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- カテゴリ:一般
- 発行年月:1996.10
- 出版社: 音楽之友社
- サイズ:20cm/326p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-276-21727-X
- 国内送料無料
紙の本
チェリビダッケ 異端のマエストロ 伝記的ルポルタージュ
著者 クラウス・ウムバッハ (著),斎藤 純一郎 (訳),カールステン・井口 俊子 (訳)
音楽の忠僕であり音楽のビジネス化を忌み嫌う人間、称賛されると同時に蔑視される、異端の指揮者チェリビダッケの初めての評伝。本人への長時間におよぶインタビューと多くの資料から...
チェリビダッケ 異端のマエストロ 伝記的ルポルタージュ
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商品説明
音楽の忠僕であり音楽のビジネス化を忌み嫌う人間、称賛されると同時に蔑視される、異端の指揮者チェリビダッケの初めての評伝。本人への長時間におよぶインタビューと多くの資料から、巨大な芸術家の人間像を明らかにする。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
もっか最強の評伝
2001/09/23 02:59
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ワクロー3 - この投稿者のレビュー一覧を見る
肩入れしすぎる評伝が多い中で、インタビューで彼に迫り、迫っているのに、おもねることはせず、しっかりと評論している点で、この本は、彼を描いたもっとも優れた評伝といえるだろう。
チェリビダッケ!! この指揮者が生み出す音楽! これに心酔する人は多い。僕もそのひとりだ。彼の演奏を聴くと、ほかの指揮者による音楽だって? そんなのが音楽と言えるのか! 断言したくなるほどに、酔ってしまうのだ。
だから、彼の評伝となると、音楽に心酔した状態をひきずったままで、崇拝モードのままで、お言葉をそのまま拝聴する、彼を批判するやつを罵倒して反撃する! というタイプの評伝が目立つ。
この作者のすごいところは、音楽に心酔いつつも、彼に向ける文章と視点が醒めている点だ。読んでいて、もっとも面白いのは、指揮者の毒舌と確信に満ちた同業者への容赦ない真実の批判の部分をまとめた部分だろうか。
トスカニーニ『とにかく速すぎる』にはじまり、ベーム『一度だって音楽をかなでたことがない』、カラヤン『みんなが好き、コカ・コーラもね』、なだたる指揮者をかたっぱしから、無能よばわりする痛快さ。彼が認めていた数少ない当時の現役指揮者は、ラファエルクーベリックだけだったなんて!
客演したときは、オケの未熟さに、演奏終了後『いやーさすがでしたな』ともみ手でやってきた主席指揮者を、『おまえ、何をやってきたんだ!バカもの!』と罵倒する。同業者に厳しい人だったんですね。ますます好きになりました。ば倒する意味が分かるから!
そして無条件で彼が信じていたのは、ベルリンフィルの後継指揮者にヘルベルトフォンカラヤンを指名して彼を捨て去ったフルトヴェングラーただ一人!
読んでいてどきどきした。彼の音楽は、CDでは聴ける。でも彼が望んでいた。生成して消えてゆく音楽そのものを再現することはできない。
これまでのコンサートで、CDや、放送ではそこそこにいいのに、生演奏で失望した演奏だけはたくさん聴いた。チェリビダッケがいうように、録音媒体に騙されてはいけない。あれは作りものなんだから! 音楽は演奏している瞬間に存在し、消えてゆく、それを記録することはできない。現実の人生みたいに。
この評伝は、自ら核心の部分を語ることを拒絶し、生前のレコード出版を拒絶して、インタビューもお断り、フルトベングラーとの往復書簡公開もお断り、だった経緯の中で、現在もっとも彼に迫ることができている評伝だとおもう。
紙の本
カラヤンが最高ってだれが決めたの?
2000/08/28 22:22
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:読ん太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ミュンヘンフィルを率いる指揮者「チェリビダッケ」を知ったのは、結構最近のことだった。 NHK教育テレビでボーッとクラシックを聴いていて出会ったのだ。確かラヴェルの「ボレロ」を指揮していたと思う。恰幅のいい白髪の老人が奏でた「ボレロ」はゆったりとしていた。いや、ゆったりとしていたというよりも、戸惑いを覚えるほど遅かった。テレビの前で一人焦ってしまった。「遅い。遅過ぎやしないか?こんな解釈はありなのか!?」
その後、生で彼のブルックナーやブラームスを聴く機会など私にはなかったが、彼が軽蔑して「音の出るパンケーキ」と称するレコードやCDでは聴く機会を持てた。戸惑いはなかなか消えないが、チェリビダッケを敬遠する気持ちは全く起こらなかった…それどころか、魅了された。
このような経験があって、今回、彼の伝記的ルボルタージュである本書を手にとってみることにした。プライバシーを明かさず、マスコミ嫌い、同業者である音楽家に対する歯に衣着せぬ物言い、などから自然『チェリビダッケ』というタイトルではあるが、彼の美談が語られる類のものとはなっていない。彼が祖国ルーマニアを出てベルリンに辿り着き、ベルリンフィルで華々しくデビューした後に首席の座をカラヤンに奪いとられるさま、その後のミュンヘンフィルに到るまでの遊牧民のような音楽活動が淡々と語られる。本書を読んだ後に、再び、違った意味での戸惑いをチェリビダッケに対して持ったほどであった。
本書によって、ヨーロッパにおける音楽事情を客観的に見ることができたという成果はあった。
レコードやCD製作に命を燃やし、有能な宣伝マンであったカラヤンに、遠い異国の地「日本」の人々は踊らされてはいなかったか?洗脳から自分を解き放ち、クラシックを、美しい調べをただ心のままに楽しめば良いのかもしれない…そう感じた。
チェリビダッケも言っている。『コンサートに行く時は、何もかもすべて家に残して、ただ希望を持つのです。そして耳を澄まして聴きます。すると何かがそこに生じるか、あるいは何も生じない、どちらかです』と。