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商品説明
処女歌集「虹」、戦争直前のアメリカ留学と戦中及び敗戦後に書き留めた歌を集めた「里の春」、そして、脳出血で倒れ、左片麻痺となった後に半世紀ぶりに出版した「回生」。短歌という表現を通じて、人間・鶴見和子を眺める。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
虹 | 7-192 | |
---|---|---|
ハドソン川の畔りにて | 193-262 | |
回生 | 263-374 |
著者紹介
鶴見 和子
- 略歴
- 〈鶴見和子〉1918年東京都生まれ。津田英学塾卒業。プリンストン大学より社会学博士号取得。現在、上智大学名誉教授。比較社会学専攻。「父と母の歴史」など著書多数。
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紙の本
二度目の死。
2006/08/06 18:18
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「社会学者で上智大名誉教授の鶴見和子さんが7月31日、死去した。88歳だった。」このように新聞の死亡欄に掲載されたのが、2006年8月2日でした。その日の読売新聞は、「編集手帳」で丁寧な死亡コラム。それに文化面では、澤地久枝さんが追悼文をよせておりました。
さて、今回紹介する本は鶴見和子氏の歌集です。
鶴見和子氏は1995年12月24日に脳出血で倒れました。
そして次の年。
ちょうど今から10年前の1996年に歌集『回生』を出版しております。
1998年2月19日のNHK・ETV特集でご本人がこう語られたそうです。
「私は1995年12月24日午後4時に死んだのよ」。
その歌集『回生』のはじまりは、
唇のしびれを感じ「筒井さん、筒井さん」と呼び、起きるあたわず
眠れども眠れどもなお眠き我の意識はいずこへゆくや
霞一重へだて見る世は掴(つか)めども掴めどもそこに物なし
ハイテクのベッドより落ちて毎夜毎夜怪しき夢を見つるものかな
酸素なき穴に落ちゆく夢を見て覚むれば萎えし手は胸にあり
さまざまな唸りを上げて病院は動物園のごとし夜の賑やかさ
我もまた動物となりてたからかに唸りを発す これのみが自由
こうして「回生」は始まり、
今回紹介の本のあとがきにはご自身の歌の経歴が示されておりました。
「1934年16歳の時、わたしは父に伴なわれて佐々木信綱先生の西片町のお宅にうかがい、入門のお許しをえた。・・1939年に歌集『虹』を・・自費出版させていただいた。その後アメリカに留学して哲学を学び、太平洋戦争開戦後、第一次交換船で帰国した。・・1950年以降まったく歌ごころは涸れてしまった。
1995年・・脳出血で倒れた。その夜突然歌がほとばしり出た。
救急病院から聖母病院、都立大塚病院を経て七沢リハビリテーション病院入院中の五ヶ月間の歌を第二歌集『回生』として自費出版した。」
そして
「もしわたしが脳出血で倒れ、その後遺症として左片麻痺という半死半生の身にならなかったら、歌の復活はありえなかっただろう。『回生』以後歌は絶えることなく湧き上がってくる。今のわたしにとって歌はわがいのちである。」
あとがきの最後は、
みんみん蝉生命のかぎり鳴きつぐを わが歌詠うリズムとぞ聴く
と、歌でしめくくられておりました。
今年2006年は私の地域では蝉が鳴くのはおそく、7月26日頃にまとまって鳴くのをききました。
その蝉を聴きながら、蝉に教えられるように、鶴見和子さんを思い浮かべるのでした。