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紙の本
渾身の軍事サスペンス
2011/02/16 00:30
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
西アフリカの架空の小国、そこに傭兵が暗躍する。彼らはコンゴ動乱やナイジェリア内戦のような大規模な戦争でもその存在を主張するが、あるいは新興国の軍事顧問やクーデターなどでも価値を発揮する。兵士としても司令官としても使える、軍事のスペシャリストだ。
呪術的とも言えるような独裁者の政権を打倒するためのクーデター、そして傀儡政権の樹立までを依頼されるのだが、たしかにそこには前近代的な王国となりつつあり、一方でソ連との軍事的な繋がりを深めていて、作戦は国民のため、経済発展のためには合理的であるように見える。ともかくも傭兵達は、依頼主と契約し、使命を果たすために懸命に働く。
その作業過程は、日程の立案、人と資材の調達、運搬、訓練、実行、と流れるような、まったく通常のビジネスそのままである。ただしところどころ、ほんの一部分に制度の隙を衝いたものがある。例えばユーゴスラビアで、あるいは得体の知れないルートでの武器調達といった。正規ルートも裏金も細かく使い分ける彼らには、ヨーロッパ世界の表も裏も知り抜いた、熟練の技が感じ取れる。
彼らはまったく常識人なのだ。雇い主の意で暴れまくる、血に飢えた荒くれ者かもしれないが、国民兵ではない独立した人格を一人一人が持っていて、雇い主を選べるし、契約を破棄する自由もある。戦場を、敵味方を選択できるだけの精神性を有している。敵地にあっても、危機に瀕しても冷静さを失うことはない、実はそのことが最もプロフェッショナルな部分かも知れない。
戦場の狂気に冒されることも無く、洗脳された殺戮マシーンには決してなりえない。
狂気は戦場の兵士にだけ訪れるのではない。将軍にも政治家にも国民にも取り憑く。正義も報復も、時には国民の利益やヒューマニズムといった名目さえ狂気だ。ただその道のプロだけが、欺瞞に欺かれない目をもっている。
彼らは文明国の我々が考えるのとはまったく異なる現実を見つめている。ジャングルや砂漠を踏破し、朝の光の矢やスコールの中で見たことだけが信じられる。
登場する傭兵達はさまざまで、この主人公達は作者の希望(あるいは呪い?)を体現させられた人物なのかもしれない。淡々と進むプロジェクトのようでいて、常に破綻と紙一重の緊張感があり、ラストまで行くとさらに作者の秘められた意図を巡るサスペンスが張り巡らされていたことに気付く。魂が震えました。
紙の本
フォーサイスの思い入れたっぷりのアフリカ
2002/08/23 08:46
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ドン・キホーテ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は60年代にアフリカを中心とした独立戦争で活躍した傭兵たちの姿を描いたものである。傭兵といっても日本人のわれわれにはピンとこないが、要するに戦争のプロで、その腕を見込まれて金で雇われる人々のことで、もちろん命をかけている。
戦争がなくなれば彼等は失業してしまうわけであるが、残念ながら地球上のどこかで必ず武力紛争が起き、それが絶えないのも事実である。
大国同士の戦争はなくなったが、新興国同士あるいは内戦は跡を絶たない。本書のストーリーの大筋は、鉱山会社を傘下におさめる英国の大資本家が、西アフリカの最貧国であるザンガロにプラチナの鉱脈があることを発見して、極秘のうちに政府転覆を仕掛けたというものである。
大資本家は自分に都合のよい傀儡政権を樹立するために、現政権の打倒を決意したのである。部族間の対立、移民労働者の台頭、私腹を肥やす大統領、宗主国が築き上げた産業の芽を育てられず、どん底にあえぐ経済など、どこにでもそのモデルは存在するような気がする。
それなら独立せずに宗主国の統治下で植民地政策を甘受するか。しかし、そうはいかない民族主義の嵐がアフリカに吹き荒れたのである。
ストーリーは主人公である傭兵のリーダーとその仲間たちが、兵器、装備などの準備を整える状況を描くのにその大半が費やされている。やや執拗な描写であるが、なかなか興味深い点も少なくない。それがストーリー進行の主たる位置を占めており、淡々と書かれているので、退屈される向きもあろう。クライマックスであるはずのクーデターの場面はあっという間に終わってしまうので、期待外れという批評もあるであろう。
本書は『ジャッカルの日』や『オデッサ・ファイル』同様、映画化されているが、前二者に比べると娯楽性やストーリー展開という点で制作者や監督は苦労したのではないだろうか。
普段触れることの少ないアフリカの現実、戦争の空しさを読後に感じることのできるという点で、貴重な経験をしたような気がした。作者のフォーサイスはかつて『ジャッカルの日』の印税をつぎ込んで、赤道ギニアという実在する国家のクーデターにかかわったことがあるという説があるが、本人は黙秘を続けているようだ。
コンゴ内戦の際に記者として現地で取材をした経験を持つフォーサイスにとっては、アフリカにおける無能で私服を肥やす独裁者の存在という理不尽な現実に我慢ができなかったのかもしれない。この小説はそのフォーサイスの思いが下敷きになっていることは間違いがない。