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紙の本
思い出話や漢字テストなど気軽に読めます。
2002/06/13 23:38
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投稿者:pochi - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者がかつて通った食堂にいた人々のお話、だけじゃなくて、漢字に対する思い入れ(というと叱られるかな、漢字文化論だもの。ちなみに私は「旧字大好き」人間です。でも、あまり詳しくはないですが、著者のおっしゃる通り、旧字の方がわかりやすいですよね、味もあるし)、小説のようなもの、とかいろいろなものが「ごった煮」状態で入っている本です。わたしは野球が大好き(観るのもやるのも)なので、そこのところは著者の趣味と異なりますが、そこらへんはどうでもよくて(でも是非、著者の野球排撃論を読みたいです。どこかにあるのかな)、とにかく知らないことがたくさん書いてあって、おもしろくてためになる本でした。
紙の本
常識への挑戦?
2002/04/25 21:54
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投稿者:うらやすくら - この投稿者のレビュー一覧を見る
呉智英氏は、どうしてこうも正論を吐くのでしょう、という気持ちにさせられます。いや、正論を吐き捨てるという表現が正しいのかも知れません。
現代日本が抱える誤った常識を快刀乱麻に切り捨てていく様は、「そうだったのか」と改めて自分の知識の無さを感じさせられる書であります。
「支那」とチャイナは同じであるという、わかりやすい正論は、この書の中にも延々続いており、「大衆」という言葉のもつあやふやなイメージを、「食堂」という言葉を付けることにより、「大衆食堂」という万人がイメージしやすいものに置き換えていく手法はまさに圧巻であります。
正論を唱えることが、現代ではいかに過激に移るのかという見本の書であり、常識というものが何の智の裏づけが無いものであるということを証明することに挑戦している書であります。
紙の本
大衆の怖さ
2001/02/19 22:18
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投稿者:谷池真太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「大衆」「蔑視」である。民衆でもなければ市民でもなく、ましてや愚民でもない。敵視でもなく軽視でもない。大衆蔑視の書である。
では、大衆とは何か。スポーツをこよなく愛する、大衆食堂の常連客、ゲンちゃん。太秦を「うずまき」と読んだ主人を「うずま」まで正しく読めたことに感動する大衆食堂主人の嫁。現代の大衆の現像である。
このような大衆に「良識」はどれほどの意味があるのか。呉智英は大衆を蔑視し、良識ある市民を馬鹿にし、笑う。
鼓腹撃壌(こふくげきじょう)する大衆を喜ぶ堯(ぎょう)のようにいかないのが近現代の病である。