紙の本
すべてを忘れさせないものにした一編の詩から
2002/10/14 19:40
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:HATA - この投稿者のレビュー一覧を見る
「血と骨」を読み終えてくたくたになったところで、うっかりこの「夜を賭けて」を手に取ってしまい、またしても寝食忘れて没頭するはめに陥った。
こんな疲労の極地にありながら、心身ともに充足感でいっぱいだ。
物語が始まる前に、本作と同じタイトルの詩文が4ページに渡り収められている。
1958年作とあるから、昭和33年、著者22歳の青年時のものだ。
本作品を書き上げて初の刊行(NHK出版・1994)に至るより36年も前、まさに物語の舞台となったその時代そのときに、書き記されたものである。
その詩文に満ちているのは、若き梁石日の身体から溢れ出て止まらない熱、力、叫びと憎悪を直接的に書きなぐるような、それでいて幻想的で力強く、そして吐き気を呼ぶほどのグロテスクな描写である。
若い著者がそのとき何を見て何を感じていたかが、とにかくまっすぐに伝わってくる。
こんな詩を一度でも文字にして書き残してしまったら、当時の溢れ出る情熱を忘れることなど、一生できないだろう。
そうして忘れられることなく30年以上を経て改めて書き上げられたこの長編の物語は、まっすぐで不器用な人間たちが、その熱い肉体をぶつけ合ってひたすら生き抜こうとする闘いの物語だ。
執筆時にはおそらく50代半ばにさしかかっていたであろう梁石日の、ここでの筆致そのものは、実はもう暴力的でもないし暗黒的でもない。グロテスクだとも言えない。
血も汗も泥も脂も暴力もある。涙も嫉妬も悲しみも憎しみも死もある。
でもその描写は、すべての生ける人間のあるがままの姿に他ならない。
だからこそ、時に滑稽でもある。そのリアルなセリフや言い回しに思わず吹き出してしまった場面も少なからずある。
やり切れないほどちっぽけな死もある。怒りを抑えきれない理不尽にも出くわす。
梁石日は、それらを冷静にリアルに書き留めることができる年齢になっていた。
若き日に一編の詩に凝縮させたあの熱さだけはそのままに、一気に読ませる力強い長編小説に仕上げたのだ。
後半、在日コリアン界において悪名高き、大村収容所が出てくる。
現在は「大村入国管理センター」と名を変え、定員のほとんどを密航中国人が占めているという。その待遇はもちろん改善されているだろう。
梁石日は、かつてのこの「収容所」の内実がどのようなものであったかを、作家として、在日コリアンとして、もの言うひとりの人間として、記した。
この先封印され忘れられかねない「大村収容所」について、日本の歴史のこのような側面を伝え継ぐ小説のひとつになれば、とも願う。
梁石日が、生まれ育った大阪を舞台に戦後の在日コリアン"世界"を描くものを読んでいると、憧憬とも羨望ともつかぬむずむずとした感触に襲われてしまう。
確かにそれを目にし、その臭いをかぎ、泥にも火にも肉体を突っ込み、焼かれても沈められてもまた這い上がり、そうしてこの時代と場所を生き抜いてきた人間にしか描けないものだからだ。
それを羨望などと言ってみるのは、ばかげているだろうか。
憧れを感じるだなんておかしなことだろうか。
例えば彼らが夜な夜な忍び込み、"宝"の発掘を夢見たその果てしなく広がる廃墟の暗闇は、この眼にはひどく魅力的に映ったりはしないだろうか。
月明かりが、星の光が、眩しくさえ感じられるのではないだろうか。
たとえ泥と脂にまみれた生活の中でも、その荒廃の中に"生"のかけらが埋まっていると空想するのは、一瞬でもそこを輝きに満ち溢れた風景に見せてくれるのではないだろうか。
そんな体験を、この先たった一度でもできることがあるだろうか...。
本作品は、新宿梁山泊の座長である金守珍の監督により映画化され、2002年11月に公開される。
戦後の風景を求めて探し出したロケ地は、韓国南西部の群山という海沿いの町だそうだ。
まずはスクリーンに再現される集落の風景、くず鉄の埋まった広大な廃墟の風景を、この眼で見てみたい。
紙の本
差別と憎悪の中で生き抜いた人たち
2001/06/26 00:42
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投稿者:ゲレゲレ - この投稿者のレビュー一覧を見る
舞台は、昭和30年頃の大阪。広大な大阪造兵廠跡地から高価な鉄が掘り出されたところから始まる。後にアパッチ部落と呼ばれるバラック小屋の集落が、大阪造兵廠跡地のすぐそばにあった。
在日朝鮮人であるだけで日本人から差別され、ろくな仕事につけない状況で、まじめに生きていくことができるだろうか。どん底の中で必死に生きようとする人たちは、追いつめられ窮鼠猫を噛むように生命力を爆発させる。そして、活劇のようなダイナミックなシーンが展開される。時には生命力が高じて犯罪につながる場合もある。犯罪のそもそもの原因は、日本人の心の狭さにもあったはず。その罪が取り締まられ、朝鮮人の信用はますます落ちる。朝鮮人を憎悪する警察官もいた。朝鮮人に先入観のない後輩の警官には、「朝鮮人はみな犯罪者や思うて間違いないんじゃ」と教え込む。そして、やってもいない罪もおしかぶせ、刑を重くした。朝鮮人も日本人をまったく信用しない。日本人と朝鮮人は、「へびがお互いの尻尾を呑み込もうとする」ような、終わりのない不信感に陥っている。
舞台は移り長崎の大村収容所、そして現代へ。私は長崎の大村市に縁があり、年1回観光で出かけます。今年は、大村収容所跡地の前を通ったことを本を読みながら思い出しました。朝鮮人を貶める日本人もいる一方で、救った日本人もいた。そしてラストシーンの手前で感動の場面が。主人公のひとりが生きていて本当によかった。よく生きていることができた、と涙が出ました。最近、梁石日の本を立て続けに読みましたが、本書は名作中の名作です。
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今は大阪城公園となっている大阪造兵廠跡で戦後繰り広げられた在日コリアンと警察との攻防戦の様子をリアルに描写。今も大阪城公園では違う戦いが続いている。
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小説として面白い。
そして読んでよかったと思う。知らないことが多すぎる。
痛いのが当たり前だと、わざわざ痛いって言わなくなる。
そんな痛さをちょこちょこ挿んでくる。
梁石日は「コリアン差別ゆえのアパッチ」という視点に乏しいとして『日本三文オペラ』http://booklog.jp/users/melancholideaを批判し、これを書いたそうな。
書かざるを得なかったものの迫力。
これを読むと、日本三文オペラは理想化されているのかも知れないと思う。
女性の献身がただの崇高な愛なんかじゃなくて、自分のための闘いの形でもあるのが嬉しい。
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ぶ厚いながらも、一気に読めました。嘘みたいな話も実はほどんとリアルにあった話。モデルになった人物を探してみたり。
私が小さい頃、アパッチは居て、噂も聞いた。でも実像は知らなかったのでこの本で詳しく知る事ができた。
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戦後、大阪の兵器廠跡を舞台に繰り広げられた在日(アパッチ)の戦いを描く。
この「事件」は開高健の「日本三文オペラ」が闊達に描き出しているが、この本は言わば「当事者」の側からの記述である。また、アパッチ壊滅後、在日に課せられた大村収容所の地獄をも描き出す。
この大村収容所の存在を知っている日本人が、果たしてどれほどいるだろう?(私も知らなかった。)
今でも続いている在日の戦いを描く。
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開高健、小松友京らが活写した。大阪アパッチ族なぞ在日朝鮮人の視点から描ぐ
JR大阪城公園駅を降り、駅から広大な森林公園を一望する。正面には改装された大坂城がそびえ、左手には巨大な亀の甲のような大阪城ホールがどっしりと腰をすえている。 黒く澱んだ猫間川向こうにはツイン21などの高層ビル群が林立しているのが見えた。
52年前の8月14日、アメリカ空軍は、日本がポツダム宣言を受諾すると分かっていたにも拘ず、この広大な撒地に建っていた大阪造兵廠を猛爆し、跡形もないほど破壊しつくした。
多量の爆弾を食らった大阪造兵廠は、不発弾が多く危険だという理由で長い間放置されていた。城東線(環状線)に乗る人は、電車の窓から、焼けただれた鉄骨や崩れ落ちた建物の瓦礫が盛り上がる荒涼とした風景を眺めていたのだ。
敗戦も10年たった頃、瓦礫に埋まった鉄屑を盗品する者が現われ、アパッチ族と呼ばれた。取り締まる警官と彼らとの間に壮絶な戦いが繰り広げられる。
今回はアパッチ族の戦いを在日朝鮮人の視点から描いた梁石日の「夜を賭けて」を紹介しよう。
梁石日は1936年大阪生まれ。主な著者に「タクシードライバト日誌」「夜の河を渡れ」など。各賞を総なめにした映画「月はどっちに出ている」の原作者といった方が分かり易いかもしれない。
「夜を賭けて」は詩から始まる。「……猫魔河の泥沼を船で渡ると/数十本の巨大な煙突が聳え立つ/造兵廠跡にやってきた/空間の気流は粘液のように/焼けただれた鉄骨や/爆破した煉瓦や/ぼうほうとしげる雑草をとりまいている/しだいに霧がおおいかぶさり/地下に眠りつづけていた国籍不研者たちが/重い石棺の蓋を押しあげ/ツルハシを背につきからつぎへと/廃墟の地上に現れた…」
さて、舞台は猫間川沿いにバラック小屋を建てて住みついた在日朝鮮人集落。一人の婆さんが、廃虚から拾ってきた金属が5万円で売れた話から始まる。時代は日本始まって以来の高景気といわれた、神武景気が終わり「なべ底」不況へと転落した1957年頃である。
集落の老若男女は、婆さんの話に飛びつき我先に廃虚での盗掘を始める。が、これにあわてた造兵廠の管理者である近畿管理局は警備を強化したことから、守る方と盗む方の壮絶な攻防戦となるのだ。
昼間が目立つなら夜の暗闇に、道路を遮断されれば猫関川を船で渡るなどと、縦横無尽の活躍を重ねる。
梁石日により活写された在日朝鮮人の生活と、この攻防戦の様子の面白さはピカーである。「月はどっちに出ている」と同質の面白さといったら分かってもらえるだろうが。しかし、彼らは次第に警察に追いつめられ、ついに主人公のひとり金義夫まで捕まってしまう。金義夫は証拠不十分で釈放されるが、大村収容所に送られてしまう。
作品はここから後編になるのだが、作品の技法もがらっと転換する。収容所の中での「北」と「南」の民族争い。差別されているうっぶんを差別者となることでしか気をはらせない大村収容所の役人。在人朝鮮人を減らす目的で建設された日本のアウシュヴィツツ大村収容所の実態。読み進むほどに、自分があまりにも当時の在旧朝鮮人が置かれた実態を知らなかったことに、重い気持ちになってくるが、そこに義夫を慕う初子が彼を救い出すために単身長崎にやってくることで、純愛小説の様相を持ち始める。初子は一人で救出に乗り出す。
このアパッチ族の戦いは、大阪出身の作家によほど深い印象をあたえたのか、開高健は「日本三文オペラ」を、小松左京が日本アパッチ族」を発表している。3作を続み比べれば分かるが断然「夜を賭けて」が面白いと思う。
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終戦当時の在日コリアン達の凄まじい生活模様が描かれています。
今の僕からは想像できない生活にびっくりした。
臭い物には蓋する的な観点からなのか、あまりオープンにならない部分がよく見えた気がします。
それにしてもどん底の環境で明るく生きる登場人物達のエネルギーは凄い!
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開高健の日本三文オペラを読んだ後、アパッチ族にとても興味がわいて
その勢いで1日で読み切ってしまった。
どんな過酷な状況下においても人間の゛生きたい゛という思いは
鮮明で生き生きとして生臭い。
開高氏の作品よりも笑いどころが多く、こちらの作品も一人一人がとても
魅力的だ。
素晴らしい小説である。
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{(開高健「日本三文オペラ」)+(帚木逢生「三たびの海峡」)}÷2
≒「夜を賭けて」
第一部は「日本三文オペラ」に良く似てます。というより、アパッチ族の活躍は著者の梁石日(Yan
Sogiru)の実体験に基づく物であり、開高健は著者を取材して「日本三文オペラ」を書き上げたのだそうです。発表年度はこの本の方がずっと遅いのですが、本家はこちらという訳です。作品としての質の高さも差は無いレベルでしょう。だた、個人的には「三文オペラ」の躍動感やカラッとした放埓さのほうが好みです。
第二部はあまり知られていない朝鮮人迫害の実態が主題になります。日本に社会的に迫害され、収容所内では同じ朝鮮人にリンチを受け、八方ふさがりの暗く重いテーマです。その中でヒロインとなる女性が唯一の光であり、そういう意味で「三たびの海峡」を思い起こすのかもしれません。帚木さんほど端麗な語り口ではありませんが、やはり「過ぎる表現」を使うことなく物語が進みます。ただ、やや散漫さを感じさせます。
「日本三文オペラ」も「三たびの海峡」も私の大好きな作品です。どうしても後で読んだこの本を比較してしまい、やや辛口の感想になってしまいました。しかし「もし読了順が逆だったら?」と思わせる位に良い作品だと思います
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在日同胞を慰めるために書かれた本なのかな、と思いました
日本人は徹底的に冷酷に、かつ弱々しく描かれています
その割に、行動理念の矛盾を刺すような問いを、同胞等から指摘されることが地味に散りばめられています
被害者意識からくる道理を押し通し、鉄や銅線の泥棒行為を正当化する様にはちょっと引きました
「日本人」と大きな主語を憎む割に、いざ「朝鮮人」と憎悪を向けられると怯む純粋には目を瞠りました
デカい主語で他所を叩くわりに、自分達の犯罪行為を総括をしない振る舞いもどうかと思いました
窃盗行為の挙げ句に日本警察に因縁をつける生き様には、一切の逞しさは感じませんでした
あれだけ反社会的行為を送りながら、長閑な余生を過ごす結末にはご都合主義を感じました
梁石日先生の筆力でありのままを書いたのか、それとも露悪的な脚色なのか、どういう思惑で執筆されたのか計りかねました
あと汚い話なのですが、糞尿の描写が多過ぎて読んでて気分が悪くなりました
どういう感想を持てばいいのか分からなかったです