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状況判断の甘さから、誰も気づかないうちに、手段が目的化する絶望プロジェクト。個人への批判には疑問が残るが、些細なつまずきから、坂を転げるように堕ちていくのは、現実と同じ...
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エベレスト登山史上最大の死者を出した遭難事件。遭難したツアーに参加していたジャーナリスト、ジョン・クラカワー氏が克明に記録した真実とは。
ベテランガイドをも死に至らしめた理由は何か?極限状態では少しの間違い、ミスが積み重なって大惨事を引き起こすという教訓を自戒を込めて世に問うた作品。
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登山家兼ジャーナリストの著者が、レポートの目的でエベレスト登山に参加するが、図らずも、未曽有の遭難事故の当事者になる。職業文筆家だけに内容の豊富さ、読みやすさ、迫力、どれをとっても申し分なく、一気に読み終えた。その後に残ったのは、著者の、この事件を自分の中で整理しようともがき続ける姿だ。一緒に
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多くの死者を出したエヴェレスト登山隊に参加、
九死に一生をえて生還した作者が描くエヴェレスト大量遭難の軌跡。
この登山隊というのは営業公募隊、
いわゆる「商業登山」のものである。
参加者にほとんど登山の経験がなかろうと
大金をはたけば有能なガイドによって登頂が可能になるというものだ。
たとえそれが世界最高峰であるエヴェレストでも、だ。
エヴェレスト登山が今や完全に商品化されてることにまず驚くが、
なんと言っても圧巻なのは遭難の描写である。
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世界最高峰の山、エヴェレストの恐ろしさをまざまざと如実に描いたノンフィクションは登山に興味がなくても面白く読める。雪山って魅力的だけど恐ろしいね。
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ノンフィクションとしては「荒野へ」より格段に強烈。
沢木耕太郎「凍」とセットで読むと更に強烈。
というか、セットで読むべき。
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苛烈・・・
すぎて入り込みすぎて、電車の網棚に買ったばっかりの3か月分の化粧品忘れて降りちゃったです。大損害だ。
降りてしばらくは鳥肌も収まらず。
商業登山ツアーで12人という大量遭難死を出した、1996年当時話題の事件を、当事者として参加していたクライマーかつ作家である著者が綴っています。賛否はあるだろうけれども、努めて冷静で中立的に、人体に有害な7500メートルを超えた高所で、何が起きたかを再現しようとしているように読めた。
低酸素が引き起こす低体温、極度の疲労、思考鈍化、その他簡単に人を死に至らしめる恐ろしい症状(文字通り、そこに居るだけで毎秒命を削っているので、体力が尽きる前に登って降りる、というサバイバル戦)や、クライミングルートに横たわる数々の危険、そしてほんの少しの判断ミスや行き違い、最後は誰にもコントロールできない天候の急変が最悪の事態を導く様子がつぶさに描かれる。
にもかかわらずの人々の取り憑かれたような登頂への執念や、極限状況での各人の行動、それに奇跡の生還を果たしたメンバーのことなど、ぎりぎりの論点がもりだくさん。ついついこっちの空気も薄いような気がしてくるほど、息つかせぬ内容です。
いや~、なぜそうまでして登るんでしょうね・・・
と呆れつつも、圧倒的な何かを感じさせることにも成功している気がする一冊。
本書で批判的な書かれ方をされているガイドが、反論のために出版した本「デス・ゾーン8848M」と読み比べてみたいところ。でも、次回は電車の中では読むまい・・・
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エベレストを登ることが如何に大変なことかが伝わってきた。医者や弁護士などの専門的な資格をもつ知的なクライマーもいる中で、最終的には、潜在的な体力や精神力、判断力が生死を分けるのだと思った。(もちろん天候が大きな影響を与えるの)
登頂することが目的ではなく、読み進めていくごとに、登頂後、ベースキャンプにもどることが本来のゴールであることがわかってくると、前に進むかどうかの判断も難しくなってくる。ここまできて、引き返す判断なんて、できるかどうか。正常な判断では生きることを選択し、下るであろう。でも、そこまでいくことだけでも、力尽きると、あとは、下りのことなんて、考える余地さえないのだろうか。
登山初心者が読むには、登山の専門用具の話とか、不明な点があったがつ、登山をする上での常識を示してくれるため、勉強にもなる。
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バタバタとエベレストで人が倒れては死んでいく壮絶ノンフィクション。長い間読みたかった本が読めて良かった。
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エベレストにはいまだ回収されてない遺体が→なんだそれ検索→「荒野へ」がおもしろかったジョン・クラカワーがエベレスト大遭難にあって生還して本かいてる! みたいな流れで読みだしたら一気読み。山怖い。絶対登ることも登りたいとも思ったことないけど山なめてましたスミマセン。人の心の動きや行動がまたね・・・
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引用。
ーー
いったん〈死の地帯〉まで登ったら、何か問題がおきてもーそして、遅かれ早かれ必ず問題は起きるのだが、そのときはー世界最強のガイドも無力で、顧客の生命を救うことはできないかもしれないのだということを、エヴェレスト夢に取り憑かれた英雄志願者たちは、しっかりと胸に刻みつけておく必要がある。
ーー
これほど過酷な状況でなくても、自然相手の活動は、どんな形態でも最終的には自己責任となる、ということを身につまされた一冊でした。
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私自身は登山に限らずスポーツ冒険には無縁である。
しんどいこと怖いことはやりたくない、でも冒険記やスポーツノンフィクションは大好き。
自分が体験できない世界を恐いもの見たさに垣間見れハラハラドキドキあるいはワクワクする。しかし、この本はハラハラドキドキワクワクを超えて怖い、本当に怖い。
ジャーナリストであり登山家でもある著者は、1996年に参加したエベレスト登山隊で12人も遭難死するという大惨事に居合わせかろうじて生還した。自身の記憶と生還後の緻密な取材で冷静な記述であるが、ノンフィクションならではの圧倒的なリアリティがあり、読んでいて自分自身も過酷な登山をしているような感覚になる。
エベレストのような高峰の登山は名誉や金や快感を求めて冒険するという面もあるが、高度7000Mを超える世界は、低酸素、低体温症、凍傷、脳水腫、肺水腫という死と直面する世界である。正常な思考は働かず朦朧として一歩進むのに平地の何百倍のエネルギーを要する。天候が悪化すると氷雪が顔に刺さり一歩間違えば尾根から何千メートルも滑落する。必要なのは集中力と意思力とただただ忍耐。それを数日から数週間持続しないとエベレストの頂きには至らない。そして生きて下山できない。
死の恐怖と対峙する以上に過酷で辛いのが、限界状況のなかの人間関係である。
単独登頂ではない登山隊は数人から、シェルパを同行する場合は数十人のグループである。
平地では窮地に陥った怪我人病人を助けるのは道徳だが、荒地の極限状態では、ベテランのガイドやシェルパといえども自分自身の心身を保ち生きて生還するので精一杯で助けることが自分の死に直結する場合がある。頂上近くの高所でひどい悪天候に見舞われたら、傍で死に行く人がいても助けることができずそのまま登頂したり下山することもままあると言う。
後半の遭難の場面ではそんな過酷で辛い話が続いて胸が塞がれる。
そこまでして何故山に登るのか私にはどうしてもわからない。
そういう冒険に心惹かれ、辛くても話に引き込まれているのは、これも又事実ではあるが。
今迄読んだ冒険記で一番好きなのは植村直己さんのアラスカでの犬ぞり旅行である。
彼の素直な人柄が心地よくエスキモーの人たちとの交流も楽しい。もちろん命がけの冒険には違いなく、氷が割れて窮地に陥ったり白熊に襲われて危機一髪もあるが、何よりも本人が生き延びて本を書いていると言う安心感が読む方にもあるのだろう。(その後彼は北米マッキンレーで遭難死したが)
そして今回思ったのは、植村さんの冒険は(エベレストは登山隊で登頂しているが)単独行であったということ。単独での冒険なので登山隊、冒険隊というグループの人間関係や種々の葛藤がない分精神的にシンプルであった。生きても独り死んでも独りである。(現実には彼には妻や親兄弟はいたが)
生きても独り死んでも独り
いい響きだが、そんな感じで生きることは実際は難しい。
例え親子兄弟はいなくても、誰でも死ねば悲しむ人間の一人二人は居ると思う。
それは結果がかりにアンハッピーな���でも悲惨な死まで至らないことが条件である。
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1996年にエベレスト山頂付近で起きた史上最大と言われた悪天候による遭難事故を記録したノンフィクション。著者はアウトドア雑誌の取材記者として、登山家ロブ・ホールの商業登山チームに参加し、事故に遭遇してしまう。幸運にも生還できたことにより、雑誌に事故の経緯を投稿するが、その反響が大きかったため、その後の取材も含めて遭難の詳細な経緯と状況を改めてまとめたのがこの本である。
著者の記憶を基に、遭難事故発生までの場所と時間順に出来事を紹介する。エベレスト登山に参加する動機、出発までの経緯、エベレスト登山史・登山家の紹介、商業登山の始まり、登山方法、高所で発生する病気や生活、参加者のプロフィール、登山開始から登頂までの様子、遭難事故の状況、その後の経過まで当事者の視点で考察する。精緻な文章で(翻訳も読みやすい)登山に関心のない人にも判る様に補足もあり、大変読み応えがあった。後半部分は、自分がエベレストに登っているような気分になるくらいリアルな描写で、読んでいて息苦しさ(のめり込んで酸素不足?)を感じるほどだった。
エベレストは、機材の改良が進んだ現代においても、普通の人間が行けないくらい過酷な場所である。(2014年にも雪崩で史上最大の事故が起きている。)最も大きな要因は高所による空気の薄さや気圧の低さで、これが高山病をはじめ、体中の至る所に機能障害を引き起こす。また、他にも天候の変化の速さ、気温の低さ、風の強さ、登山ルート確保の難しさ、アクシデントへの対応の難しさ等の様々な要因が登頂を困難にさせる。著者はもちろん、この登山ツアーの参加者達も何らかの病気や体調の悪化を経験し、余力が無い状態で山頂アタックを試みている。また、この遭難の背景には、人為的な要因もあった。2つのライバルチームが、顧客獲得の実績作りのために無理をしたことや、困難に陥った登山者を助ける体制作りの難しさ(助けると自分達を危険に晒すことになる)、技術や経験不足の参加者の登頂への欲望の強さなどだ。究極の環境の中で、自然の変化や人間の様々な要因が絡み、リーダーの判断力の低下がこの遭難の引き金になってしまう。
著者は窮地に陥りながらも、運良く遭難を免れることができ、冷静な判断で帰還する。参加者の生と死を分けたものは何だったのか、いろいろ考えさせられた。この本は、発表当時、話題性もあってベストセラーとなったが、今でも第一級の山岳ノンフィクションだと思う。
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エヴェレストに登るのはやめようと思った。
エヴェレストは登山というより事業のようだ。山の孤独とか自然との一体感とか、きいたふうなロマンティックは風情はどこにもない。登山コースは渋滞が発生して、登山隊が話し合って登頂のスケジュールを調整しなければならないようなありさまらしい。各国の登山隊同士の意地の張り合いやエゴは醜い。大金を払った顧客を登頂させることを目的とする商業登山隊には仲間意識だってろくにない。彼らはなぜ山に登るのだろう? 何が楽しいのだろう? 命と引き換えにするほどの登山の魅力が知りたいと思って読んだのだが、少なくともエヴェレストについては登ったという勲章がほしいだけなのでは? 著者含め、登場人物の誰にも共感できない。
「エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか」という副題がついているが(たぶん邦訳の編集者がつけたんだろうけれど)、エヴェレストは海千山千のクライマーでも天気が悪くなると普通に遭難してしまう山だ。本書にも出てくるが、遺体が道脇にごろごろしているのを横目にみんな登っていくのだそうだ。「なぜ」って言われても。
いろいろ謎の本。
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1996年に起きたエベレストでの大量遭難。
アドベンチャー・コンサルタンツ遠征隊に参加し、その悲劇の只中から奇跡的に生還したジャーナリストのジョン・クラカワー氏による著作。
自身の記憶と、生き残った当事者たちや各所関係者への膨大な取材とをすり合わせて書かれている。
導入部分は過去にエベレストにアタックした名だたるクライマーたちの歴史に触れられていて、この山の特別さを読者に印象づける。
そのあと、氏がカトマンズ入りして遠征隊のほかのメンバーと出会うところから始まる。
メンバーたちに対する第一印象、村の雰囲気、ベースキャンプでの様子などが氏の感想と客観的な視点から書かれている。
そして、キャンプ1、キャンプ2と高度が上がるにつれて体調を崩す者が続出し、環境が少しずつ過酷になっていくさまが生々しい。
結末を知っているこちらとしては、次々と起きるトラブルが大量遭難の要因になることがわかるのだけれど、あのときその場にいた彼らは悲劇への階段を登っていることに気づかない。
決定的な何かが起きて状況が一変するわけではない。
たしかに、強烈なブリザードが大きな要因のひとつだけど、不穏な雲が次第に発生して嵐が来る予兆はあったのだから突然襲われたわけではない。
本書の中で氏が語っているが、あのくらいのブリザードはエベレストでは普通だし、登頂者の4人に1人が死亡するエベレストでこの年は7人に1人と少なかったくらいだと。
ではなぜ、ベテランガイドが自ら命を落とすような遭難事故になってしまったのか。
悲劇への糸が複雑に絡み合っていく様子が臨場感たっぷりで、読んでいて息苦しくなる。
地球のてっぺんであるあの場所は、生きて戻ることのほうが奇跡の、まさにデスゾーンなのだと思い知らされる。
「クライミングは素晴らしい行為だと、わたしは堅く信じているが、それは、危険を内包するにもかかわらずではなく、まさしくそれゆえに、なのだ。」