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商品説明
オウムに魅せられた日本人、若者の生きにくさ、なぜいま全共闘批判か、吉本隆明への違和感、日本文化のグロテスクさ等、全共闘世代の著者が、体験を踏まえつつ、オウム事件を真摯に読み解く。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
どの時代にも、若者が直面しなくてはならない問題があり、その問題は時代とともに変化する。
2006/10/16 21:08
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
全共闘運動とは何だったかを探ろうといろいろな本を読んでいるうちに、この本に出会った。この本は、どちらかというと、オウムに関する議論に重点が置かれていた。予想を裏切られた感はあったが、著者の考え方や発言に接して得るところが多かった。
全共闘の総括としては、第2章と第3章がさかれている。自らの総括としては「若気のいたり」と「あの時代の限界」だと言っている面が感じられるが、逃げずに自分たちの世代が犯した誤りの原因を追求する姿勢は誠実だと感じた。
私は、『その無節操ぶりに、だまされた感じを味わった』(p.39)世代なので、『いわゆる「全共闘世代」が、自分たちの考えたこと、やったことと、他者の生き方やその後の時代の推移がしいてくる状況との関係を抜きにして、ただ「理念の正義」の部分だけをいまだに純粋培養し、それをいいオヤジづらをしながら臆面もなく露出しているような思想的態度は、むしろ全共闘運動とその挫折の真の教訓を殺すに等しい』(p.40)との考えに共感した。
第3章では、全共闘批判世代の代表として、浅田彰と松原隆一郎が取り上げられている。この著者だけでなく、ポスト全共闘世代の旗手として浅田彰を取り上げる人が多いようだが、私(浅田と同じ世代)にはその理由が分からない。浅田は、決して私たちの世代を代表してはいない。一言で言ってしまえば、浅田はイデオロギーの人で、全共闘世代から批判されようが、生まれた時期がポスト団塊の世代というだけで、発言は全共闘的であり、両者の論争は内ゲバにしか見えないからである。新左翼も旧左翼も団塊の世代なのである。
オウムに関する分析は、作者が吉本隆明よりも信者の心情に迫っていると感じた。吉本を始め中沢新一、浅田彰たちの発言はオウム真理教の理念や宗教の一般項に言及しているだけで、なぜ今の時代の若者たちがそれを信じ、あのような行為に及んだかに目を向けていない。吉本には、『共同幻想論』『「反核」異論』などで大いに影響を受けたが、次第に違和感が伴う発言が増えてきたと感じていた。その理由がこの本を読んではっきりしたのは、大変な収穫であった。私自身も若いころ同じ傾向(新奇なものへの憧憬)があり、今から振り返ると恥ずかしさに耐えないが、吉本がオウムのうさん臭さを見抜けなかったり、ビートたけしを異常に持ち上げたりすることになったのは、彼のその弱点が前面に出た結果であろう。
さて、作者はオウムの問題は身体をめぐる問題であると捉えている。納得できる解答である。鷲田清一の身体論へとつながっていく現代の課題である。現在の日本においては、「貧・病・争」ではなく、「豊かさ・平和」が悩みの種になってしまっている。豊かさも平和も退屈なものだ。その退屈さに耐えうる忍耐力をいかに獲得するか。自分探しという内向きのベクトルをいかに克服するか。それが現時点での最大の課題だといえる。その意味で中沢新一、宮台真司の発言はしばしば罪深く無責任だと思う。
この本を読んで得られたことを最後にもう一つ挙げると。私もこのところ団塊の世代批判をしている一人だが、「定年後、もう一度結集したらどうか」とか「なぜ9.11支持を表明しないのか」といった挑発的な物言いをしてきたことはよくなかったと気づかされたことである。いまだに、本気でそのようなことを考えている全共闘世代がいることを知ったからである。彼らはそれを皮肉と受け取らない可能性がある。ただし「次世代のために、蓄えのある団塊の世代は、退職金を国に納めるべきだ」というのは、本心ですが。