紙の本
「象徴天皇制」-「平安」時代の真のはじまり
2007/03/03 23:40
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GAWA - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書を読み終わって、強く印象に残ったことは、永井路子氏は、決して目立った行動はしていないが着実に(しかも実質的には劇的に)時代を変革した人物に深い関心を持っているのではないかということである。
日本史上の「ナンバー2」たちについてざっくばらんに語った「はじめは駄馬のごとく」でも、鎌倉幕府の真の立役者として北条義時を、家康亡き後江戸幕府の基礎固めを完成させた人物として二代将軍・徳川秀忠を高く評価している。
そして本書の主人公、藤原冬嗣もそんな人物として描かれている。すなわち平安時代は「源氏物語」「枕草子」「古今和歌集」など貴族文化が花開いた概ね平穏な時代であるが、その時代へと大きく舵を切ったのが、ほかならぬ冬嗣であるというわけである。
「北条政子」「炎環」では周囲の視点で北条義時像が描き出されてるが、本書では冬嗣自身の視点で話は進んでいく。
読み進むうちいつしか冬嗣に感情移入してしまい、人生の勝負どころで決断を下す際の内心の動きに手に汗握り、兄の真夏や父の内麻呂との言葉自体は何気ないが深い意味がこめられた会話に思わずニヤリとさせられてしまう。
ますます永井路子氏のほかの作品が読みたくなってしまった。
紙の本
藤原冬嗣
2020/06/12 20:12
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
永井路子さんはやっぱり面白い!読みやすく、人間味が感じられて、骨太な描き方が好きです。歴史の勉強にもなります。
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この本の中で「次の手」ではなくて「次の次の手」を狙っている主人公が実は歴史上に名前を残さない一番の策士だったりして。
平安3部作の中で、個人的にもっとも好きな話です。
・・・がラストが解説っぽいんだよね。それが残念なんだけど。。
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2023/6/16再読
古代の怨霊への畏怖が分かり易く描かれている
伊予親王の変をみるに、身に合わない立場になってしまうと陰謀に巻き込まれるのね(*´▽`*)
2019/6/21しかたないよね
平成上皇と嵯峨天皇に立場を分けて仕えた兄弟の直接対決
真夏は嫌な性格もチラ見えしていたのに、最後は悟りきっていたな
桓武帝の下半身の暴走以上に暴走する嵯峨天皇が緩い
尊敬していたけど、実は遊び大好きの御坊ちゃまだったのか
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六十の齢に達し、病床の身にあった桓武帝は、いよいよ安殿に譲位した。平城帝が誕生し、ひとつの時代が終りを告げた。新帝は、一度は遠ざけられた藤原薬子を近任させ、薬子は宮廷での権力を強めた。出世に背を向けた冬嗣は、鷹揚な皇子・賀美能に仕えるが、計らずも平城は、賀美能を皇太子に指名し、冬嗣もまた、政治抗争の中央へ引き出されていく…。桓武から平城、そして嵯峨へ。権力と愛欲の葛藤がくりかえされ、平和がくる。野望と挫折、長編歴史大河小説の力作。
2003年10月9日読了
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下巻
すざましい怨念の世界、身内の骨肉の争い
平安朝初期のドロドロしい時代を経て、平安朝200年の世界実現
とはいっても、摂関政治、荘園制度とこれまでの律令制度からの脱却
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薬子の変までは面白かったけど、その後が駆け足で、歴史解説としては興味深いけれど物語としては淡白でした。
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平安時代の始まり。朝廷に響く雅楽の調べ、その序曲が聞こえ始めた時代。貴族が遊んで暮らせる時代を作った男の物語。
要は、積極的に事業に踏み込んでくるトップはろくなもんじゃねぇ、って話ですね。
政治に意欲的な桓武天皇は、自分に権力を集中させるために、精力的に行動する。それが裏目に出る。
一方、この下巻から登場する嵯峨天皇は政治に興味がない。実際に政治をするのは藤原摂関家となり、象徴天皇というしくみがここから始まった。と言える。
日本の王朝というのは、象徴的である。それが始まった時代のお話である。朝廷の音楽が鳴り始めた頃という意味の本のタイトル、好きになりました。
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p15 百川のおかげ
桓武天皇が帝位に即位できたのは、藤原百川(緒嗣の父)のおかげ。それもあって、桓武は藤原緒嗣を重用した。
p52 政治大綱
桓武の政治大綱は、①平城から長岡→平安への遷都 ②東北平定のための遠征、である。しかし、これらは上手くいかず財政赤字の原因になった。
藤原緒嗣は長年桓武につき従ってきたが、桓武の最晩年にこれらの取りやめを進言した。これは、桓武の実績を真っ向から否定する、大失言である。が…。
p58 緒嗣の転換
緒嗣による桓武批判は「桓武を見限った」ともとれるが、ここでは「桓武が緒嗣を救済した」という解釈を冬嗣にさせている。
桓武とともに遷都・遠征の事業を進めてきた緒嗣は、当然、天皇の世代交代で一緒に責任を取らされる。しかし、ここで緒嗣が天皇批判をすることで、緒嗣だけは責任を逃れ、それどころか次なる政策の発起人になれる。
こうしておけば、次期天皇の安殿の時代に官位を引き継ぎ、桓武の息のかかった者が政治の中に身を置けるようになる。
そういう桓武と緒嗣の謀だったという解釈をしている。実に見事な政略!!
p98 政略
冬嗣の父:内麻呂は、真夏が安殿の側にいることから、冬嗣は安殿の次なる天皇候補になる伊予親王に就くことを進めていた。
自分の息子を自分の出世の道具にするあたり、内麻呂もかなりの悪である。
しかし、安殿は東宮に賀美能(嵯峨天皇)を据えた。もし、冬嗣が伊予親王に就いていたら、政治的に出世は途絶えただろう。コワイコワイ…
p115 光仁天皇
桓武の父:光仁天皇の即位は皇統革命だった。それまで100年続いた天武天皇系から天智天皇系に再び皇統が戻った。
p131 伊予親王の変
安殿は桓武の寵愛を受けた伊予親王を東宮に据えずに、賀美能親王を東宮にした。当然、伊予親王は安殿に恨みを持つであろう。
807年に母:藤原吉子が天皇への呪詛を行なっているという嫌疑で逮捕され、毒を仰いで自決させられた。
p139 藤原仲成の策
伊予親王の変の首謀者は藤原仲成だといわれている。彼は藤原薬子の兄である。
藤原宗成といううだつの上がらない奴を伊予の側に置き、呪詛らしきことをさせ既成事実を作り上げた。
これによって安殿の目の上のたんこぶを取り除いたのである。
桓武天皇の早良親王の消し方とほぼ同じ、人のすることなど似たようなものである。
p149 薬子の出世
安殿が平城天皇になったことで薬子は女官のトップにのし上がった。当時の女官は天皇の世話だけでなく、天皇と太政官の連絡役を担う政治的ポジションにいた。彼女の伝え方次第で天皇の考えは左右されるので、非常に重要な役職である。
p224 810年
平安時代は、794年の桓武による平安京遷都からではなく、この810年の薬子の変から実質的な変革を見せたといえる。
この変ののち、冬嗣が蔵人という天皇の秘書官の役職を作り、女官の権限を奪った。また、太上天皇の権限も縮小され、桓武や平城のように今上天皇に干渉してくることを封じた。
これにより、律令制度の終焉、天皇家の血で血を争う関係に終止符を打つことになった。
p235 死刑
薬子の変で藤原仲成は実質死刑に処された。これは平安時代でも数少ない死刑の例である。
これ以後1156年の保元の乱で源為義が死刑に処されるまで、公的な死刑はない。
これは嵯峨天皇が、桓武や平城の時の怨霊信仰を恐れ、死刑を嫌ったのが定着したという見方もある。これにより、文治主義の擡頭と小難しく言える。
p237 律令の終わり
冬嗣が律令制度の踏み倒しをしたとあるが、冬嗣が政治にかかわるようになった時点ですでに律令制度は体を成していなかった。
戸籍は嘘で塗り固められ、地方官も横領をしたり、税制は崩壊していた。また、重税を逃れるために逃亡する者も多く、税収は減るばかりだった。そういった人々が逃げ込む先が、貴族や寺社が私有する荘園であり、政治の内側にいる者らがすでに律令に従がわないという有様であった。
p239~241 王朝国家
冬嗣は律令国家から王朝国家へ日本を変容させた。
永井路子は冬嗣こそ、王朝の序曲を奏で始めた人物だと言っている。ここ、タイトルのはなし。
しかし、王朝とは何を指すのか。嵯峨天皇から骨抜きの天皇制が始まる。権力のない権威は「王」と呼べるのか。むしろ「藤原王朝」なのか。
日本の王朝国家とは、どうやら実質「王不在」の王朝らしい。
p249 臣籍降下
政治に無関心な嵯峨天皇は、芸術と女淫に精力を傾けた。その結果、大家族。
財政が火の車である天皇家はそれだけの親族を養えないので、子供たちを皇族から貴族に格下げして独立させた。それが有名な源平橘の朝臣である。
臣籍降下された者は貴族として官僚の務めを果たす。それによって彼らの給与財源が国庫になり、天皇家の財政問題は解決された。
p257 班田収授
班田収授の税制は902年に廃絶する。(醍醐天皇の荘園整理令で公地公民の前提は公に亡くなった)しかし、冬嗣の時代から、形骸化した班田収授に変わる税制は徐々に取り入れられていた。
班田収授の仕組みは、骨抜きになり、緩やかな消滅の道を経て、国衙領として国司が管理するようになった。
p272 最澄の死に際して
最澄は桓武の重用を受けた仏僧である。しかし、嵯峨天皇の治世になり、空海が天皇の寵愛を受けるようになった。それゆえ、右肩上がりだった延暦寺の成長も衰え、新たな日本の仏教権威になるのに足踏みをしていた。
最澄は、比叡山で仏僧を任免できる戒壇創設(仏僧叙任権)を上申していたが、南都仏教の反発もあり生前に許可を得られなかった。
この戒壇権を許可するのも冬嗣の仕事だった。戒壇の勅許が最澄の死後に出されたのは冬嗣の腹案だったかもしれない。
安易に戒壇権を与えれば南都仏教と対立するはめになる。しかし戒壇権を与えなければ最澄の怨霊が噂されるかもしれない。これは両社の顔を立てる妥協案だったとも取れる。
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ちょくちょく出てくる家系図や人物相関図。筆者の優しさを感じる。この時代は、いや、この時代も人間関係が複雑だし、同姓が多いのでわかりづらくなる。
思いやりある一冊である。
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桓武天皇にかわり、平城天皇が即位し、
さらに嵯峨天皇の御代となるまでが舞台。
天皇主導の政治、謀殺の多かった奈良時代が終わり、
天皇が象徴的な存在となり、
文化に花開く平安時代への移り変わりの時期です。
この時代の影の立役者・藤原冬嗣の視点で描かれます。
冬嗣の兄・真夏は平城天皇に近侍しているのですが、
最後の方のシーンで、真夏が、平城天皇の苦悩を理解し、
平城が政治の表舞台から退き上皇となってからも、
傍らにいることを、冬嗣に表明するところが印象的でした。
小説の最後は、物語を語り終え一区切りし、
藤原冬嗣、嵯峨天皇、良岑安世などのエピソードを交えながら、
時代の移り変わりについての筆者の解釈が盛り込まれてあり、
この時代への興味がそそられました。
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それぞれの登場人物の心理描写から歴史のうねりを予感させ、やがて実際に歴史が大きく動き出すという展開は、わくわくしてたまらなく面白い!
再読ですが、登場人物をきっちり把握した今回のほうがかえって楽しく読めました。
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平安時代は桓武天皇が都を平安京に定めてから、と思いがちだけど、そんなにすぐには時代は変わらない。帝王の独裁から、嵯峨天皇と藤原冬嗣のコンビによってゆるやかに、「権威と権力が分割されながらも密着していく」、我々のイメージする「平安時代」に移行していくさまが描かれていておもしろかった。
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「この世をば」「望みしは何ぞ」と合わせて王朝三部作と呼ばれているこの作品、読む順番が前後してしまったけれど、タイトルの通り、まさに王朝時代の幕開け「序曲」。
さすが永井路子さん、とても面白く読めた。
初めは冬嗣と聞いてもピンと来なかった。
冬嗣って誰よ、良房の父と知って、やっと時代が見えてくる程度の知識だった。
下巻は桓武の譲位から平城天皇、嵯峨天皇へと時代が変わって行く様子が描かれる。
奈良から平安へとすんなりと変わったわけではない。
怨霊に怯え、遷都を繰り返す。
桓武は他戸、井上、早良の祟りに苦しみ、父桓武を嫌っていた平城は結局父と同じ道を辿り伊代、その母吉子の祟りに苦しむ。
因果応報。
そんな時代を乗り越え、嵯峨の時代となる。
人を殺して怨霊を背負い込むことはしたくないと言う姿は、父のような王者たる風格はないが、その平凡で正直な嵯峨が新たな時代を作り出したのも必然だったのかもしれない。
嵯峨を支えた冬嗣もまた、兄真夏ほどの欲があったわけでもない。
目立たず、したたかに。そんな男だったからこそ嵯峨とともに新たな幕開けとなる礎を気付けたのかもしれない。
藤原冬嗣、北家を揺るぎないものにした人物。
決して強欲だったわけではない。したたかという言葉がよく似合うかもしれない。
彼の息子良房の妻は嵯峨天皇の臣籍降下した皇女。そこから、北家の帝に絡みつく時代が始まり、道長、そして摂関政治を終わらせた能信へと繋がる。
三部作と呼ばれる本を通して読んで、王朝の幕開けとなった冬嗣も、終わらせた能信も、時代は違えど時の流れを変えるのは、自分の欲だけでなく一歩引いてしたたかさがあった人物かもしれない。
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桓武天皇の頃の時代の愛憎劇。ドロドロ、爽やかの組み合わせが堪らない。平安時代って面白いんだ。(この時代の小説なんて読んだことなかった)もっと読みたい。
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大体この手の本は、途中四苦八苦して読むけれど、これはわかりやすかった。
奈良時代末期〜平安時代へ。教科書で読んだみたいに、
奈良の平城京から長岡京へ、そして京都の平安京へ、すぱっと引っ越しして遷都、平和な平安時代になりました。というわけは全くなくて、紆余曲折、愛憎や権力闘争、色々あった、奈良時代末期から平安時代への、つまり、桓武➞平城➞嵯峨天皇の時代の話。
このあと、京の都(王朝)は、鎌倉幕府が開かれるまでの400年間は平安王朝として政治の中心であり続け、また幕末までと考えると約1100年続いた。
感想というよりメモ…
平城太上天皇と薬子は、嵯峨天皇のいる平安京を捨てて、平城京があった奈良に再び遷都すると宣言。藤原冬嗣と坂上田村麻呂に阻止されて、太上天皇は出家、薬子は自死。
源氏物語にも出てくる蔵人頭という役職(ざっくりいうと天皇の秘書みたいな役職)は、810年、平城太上天皇と薬子に対抗するために、嵯峨天皇のもとに作られた律令外の役職……知らなかったー。
(この頃太上天皇は、天皇と同じ権力を持っていた。)
その蔵人頭という役職を作って、就いたのは、主人公の藤原冬嗣(藤原北家の藤原内麻呂の次男)。
このあと、蔵人頭は伝奏として力のあるポストとなり、太上天皇の権限は縮小される。(白河院の院政まで)また、太上天皇が勝手に遷都することを防ぐためにその住まいは常に用意された。
嵯峨天皇は、前2代の天皇が怨霊に怯えて生きたのを見ていて、怨霊を怖がって死刑を嫌った。この発想がもとで、その後保元の乱が起こるまでの350年間、日本では死刑が執行されなかった。
また、嵯峨天皇は、薬子の変のあと、政治を藤原冬嗣に任せて子供を作りまくった。で、増えすぎて経済的にも後継争い的にも大変、ということで臣下に降として源さんがいっぱい誕生。➞嵯峨源氏。
奈良時代の律令制やその根幹の班田収授も崩壊しまくり902年廃絶したが、その前から藤原冬嗣らによって実質的な新しい税収体系が作られつつあった。また、お金かかるし平安京造営や蝦夷との戦もやめた。(桓武天皇の蝦夷との戦いについては「火怨」高橋克彦著が面白かった。)
ちなみに816年に、空海に高野山を与えたのは嵯峨天皇。