紙の本
詩編の力
2021/03/20 22:57
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
現実の世界の暴力に、静かに訴えかける言葉の数々が力強いです。詩集を開くことによって、多くの人との繋がりも感じました。
紙の本
大したことない(と一度は思ってしまった)
2011/05/31 19:22
5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
『終わりと始まり』を読んだ。
訳と解説は沼野充義。
「解説」にこうある。
「そして、小説やエッセイなどの「不純な」
ジャンルに手を染めたことはほとんどなく」
これはシンボルスカの紹介の部分だが、
この「不純」はシンボルスカの言葉なのか、
沼野自身の言葉なのか分からない。
もし、シンボルスカの言葉なのだとしたら、
僕は強く抗議したい。
以下のように。
「小説やエッセイを「不純」だというのは
詩人のおごり高ぶり以外の何物でもない
のではないか?」
詩自体は初読ではすらすら読めた感じだが、
詩集を離れてもそこに存在する世界というものがある。
シンボルスカがもしかしたら、狭量な詩人だとしても、
その詩の世界は確立したものだ、と思う。
「解説」の言葉が気になって、
少し「評価」を落とした。
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(2009.03.05読了)
1996年にノーベル文学賞を受賞したポーランドの女性詩人の詩集です。「ノーベル文学賞記念講演」も収録されています。
2月に読んだ、野田正彰氏の本の中で紹介されていたので、読んでみました。
素粒子の本と同様、詩の本というのもよくわからないのですが、わからなさを楽しんでいるのかもしれません。世の中に、分からないもの、理解しがたいものがあるというのは、いいことに違いありません。
18篇の詩が収録されています。文字が大きくてページも少ないので、すぐ読めるのですが、すっと読むだけでは、何も残らないので、もう一度読みました。
詩集というのは、手元に置いて、何度も味わいながら読むものかもしれません。
いくつかの詩の冒頭部分を紹介しておきます。
●終わりと始まり(18頁)
戦争が終わるたびに
誰かが後片付けをしなければならない
何といっても、ひとりでに物事が
それなりに片づいてくれるわけではないのだから
誰かが瓦礫を道端に
押しやらなければならない
死体をいっぱい積んだ
荷車が通れるように
(後略)
●空っぽなアパートの猫(43頁)
死んでしまうなんて 猫に対してすることじゃない
空っぽなアパートに残された
猫は何を始めることになるだろう
壁によじのぼり
家具に体をこすりつける
まるで何も変わっていないようだ
でも変わっている
まるで何も動かされてはいないようだ
でも前より広々としている
もう夜毎ランプが灯ることもない
(後略)
●眺めとの別れ(47頁)
またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない
わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと
草の茎が揺れるとしても
それは風に吹かれてのこと
(後略)
詩人 ヴィスワヴァ・シンボルスカ
1923年、ポーランド西部のブニンに生まれた
クラクフのヤギェウォ大学卒業
1945年、詩人としてデビュー
1985年、「橋の上の人々」出版
1993年、「終わりと始まり」出版
1996年、ノーベル文学賞受賞
(2009年3月5日・記)
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こんな光景を見ているとわたしはいつも
大事なことは大事でないことより大事だなどとは
信じられなくなる
『題はなくてもいい』
原因と結果を
覆って茂る草むらに
誰かが寝そべって
穂を嚙みながら
雲に見とれなければならない
『終わりと始まり』
わたしは解らない、と認識し続けること。それは逆に言い換えてみれば、わたしは考え続ける、ということ。恐らく、今、一番必要なこと。
自分の力ではどうにもならない悲劇に見舞われた時、その衝撃のもたらす痺れから人は中々立ち上がることが出来ない。それは仕方のないことでもあるけれど、思考停止は往々にして更なる悲劇を引き込みかねない。痺れていたとしても考え続けることの大切さは、何も詩人にのみ課せられた責任ではないだろう。
何かをしようとする多くの場合、始まりがあって終わりを予測し行動を起こすけれど、そしてその因果律的展開を頼っているけれど、本当は、終わりから遡って始まりを咀嚼することの方がはるかに大事。雲に見とれなければならない、と未来予想のように語られる風景が今の現実であることを、忘れてはならない。傍には、自らの身体から流れ出る血のつくる血溜まりがあることを忘れてはならない。起きてしまったことは変えられはしないけれど、考え続けることで未来は変えられる。
詩とは究極のアフォリズム。
詩人とは肩書きに縛られない哲学者。
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ノーベル文学賞作品。
悲観的過ぎず、楽観的過ぎず、現実をしっかり見据えた詩の数々。
後半のノーベル賞受賞時インタビューにて、彼の仕事観に触れている。
『現代のような騒々しい時代にあっては、自分の欠点を認める方がはるかに易しいものです、その欠点をうまく見栄えのするように人に見せさえすれば。』
追記
久しぶりに読んでみると、また違った面を発見できた。偏見やステレオタイプといった争いを生み出す種を完全に排除することに挑戦しているような感じ。「一連の出来事の一つの見方」がすき。
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詩集、それも外国語の詩集の日本語訳について、コメントすることは難しい。
ポーランドのノーベル賞受賞詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカ の詩集。
ノーベル賞受賞のスピーチ、そして翻訳者 沼野充義氏の解説まで合わせて読んで、詩人の気持ちに近づけたような気がする。
本書を知るきっかけになったのは、池澤夏樹氏の「春を恨んだりはしない」というエッセイ。
とても大切な人を亡くし、また、春が巡ってきても、その、明るく巡ってきた春を恨んだりはしない。
それは、大切な人を亡くす経験を通り抜けた人だから、詠める言葉なのかもしれない。
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1996年にノーベル文学賞を受賞したポーランドの詩人の作品集。
なぜか、この時代に目に留まり手にした幸いたるや。いや、この不幸な時代を憎まなければいけないのかもしれないけれど。
巻末の解説で訳者でもある沼野先生は、こう記す;
「中・東欧からロシアにかけては、いまだに詩という文学ジャンルが力を持って社会的に大きな役割を果たしている。世界的にみても珍しい地域であり、多くの優れた詩人を輩出している。」
著者の祖国ポーランドは、否が応でも先の大戦のドイツによる蹂躙や、その後のソ連邦からの外圧など、大国の理論に振り回された歴史が思い出される。
故に、か。今、ロシア・ウクライナ間での戦争のことと、本書に収められた作品を結び付けて読んでしまう。
例えば、「現実が要求する」という作品には、
この世には戦場のほかの場所はないのかもしれない
という一文がある。また、「一連の出来事の一つの見かた」には、
誰もが隣人のいない祖国を持ちたがった
そして人生を生きぬくなら
戦争と戦争のあいまにしたいと思った
なんとも、これは今ならどこの国の人が強く思うことだろうと思いは千々に乱れる。
そして、同詩の中には、
わたしたちは死に同意した
ただどんな形の死でもいいというわけではない
とあり、本人の意思とは別の国家の思惑で戦地に送り込まれる人々の心情に思いを馳せる。 なんとも、今、この時代に味わうのに最適? あるいは最悪の?巡り合わせか。
解説で沼野光義は、ヨシフ・ブロツキーの発言を引いて詩の存在、その意義を強調する。
「芸術全般、特に文学、そしてとりわけ詩は人間に一対一で話しかけ、仲介者ぬきで人間と直接の関係を結びます。」
先日読んだ松下育男の『詩の教室』( https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/4783738262 )にも、こんな一文があった。
「その人にとって特別な詩って簡単に人とは共有できない。すぐれた詩やきれいな詩、感動的な詩は、それなりに人と分かち合える。でも、この詩こそはという詩は、すぐれているとか感動的だとかいうのとはちょっと違うというか、もっと個人的なものなのかな。」
詩は、個人個人に訴えてくる。だから、響く。
本詩集の著者は、「可能性」という詩で、こう謳いあげる。
数字の行列に並ばされたゼロよりも
ばらばらなゼロのほうがいい
つまり、何百、何千、何万という数字は、抽象概念化して意味を成さなくなる。それこそ、戦死者が何千人だ、国外逃亡者が何十万人だ、その占領地には何百万人の住民がいる・・・。こうしたメディアが伝える数を、誰が親身になって受け止めているのか、ということだ。
「いまだに詩という文学ジャンルが力を持って社会的に大きな役割を果たしている」ことが、こうした時代や地政学的背景があってのことだとしたら、あまりにも悲しいことなのだけれども。
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http://blog.goo.ne.jp/abcde1944/e/bd66510e872725f3fba3c3a8d259abfe
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「ターンレフト、ターンライト」で、暗誦されていた詩。恋の歌が、やはり素敵でした。ノーベル文学賞受賞者です。
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震災後、本のタイトルの詩が有名になってあらためて売れている本らしいのですが、個人的には『ひょっとしたらこれはすべて』が好きです。
ノーベル文学賞受賞者の著。
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優しく、それでいてとても厳しい詩集だった。
シンボルスカははじめて読んだけど、
あまり難解だとは感じずすんなり読めた。
でも、読みやすいからと言って、内容がやさしいわけではない。
言葉に込められた思想はとても深淵で、
きっと一度読んだくらいでは理解できない。
もしかしたら、僕程度では何度読んでも理解できないかもしれない。
それだけ深いものを秘めているように感じた。
また時間をおいて読みたいと思う。
あとシンボルスカの他の詩集も気になってきたので、
機会があったら読んでみよう。
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ポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカ。
1996年のノーベル文学賞受賞。
今、まさに読むべき。
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地上から鳥の眼で、更に浮上して山の眼で更に、地球を宇宙の眼で視た刹那
一瞬にして地上の人間のという魂の眼
で抉り取る。破壊を、愚かしさを、悲しみを、堪え忍ぶ事を、そして希望を
…。
明確な言葉は真っ直ぐ私の心臓を刺す。私はその尊厳性に頭を垂れずにはいられない。そして静かに視線を合わす。詩人が指す方向へ、現実へと。
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ポーランド作家さんの詩集
静かで易しい言葉の連なりが心地よく でも 深く凛として
自然と毎日開いては 読み咀嚼
その意図を じわじわと感じていたい
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簡潔な「わたし」の言葉で、ユーモアと皮肉と機智を込めて詩を語ったポーランドの詩人シンボルスカ。本書には彼女がノーベル文学賞を受賞した際の記念講演が収録されています。
ユーモアを交えて詩人とは何かを語る、この部分から読み始めるのがおススメです。
インスピレーションは不断の「わたしは知らない」から生まれてくる、と語る彼女の詩は小難しいものではなく、別の視点や考えを与えてくれるひらめきに満ちています。