました。その最後の箇所を引用しておきましょう。
「この時幸田文は72歳。そのあまりにも野性的な『見る人』(「考える人」)振りはとても感動的です。こうして、『木』がまさにリゾームのように増殖して行く形で、その生涯の最高傑作(しかし未完のままで放置された)『崩れ』が生まれたのです。・・・・紙数が尽きたからというわけではなく、私はあえて『崩れ』の具体的な内容は紹介しません。私の下手な説明抜きに、読者に、直接に、『崩れ』を見て、感じて、そして考えてもらいたいのです。」
「幸田文のマッチ箱」の文意を受け継ぐようにして、坪内祐三は、幸田文「崩れ」を「その生涯の最高傑作」と書いていたのでした。
それじゃ。「幸田文のマッチ箱」からも引用しておきます。
「幸田文は【崩れ】という生涯をくくる大テーマに出喰わした。・・【崩れ】はそれを書く前のすべての負の札に、すべての【崩れ】に輝きを与える幸田文の宇宙と言えるだろう。生れて『崩れ』を書くまでの72年間という時間のすべてが、この作品の中につまっているはずだ。・・・『崩れ』は、生前には上梓(じょうし)を見なかったが、この作品が陽の目を見て本当によかったと思う。それは、『崩れ』という作品こそ、幸田文が作家として残した、幸田文自身への真の意味での鎮魂歌だと思うからである。」(p260~261)
蛇足が長くなりそうなので、このくらいにします(笑)。
紙の本
「崩れ」見てある記-文学者が歩いて書いた、火山列島に生きている日本人の諦念の記録
2011/11/07 17:55
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
われわれは火山列島に住んでいる住民なのだということを、しみじみと感じさせてくれる作品だ。
文学者が書いた「崩れ」というタイトルからは、「崩れ」をメタファーとして語った文学作品だと予想していたが、意外なことに「崩れ」という自然現象そのものを文学者の眼でとらえた作品であった。
随筆の名手であった幸田文が、なぜ「崩れ」という地質学上の現象に関心を抱いて、72歳(!)で全国各地の山崩れ現場を歩き回ることになったのか? 自分の「引き出し」のなかにあった「物の種」が突然に発芽し、内面からそれこそ火山活動のように湧き上がってくる衝動に突き動かされ、ものに憑かれたように全国の「崩れ」の現場を歩き回ったらしい。
火山列島日本の土壌は全般的に柔らかい。大雨が集中して地盤が弱くなると崩れ、大雨が降らなくても火山灰でできた弱い地盤は崩れやすい。いったん崩れると、崩落した土砂は土石流となって下流域の居住地域を破壊する。長年かけて切り拓いてきた畑も人家も一気に流してしまう土石流。地面の崩れは人間生活そのものの崩れにつながってしまう。しかし、また復旧作業が終われば人びとはもとの土地に戻ってくる。こんな人生を、この火山列島の住人たちは有史以来、繰り返してきたのだ。
わたし自身、高校時代から地学好きで、崩れの大本山である富士山も含めて数々の山にも登ってきたが、著者のように「崩れ」の現場に着目したことはなかった。何度も眼にしていながら、見ていなかったのだろうか。土石流の被害地のことも、どこかしら他人事のように思っていたのかもしれない
この本を読みながら、なんだかわたしも急に「崩れ」が気になってきて、平地の住宅地の崖にも注意を払うようになってきた。この本にも、都心なのに裏山が崩れて生き埋めになった人の話がでてくるが、日本全国どこでも「崩れ」の犠牲者になる可能性があることに注意を払いたいものである。
淡々としたしなやかな文章なのだが、読んでいくうちにものの見方が変わってくるのを覚えるようになってくる。日本人なら一度は読んでおきたい文章である。
紙の本
幸田文さん気迫の「崩れ見てある記」
2002/10/16 11:23
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:もぐらもち - この投稿者のレビュー一覧を見る
新緑の楓林を鑑賞するために安倍峠を訪れた幸田文さんの前に現れたのは、地元観光課のかたの心くばりにより案内された大谷崩れでした。「あの山肌からきた愁いと淋しさは、忘れようとして忘れられず、あの石の河原に細く流れる流水のかなしさは、思い捨てようとして捨てきれず、しかもその日の帰途上ではすでに、山の崩れを川の荒れをいとおしくさえ思い始め」た幸田さんは日本にある「崩れ」を見て歩くことになったのです。時には、人に背負ってもらってまでして「崩れ」を見に行く幸田さん。すでに72歳になっていた幸田さんを動かすやむにやまれぬ思いはなんだったのでしょうか。ただ私にわかるのは幸田さんの目を通してみる「崩れ」によって思い知らされる山々のもつ厳しさ、哀しさ、人々の健気さ、優しさは私たちが生きていくうえで決して忘れてはいけないことだということです。この本を読んでから山歩きをすると今までまるで見えなかった風景が見えるでしょうか。いいえ、きっと今の私には見えない。幸田さんが生きてきた長い年月を私も経たとき、幸田さんのような眼をもつことができるように生きていけることを私は願っています。
紙の本
種が芽吹く様
2002/10/26 22:44
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:s@ひつじ - この投稿者のレビュー一覧を見る
言ってみれば、ルポルタージュである。しかも、専門外、70過ぎの、ずっと和服で通してこられたご婦人の。しかし、なんと、文章の上手な人だろう。流れるような文体ではない。自分の言葉をひとつ一つたぐり寄せるように、思いを確かめるように紡ぎ出された文章だ。しかし、胸にずしっと来るのである。作者の好奇心強さ、若々しい精神は、ほほえましさを超え、読む者の胸を打つ。年老いてから「心の中のものの種が芽吹いた」いきさつを語る章は作者の幼い頃からの葛藤をかいま見る思いがする。文豪幸田露伴を父に持ち、厳しい父には甘えが許されず、母を早く亡くし、強情っぱりで、身近な人から愛されず、愛されないから、自分も人を避け、ますます嫌な子ときめつけられたという。船乗りの伯父だけがやさしくしてくれ、お前ならきっとりっぱな船乗りになれるぞと言ってくれたことがどんなに嬉しかったかと。この人の人となりがわかる一文である。写真を見ると、70代には見えない若々しさ。この人の文体のように、人生を自分の納得のいくように、生きてこられたのだろう。晩年に、人に背負われても山崩れを見たいという「種が芽吹く」様は見事だ。あとがきは、娘さんの青木玉。代々名文家揃いである。