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- カテゴリ:一般
- 発行年月:1997.8
- 出版社: 集英社
- サイズ:20cm/174p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-08-774280-6
紙の本
大阪センチメンタルジャーニー
著者 富岡 多惠子 (著)
上方漫才、関西うどん、近松の墓参り、アメリカ村…。故郷を離れて30年余。師と崇めた大阪の詩人・小野十三郎の思い出とともに、辛口の文章で綴る大阪今昔物語。1990年から91...
大阪センチメンタルジャーニー
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商品説明
上方漫才、関西うどん、近松の墓参り、アメリカ村…。故郷を離れて30年余。師と崇めた大阪の詩人・小野十三郎の思い出とともに、辛口の文章で綴る大阪今昔物語。1990年から91年にかけて「産経新聞」に連載。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
富岡 多惠子
- 略歴
- 〈富岡多惠子〉1935年大阪生まれ。大阪女子大学英文科卒業。詩集「返礼」「物語の明くる日」で詩人としての地位を確立、その後「冥途の家族」「立切れ」などで作家としても活躍。
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紙の本
「大阪びと」富岡多恵子さん
2012/02/20 12:21
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:CAM - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の「大阪」に関するエッセイを読んでいると、思わず、ホンマにその通りや、と言いたくなってしまう。
例えば、
>イナカ。そうだ、30年前に大阪から東京へ行こうとするわたしの耳に、いちばん強く響いたのはこの言葉である。「なんで東京みたいなイナカへいきはるの?」「東京みたいなイナカへいってなにするの?」などという友人知人の発したこういう言葉は、24歳まで大阪を出たことのなかった者への「はなむけ」だったのだろうか。それとも背後から投げられた石つぶてだったのだろうか。(15頁)
東京をイナカなどと言うのは、大阪人のヒガミか負け惜しみと誤解されるかもしれないし、多少はそうした面があることを否定しないが、大阪人が東京をイナカだと考えているのは間違いないと思う。最近は大分変わったかもしれないが、一昔前までは、「東京銀座○○」などという看板を掲げると、大阪ではまずはやらなかったものだ。
>わたしは30年間、東京という「他郷」でつねに「ヨソ者」でありつづけ、今また静岡県伊東でも同様である。このわたしのくずれることのない「ヨソ者」姿勢?は、大阪を「故郷」と思い、大阪以外の土地を「他郷」と思うところからきているのだろうか。いいかえれば、大阪という土地に「帰郷」すれば、わたしもさすがにそこでは「ヨソ者」でなく、土地になじみ、ひとになじんで生きていくのだろうか。それよりもわたしは、いつも「ヨソ者」でいたいがために、大阪から離れたのではなかっただろうか。最近そんな気がしてきたのである。(20頁)
この部分など、「その通り」と言いたくなる。自分も「いつもヨソ者でいたいがために、大阪から離れたのではなかっただろうか」と思っている。
>・・・・・・久しぶりに聞く大阪語の抑揚がこのうえなくやさしく感じられ、紙くずやゴミが両側にたまった人通りのない戎橋まで歩いてきた時、立ちどまりたくなるような感情が自分のなかから、ふいに突きあげてきた。それを感傷というのかもしれないが、決してあまあましい気分ではない。それは、「言葉が通じるところにいる」という深いよろこびとやすらぎに、「言葉の通じないところにずっと暮らしてきたのだ」という思いがほんのひと時スキを見せただけなのだ。(21頁)
>味に関して「愛郷心」が激しくなるのは、精神的なセンチメントよりも、身体的なものだとわたしは思っている。「もうこれといって食べたいものが、なにもない」と老いたる両親が嘆いていた気持が少しはわかるようになってしまった。味覚の鋭敏さがなくなり、食欲が減退した時に恋しくなるのは15歳までになじんだ食べものである。(69頁)
その通りです。
>大阪を離れて30年たつのに「いまだにコトバが通じなくて泣いている」といって笑われることがあるが、それは大げさでも冗談でもない。大阪人同士ならなんでもない冗談が、マジメに相手の不機嫌や怒りを誘発することがあるのを、あまりにもたびたび体験してきたので、喋る時には緊張を強いられるのである。(102頁)
わたしも、「言葉の通じないところ」にずっと暮らして苦労してきました・・・・