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- カテゴリ:一般
- 発行年月:1997.11
- 出版社: 新書館
- サイズ:21cm/277p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-403-25026-2
紙の本
世界の写真家101 (Handbook of photography)
写真家とひとことで言っても、その営みは千差万別。ひとりひとりの写真家の仕事にある不透明な厚みと謎、彼らの眺めた世界を紹介。この一冊で写真史の全体が浮かびあがる。写真史に関...
世界の写真家101 (Handbook of photography)
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商品説明
写真家とひとことで言っても、その営みは千差万別。ひとりひとりの写真家の仕事にある不透明な厚みと謎、彼らの眺めた世界を紹介。この一冊で写真史の全体が浮かびあがる。写真史に関わるコラムも収録。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
多木 浩二
- 略歴
- 〈多木〉1928年生まれ。美術評論家。著書に「シジフォスの笑い」など。
〈大島〉1944年生まれ。写真家。写真集に「モーツァルトの旅」や、著書に「ハラルの幻」など。
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紙の本
写真というより写真家についての勉強をしているが、楽しい。
2010/04/24 19:23
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
19世紀前半に始まる写真の歴史から、日本をのぞいた世界の101人の写真家を選び、それぞれ見開きページでコメントを付した本である。
たとえば映画監督とか小説家とかであるなら、これまである程度親しんできたこともあり、個人的な好みも加味して、101人のセレクトの妥当性などを考えてしまうだろうが、写真家について私にはそれだけの読書・鑑賞体験はない。
ともかく写真というものの歴史のなかで、どのような写真家が、どのような写真を撮ってきたかを単純に知りたいだけで、そのため他に数冊の本も併読した(している)。
一冊は分厚く大きいナオミ・ローゼンブラム『写真の歴史』、もう一冊は10年以上前に購入していた、版型こそコンパクトだが760ページもある『20th Century Photography』、そして『写真集をよむ ベスト338完全ガイド』その他である。
こうした複数の本を読むことで、どのような写真家が、どのようなレベル(たとえばページ数)でとりあげられているかが分かり、一般的な意味における重要度が測定できるのだが、同時にそうしたランキング的な測定にあまり意味ないのでは、という自問も絶えずある。
本書巻末には各写真家の主な写真集がリストされているが、ここには写真家についての伝記や研究書のたぐいは載っていない。
この本が出てから十数年を経ているが、そのあいだに写真集だけでなく個別の写真家論も出ているだろうと考え、少し調べてみた。
研究書といっても写真以外の活動もしている人の場合(101人のなかに何人もいる)、写真家論とはいえないものもありそうだ。たとえば松浦寿輝『表象と倒錯』は、エティエンヌ=ジュール・マレの動く映像との関連のほうに筆を費やしているかもしれない。
ヘルムート・ガーンズハイム『写真家ルイス・キャロル』を別にすると、多数のキャロル論は写真とは別な面の考察であろう。
本書編者の一人、大島洋は『アジェのパリ』を著わしている。
マン・レイについての本が邦訳も含めて多いのは、彼が写真家にとどまらない存在だからだろう。本書以降のものとしてはハーバート・R・ロットマン『マン・レイ 写真と恋とカフェの日々』がある。
本書執筆者のひとり井口壽乃はモホイ=ナジを分担しているが、その後『ハンガリー・アヴァンギャルド MAとモホイ=ナジ』を著わした。一般的には馴染みがないように思われる名だが、他の書籍をひらくと、この写真家に費やしている分量は多い(たとえば『20th Century Photography』では12ページ)。
ヴィーラント・ヘルツフェルド『ジョン・ハートフィールド フォトモンタージュとその時代』という本の主題である写真家についても私は知らなかったが、もしかしたら村上春樹は自分の小説のなかに、この写真家の名を利用したのかもしれない。
今橋映子『ブラッサイ』と比べたとき、多数のレニ・リーフェンシュタール本はかつての彼女の映画のほうに、より高い比重がかけられている著作なのだろう。日本人の著作として平井正、瀬川裕司、邦訳にスティーヴン・バック、ライナー・ローターのものがある。
以前『ユリイカ』で特集があったように記憶するが、セシル・ビートンについての著作がないらしいのは逆に驚きである。
カルティエ=ブレッソンについては、楠本亜紀『逃げ去るイメージ』と柏倉康夫『アンリ・カルティエ=ブレッソン伝』、そして昨年クレマン・シェルーの著作があるのは、流石という感じだ。
同じくロバート・キャパも、同じ年(2004年)にアレックス・カーショウ、横木安良夫、加藤哲郎の著作が刊行されている。これも流石だ。
ジョー・スペンス『私、階級、家族』は自著ということで別にすると、ジョン・バウワマスター『ピーター・ビアードの冒険』、パトリシア・モリズロー『メイプルソープ』が、本書101人の写真家の、その後の個別研究書にあたる。
本書刊行以前のものとしては、蓮實重彦のマクシム・デュ・カン論があるが、もちろん写真家論とは言えない。他にマーガレット・バーク=ホワイト、ユージン・スミスのものがあるが、パトリシア・ボズワースのダイアン・アーバス伝『炎のごとく』は読んではいないが知っていた。アーバスは映画でニコール・キッドマンが演じてもいた。
と、ここまで記してきた本のほとんどについては、まだ手にもとっていないのだが、やがて各写真家への関心が高まることで読むことがあるかもしれないと思う。分厚い本もあれば新書もあり、多種多様のようだ。
本書刊行から10年後に『日本の写真家101』も刊行されたが、こちらは見開きの左ページは各写真家の写真が一葉、載せられている。その分、解説は半分になる。本書のほうは巻頭に1ページにつき8点、小さく写真が掲載されていて、それが各写真家の仕事の紹介になっている。なお、二冊とも、各見開き右下に写真家自身の写真が小さく添えられている。
101人のセレクションが妥当かどうかは別として、全体的に丁寧に編集されているように思われた。